<3-1 神作家は香りとともに>

2ヶ月ほど前、私、折田桐子(アラフォー)は、縁あって15年近く足を洗っていたオタクの世界に戻ってきた。以来、暇なときはそのブランクを埋めるべく、せっせとスマホで昨今のオタク知識を学習している。

 そんなある休日の午後のこと。

 私は、愕然とした。

 スマホの画面の中には次のような文章が淡々と綴られていた。

 『薄い本とは同人誌のこと。公の場で用いられる隠語である。』

 ・・なんと。

 同人誌のことを今はこう言うのか。いくらこの世界に復帰したばかりのおばさんとはいえ、こんな超基本的な言葉を見逃していたとは、焼きが回ったものである。

 同人誌=薄い本・・・ウスイホン。

 (うむむむ・・)

 これまた縁あって近頃二度ほど訪問した異世界の国には、同人誌と思われる本がその名も“ウスイホン”と呼ばれて出回っている。“オリキャラ”“二次創作”の言葉は日本語そのままの意味で、さらにフィギュアが“ヒギア”、その道の達人は“カミ”“シショウ”と呼ばれている・・達人なので、“神”“師匠”ということかと思われる。

 ヒギアのようになまったものもあるが、あの国・・“緑滴る”ヴェルトロア王国には、“ある分野”に限り、こういった日本語が入り込んでいる。

 それも私が訪れる前・・多分、2年前から。

 ウスイホンもヒギアもはやり出したのがその頃なので、つまりはその頃にあの国を訪れている日本人(オタク)がいるのだ。そして、その日本人とは、ヴェルトロア王国のウスイホン文化黎明期から活躍している数人の作家さんの中の誰か。

 先日、王国の老舗書店でボランティアをする機会があり、そんな作家さん達と会う機会があったけど、皆さん身バレを防ぐためにフードをかぶって顔を隠しているため、残念ながら日本人かどうかは見分けられなかった。

 けど、私は疑惑を1つ抱えている。


 数日後。

 霜の降りた土を踏みしめ、職場である某県文化財保護課別館と呼ばれるプレハブに向かう。霜がザクザク壊れ、足裏の反射帯に来る刺激が心地よい。わざと霜のあるところを選んで歩いていると、同僚の鈴沢柚月ちゃんに見つかった。

 「おはようございます。今日はまた寒いですねー、風も冷たくなって・・」

 その風に乗って、ふわりといい香りがした。

 (あ・・)

 柚月ちゃんは鼻歌を歌いながら、ザクザクと前を歩いて行く。

 記憶がよみがえる。この香りは知っている。そしてそれが疑惑を確信に変えた。

 もうすぐ職場の入り口だ。

 確かめるなら今だ!

 ザクザクザクッ!と走って柚月ちゃんに追いついた私は、大きく息を吸ってから言葉を吐き出した。

 「待って、月下のベルナさん!」

 

 時が止まったかのように、柚月ちゃんの動きが止まる。

 「柚月ちゃん、その香り、“マウステンの塔”で会った時もつけてたでしょ?」

 シトラス系のさわやかな、でもどこか深みのある心落ち着く香り。

 それはヴェルトロア王国の老舗書店“マウステンの塔”に現れた神ウスイホン作家“月下のベルナ”さんが残していった香りだ。

 柚月ちゃんは背を向けたままぴくりとも動かない。

 「まさか、あの世界に日本人が、それも私がいるとは思わなかったよね。だからあんなに慌てたんでしょ?あ、あのね、こっちでもあっちでも誰かに言うつもりはないから、そこは安心して。」

 「香水で・・わかっちゃいましたか・・」

 静かに柚月ちゃんは振り向いた。その顔は少しこわばっていた。

 「あ!もしかして鈴沢の鈴のベルと・・柚月の月のルナで・・ベルナ?」

 「正解です。でも、それを今ここでどうして・・」

 「いや・・月下のベルナさんには色々話したいことがあったから。魔石持ってるよね?アイリストス。私も星6つだけど魔石持ってるんだ。口に出さなくても話せると思う。」

 「・・わかりました。ここに立ったままもなんですし、中に入りましょうか。」

 

 「今日から土器の実測に入りまーす。鈴沢さんは土製品の実測ね。」

 「「「「はーい。」」」」

 私と柚月ちゃんは某県天馬市文化財保護課臨時職員(通称「内勤さん」)として、遺跡の発掘で出土した土器や石器などの洗浄から接合、実測などを生業としている。今日もチーフの権田さんの号令一下、土器の実測に使う道具を戸棚から出してきて、仕事にかかる。

 だが、私の心はここにあらず。それは柚月ちゃんも同じだろう。

 土器実測一式のセッティングを終えた頃に、柚月ちゃんの声が頭の中に聞こえてきて、心の中での会話が始まった。

 私の話したかったことは3つ・・まずは、私が2度ほど訪れた異世界で出ている、柚月ちゃん=月下のベルナさんへの捕縛命令のことだ。

 『あれ、マジですか?』

 『マジ。最近は王都に手配書も出回ってるらしいよ。』

 『えー?!ヴェルトロアってそんなにオタクに厳しかったですっけ?!てか、こないだ言ってた国家の滅亡とか、ホントにあり得ないんですけど!』

 『うん、わかってる。捕縛を言い出した人にも考えすぎだって言ったんだけど、聞かなくて・・でね、疑惑に拍車をかけてるのが、柚月ちゃんのアイリストスなのよ。本来は王様とか高位の神官とかが持つようなものだから、それを持ってる柚月ちゃんの正体が不審がられてるのよ。』

 『そんなあ・・だってこれ、アパートの前で拾ったんですよ。2年前、ゴミ出しに出たら道路に落ちてたんです。きれいだなーって思って拾って、百均で針金とか買ってネックレスにしてたんですけど、まあ・・色々あってちょっと遠いところに行きたいなあ、なんて思ったらあの世界に連れていかれまして。で、向こうの本屋さんで調べたら、すごい力を持つ魔石だってわかって。」

 ふむ。なんで日本に魔石が落ちていたかはともかく、入手経路がそれなら月下のベルナさんに対する、ヴェルトロア王国の魔導師ローエンさんの疑惑は完全に濡れ衣である。

 『話のわかる人にちょっと聞いたところじゃね、いったん出た捕縛命令は疑惑が晴れないうちは公には覆しにくいけど、捕まってからなら手は回せるかも、って。でも・・』

 『捕まらないにこしたことはないですよね。わかりました。ヴェルトロア王国行きはしばらく自粛します。てか、折田さんはなんであの世界に?』

 今までの経緯を話そうとしてちょっと考える。私がこの世界に来るきっかけになった件については、真相をバラすと酷い災難が降りかかる呪いをかけられた人がいるほどの、いわゆる一つの国家機密というヤツだ。そうでなくても本人の承諾無く、オタクの身バレをしてはなるまい。

 「ある人にBLにはまった娘さんを治療してほしいって呼ばれたのが最初かな。周りの人がBLオタクを病気だと思ってて。」

 柚月ちゃんの顔が険しくなった。

 『そういう人ってどこにでもいるんですね。でも、折田さんだったら、その・・逆効果じゃないですか?』

 『うん、結果的にそうなった。ただ、最初に声をかけられたときは私、足を洗ってたのよ。それでオタクの病を克服した人と思われて、白羽の矢が立ったってわけ。ただ、色々考えてやっぱ自分にはオタク成分が必要なんだ、って再認識してね。』

 『ミイラ取りがミイラになったんですね。で、その娘さんはどうなったんですか?』

 『まだどっぷり沼にハマってるよ。てか、月下のベルナさんの大ファンだよ、娘さんが一番初めに推してきたのが“待宵薔薇”シリーズだよ!』

 『はうっ?!もしかして、折田さんも読んだんですか?!』

 『がっつりと。ヘビロテで。』

 『はわっ!』

 『ティエリーとフォレルはどうなるのか、考えると夜も寝られないんだけど!』

 『あーーーっ、それは言わないで下さいっ!私もちょっと迷ってるんです!てか、折田さんはどう思います?』

 『私的にはくっついてほしい。でもティエリーがさ、師匠であるフォレルに遠慮しちゃってるし、フォレルはフォレルで自分の気持ちに全く気づいてないでしょ?ここは一つ思い切った手が必要かもね。例えば恋敵出現とか。』

 『あ~~~やっぱそうですか~~~・・・って・・違う違う。』

 うむ、ただの推し作家さんとの楽しい会話になってしまった。

 『あとね、柚月ちゃんに是非聞きたいことがあってね。』

 『な・・なんですか?』

 はあ、と思わずため息が出る。何事かと柚月ちゃんがこっちを見る。

 『あのさ、王族の方のデートについて行くんだけど、何着ていけばいいと思う?』

 『はい?』

 

 スーツではあるまい。普段私は成り行きでパーカーにジーンズ、スニーカーといった姿で王様や王妃様の前に出ているが、お二人が寛容なおかげで何事もないんだと思う。いくら風俗に違いがあるといっても、見た目にもラフな服装なのはわかると思う。

 かといって、日本の一級礼装である着物は・・訪問着でもダメだろう。

 柚月ちゃんが異世界で滞在歴の長い月下のベルナさんで良かった。

 『っていっても・・私、王族の方の前に出たことなんてないですよ。逆になんでそんなことになってるんですか?』

 ごもっとも。

 『いや~、たまたま知り合ってね。お父さんが娘さんの初デートについて行こうとしたのを止めるために、交換条件として私がついて行くってことになって。』

 ただし、そのお父さんとは王族も王族、あちらの世界第二の王国ヴェルトロア王国国王陛下であり、娘さんとは王国の第一王女様である。娘がかわいくて仕方がない国王陛下の暴走を止めるために、奥様である王妃様と息子であるラルドウェルト王太子殿下がとっさに私の名前を出したのだそうだ。なんでかしらんが王様は承諾し、王女様も了承した後に、事後承諾で申し訳ないと、王妃様自ら魔石を通じて連絡をよこしたのである。

 さすがに国王ご一家とは言わずに説明すると、柚月ちゃんは鉛筆とミニチュア土製品を持って私を見た。

 『難儀な話ですね。・・父親ってどうしてこう・・』小さなため息が挟まる。『馬鹿なんですかね。』

 『う・・うーん・・まあ、男親って多かれ少なかれ娘に対してはそういうとこあるかもね。で、最初の質問に戻りますが・・そもそも私、あっちの服って持ってないのよ。』

 ウスイホンを買うにも人からお金を借りていると言うと、いろいろな意味で呆れられた。

 『じゃあ、私がアイリストスで作りますよ。あの子、命以外なら結構色々作れるんで。一番の力作はパソコンと液タブとプリンターとUSBです!!』

 『え?!』

 『アイリスちゃん頑張ったんですよー、手持ちのパソコンとか見せて、これと同じように動くのを作って!って頼んだら、作っちゃったんです!電気が無いあっちの世界でも仕えるエコな仕様ですよ!こっちでもあっちでも原稿が出来ちゃうんですよ!トーン貼りもカラー原稿も、普通に難なく出来ちゃうんですよ!あっちの世界とは移動時のタイムラグが発生しないから、締め切りが迫ったらあっちの家にこもって、ポーション作って、3徹くらいの修羅場して間に合わせちゃうんですよ!うふふふふふふふふ!』

 『・・・・』

 希少度ランクが上から2番目の魔石アイリストスの実力もさることながら、その実力を同人誌作成に全振りする柚月ちゃん、恐るべしである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る