第44話 鉄格子越しの誓い

 エマが投獄されたのは、王宮のはずれにある塔の一番上の部屋だった。

 小さい部屋は埃くさくてジメジメしていて、中にはベッドと言うにはあまりにも粗末な寝台が置いてあるだけだった。当たり前だけど鉄格子があって、鉄格子の向こう側には見張りの騎士が座っている。やっぱり気持ちが沈んだ。


 投獄されてからすぐに騎士団長が事情聴取に来た。鉄格子の向こう側の椅子に座った騎士団長は困ったような顔をしてエマに質問を始めた。

「レイチェル王女が飲んだお茶に、ギエルでできた毒が入っていた」

 ギエルは使うと甘い匂いがするらしい。彼女のカップからは甘い匂いがした。

 だけど、ポットからは匂いがしないという。

 つまり

「彼女のカップにだけ毒が入っていた」


 騎士団長はチラリとエマを見ると、ちょっと困ったように顔を顰めた。

「あの、何か?」

 思わせぶりな視線に戸惑うと、騎士団長は顎を手でさすりながら困った顔をした。強面だけど小太りの騎士団長は人がいいのを隠せない様子だった。


「お嬢さんは、ヘイルズ家と関係があるのか?」

「え?」

 エマがその質問に戸惑うと、騎士団長はごまかすような笑顔になる。

「いま、下は大騒ぎでさ。皇太子の専属のルーク・ヘイルズが先頭で事件のことを調べている…あの勢いだと今日中にいろんなことがわかるんじゃないかとは思うんだけど……」

「ルークが?」

「二人はそう言う関係なの?婚約者とか恋人とか……将来を誓った相手なのか?俺がここにくる直前にはついにヘイルズ家の家長まで顔を出したから、みんな簡単に手を出せないっていうか。確かに大きな事件だけど、国の有力貴族の人間がこんなに関わるなんて普通はないからさ」

 それにエマはとても驚いて、首を振る。

「そんなんじゃありません」

「あ、そうなの?でも、あの息子、かなり鬼気迫る感じだったから」

「同級生です。それで下宿させてもらっていただけで」


 エマの説明に騎士団長は苦い顔になった。

「ああ、そう……?でもまあ、そんな雰囲気でもなかったけどね」

「え?」

「……まあ、いいよ」


 勝手に納得した騎士団長を見て、エマは眉を寄せる。

「それが何か?」

「え、いや…ヘイルズ家の人間だと、こっちもやりにくいというか……」

 それにエマは納得する。


 国の有力貴族の関係者が容疑者だと尋問もしにくいのだろう。

 目が合うと騎士団長は誤魔化すように笑う。

「まあ、だいたい話は聞いたから、ひとまずはこれでいい」

 手をひらひらと振って騎士団長は話を終わらせる。

「あの、私も聞いていいですか?捜査ってどうなっていますか?」

「容疑者っていうか、重要参考人には話せないだろ」

「……そうですよね」

 体よく断られ、エマは落ち込む。少しでもわかることは教えてほしい。

「だけど、ギエルの毒で事件があった場所に、ギエルを持ったお嬢さんがいたのは事実だからな。かなり怪しいよな」

「でも、あれは別に……」

 もらっただけです。と言おうとして、詳しいことは言いにくいから言葉を濁す。


「あれは生花だから、生花だと人殺しの道具にするのは難しいってのはみんな知っている」

「そうなんですか?」

 騎士団長は頷いた。

「あの花は花や花粉が毒だろ?生花を毒として使うにはカップやポットにあの花を浸しておかないといけない」

 渋っていた割に、騎士団長はスラスラと教えてくれた。

「だけど、君が持っていた生花をお茶に浸したところを見た人はいない。あの場で花をすりつぶして混入させるなんて、目立つからできないし、事前に花を乾燥させて粉にしておけばすぐに溶けるし使いたい時に使えるけど、お嬢さんはそんなの持っていない」

「なるほど」

 この牢屋に入る前にエマが受けた身体検査では生花以外の毒物などは見られていない。

 使うとしたらあの花しかない。

 だけどエマがそれを毒として使ったという証拠がない。


 うん、と騎士団長は頷いた。

「毒はカップに入っていたなら、あの花をカップに浸したってことだろ?いくらなんでもあんなに人目がある場所でそれは難しいよな」

「ですね」

 腕組みをして考えながら騎士団長が息を吐く。


「ところで、お嬢さんはあの花はどこで手に入れたんだ?」

「あ。裏山で採りました。綺麗だなって思って」

 それに騎士団長は目を向いた。

「あれって崖や急斜面に咲く花だけど、本当にお嬢ちゃんが取ったの?よく取れたね」

「私、そういうのは得意なんです」

 言いながらちくりと胸が痛んだ。


 本当は取ってもらったけれど……

 皇太子の名前は出しにくい。


 騎士団長はエマの言葉になんの疑問もなく頷いた。

「あの花は見た目が可愛いから子供が間違って食べたり匂いを嗅いで死んだりする。危ないよな」

「私もつい最近まで毒だなんて知りませんでした」

「……それはいつ知ったの?」


 その時だけ、騎士団長は急に探るような目をした。

 やっぱり探る側の人間だ。

 その視線を見て、実感する。


「学生の時に本で読みました」

「本当?」

「はい」


 目をじっと見つめられて、エマもそれを見返す。

 しばらくして、騎士団長は目を逸らせた。


 騎士団長は持っていた紙にいくつか書き留めると、立ち上がった。

「また話を聞かせてもらうけど、今日は休め」

「あの……聞いてもいいですか?」

「何?」

「皇太子様やパトリシア王女はどうしてますか?あと、ルークは…ルーク・ヘイルズは?」

 エマの質問に騎士団長は困ったような顔をした。

「皇太子は事後処理に追われてる。レイチェル王女の看病もあるし、隣国への報告もある。パトリシア王女は国王のところ。あとさっきも言ったけど、ルーク・ヘイルズは先頭に立って騎士団を使って本物の捜査員も驚くほど細かく捜査している。そんなところだな」

「レイチェル王女は?」

「それが今は全く問題ない。医師も心配ないって言っているって。だから大丈夫だ」

 よかったな、励ますように言われてエマも大きく息を吐いた。

 そんなエマを見て騎士団長が笑った。


「みんなここに行くなら自分も一緒に行くって言って、断るのに苦労したよ。事情聴取なのに、お見舞いと間違えているんだ。お嬢さん、みんなの人気者だな」

「そう、ですか?」

 首を傾げたエマに、騎士団長は心配そうな目をした。

「だから変な気を起こすんじゃないよ」

「変な気って……」

 ここでいう変な気っていう意味はわかったから、ドキンとした。

 慌ててエマは大丈夫ですと頷いた。


 俺の勘だけどよ、騎士団長はそう言って頭に手を当てた。

「それに、ヘイルズ家の坊ちゃんがきっと助けてくれるぜ。だから安心しなよ」

「はあ」

 ルークには迷惑かけちゃったな、と思う。

 今度もまた、迷惑をかけた。


 そこでやっぱり気になるのは、ルークの経歴に傷がつくことだ。

 この間はそれで後々まで引きずったから、今回はそれは避けたい。

「あの、私を助けることでルークの立場に影響はありますか?」

 胸が痛くなりながら、エマは尋ねる。

「そりゃあ、お嬢ちゃんが本当に犯人だったら、まずいだろうけど。そうじゃないって自信があるんだろ?だったら構わないだろ」

「そうですけど……」

 絶対に自分はやっていない。


 だけどそんな保証はない。

 レイチェルとロビンがとんでもない罠を仕掛けていたら、助けられないかもしれない。


 ああ、そうか、とエマは思った。

 この件に協力することを決めた時に、ルークが言っていたことを思い出した。

 こうしてエマが助けられないこともあると、あの人はすでにわかっていた。

 こんな時なのに、思わず感心してしまった。


 やっぱりあの人は優秀なんだな、と思って。

 生まれ変わっても、私はあの人に勝てないかもしれない。

 負けて悔しいはずなのに、なんだか猛烈に会いたくなった。


 今ならわかる。


 あの二人は、エマを犯人に仕立て上げるつもりだった。

 朝からレイチェルがルークに絡んでいたのは伏線で

 嫉妬心でエマがレイチェルに毒を盛ったというシナリオだったのだ。


 人が見ていない時を見計らって、レイチェルのお茶に毒を混ぜる。

 ……でもそれはきっと、致死量ではなかったはず。


 予定ではあの二人のどちらかが毒をレイチェルのお茶に入れる。

 そしてどこかでギエルの毒をエマの衣服や持ち物に忍ばせて、犯人に仕立てる予定だったのだろう。

 でもエマが自らギエルをもって登場した。きっと嬉しい誤算だったはずだ。


 二人はギエルの毒をどこかに隠し持っている。

 その毒を見つけることができれば、エマの無実は証明できるかもしれない。


 あとは、もし、エマが何もしていないことを証言する人がいればいいけれど……。

 でも、目撃者を探すのは難しい。

 あの時はみんながルークとロビンの競争を見ていた。

 ましてやレイチェルの護衛や側仕えが見ていても、自分の主人の不利になるようなことをいうはずがない。


 エマは自分で自分を抱きしめた。


 ルークも皇太子もパトリシアもついている。

 ゲイリーだってエレノアだってきっとエマを心配してくれている。

 だけど……。


「私、もうダメなのかな」

 ぽつりとつぶやいたら、その声が暗闇に消えた。

 自分が永久にここから出られないとか、処刑されるかもとか、そんな暗い想像ばかりが浮かんでくる。


 ため息をついた時、階段を上がってくる足音がした。

 目を上げると階段を登ってきたのはルークだった。

 エマが思わず立ち上がると、ルークは見張りの騎士に何かを渡した。

 渡された騎士は椅子から立ち上がって、階段を降りていった。


 エマが鉄格子の目の前でじっと見つめていると、ルークは鉄格子の反対側までやってきて、そこに座り込むと鉄格子越しにエマをじっと見つめる。


 ほんの少し会っていないだけなのに、とても長い時間が経ったような気がする。

 鉄格子があるからだろうか。

 とてつもなく懐かしくて、その胸に飛びつきたいような衝動に駆られる。


 今は抱きつくことも、できない場所にいるのに。



「なんて顔、してるんだよ」

 エマの顔を見て、ルークは呆れたように言った。

「買収したの?」

 ルークはなんでもないことのように言った。

「そんなことしてないよ。ただ、少し君と話す時間をくれって言ってお礼にお金を渡しただけだ」

「買収じゃない」


 少し笑ったルークを見たら、泣きそうになった。

 それを堪えて、エマはいつものように眉を寄せる。ルークが困ったような顔をした。

「遅くなって、ごめん」

 来てくれたことが嬉しいくせに、エマは強がる。

「遅いから、寝ようかと思った」

 今日は何があっても眠れない自信があった。だけど、強がっていたかった。


 それがわかったのかもしれない。

 ルークはいつになく、優しい顔でエマを見つめた。

「じゃあ、よかった。寝る前で」



 それからルークは今の捜査状況を話してくれた。

 二人で並んで座るのは、変な感じだった。

 一番気になるのは、間に鉄格子があることだけど。


 ヘイルズ家には今、兵士が来て家の中を大捜索しているという。

「君の持ち物の中に、ギエルの毒やおかしなものがないかって調べている。ついでに家の中も見たいように見てもらっている」

「ルークはここにいていいの?」

 そう聞くと、ルークは頷いた。

「父さんに任せたよ。あの人の前で変なことをできる人はいないからね」

 ルークは鉄格子越しにエマを励ますように見つめる。

「もし、君が毒を持っていない事が証明されたら、ひとまず牢から出してもらうよう交渉をしている」

「そんなの許されるの?」

「今回の事件はおかしなことが多いから、周りもこの事件を疑問視している」

 ルークはそう言って眉を寄せた。

「おかしなこと?」


 この事件には気になる点がたくさんあるという。

 一つ目は、レイチェルが毒を飲んでから効果が出るまでが異常に早かったこと。


 通常ギエルの毒は飲んでから10分ほどで効果が出てくる。

 まずは口の周りからの痺れ、それから嘔気嘔吐、そして呼吸困難。

 呼吸困難まで起きると、長いと一晩は具合が悪いままだという。

 だけどレイチェルは飲んだすぐに異常を訴えて、30分もせずに元に戻っている。毒の作用時間が合わないし、そして症状の改善が早い。


「もちろんカップに毒が入っていたけど、実際彼女は毒を飲んでいないのではないかと思う」

「どうしてそんなことを?」

「どんな形であれ、人の注目を浴びていたいって人はいるよ。そのために自傷する人もいるくらいだ。彼女が人目を引きたくて、そうしてもおかしくはない」

「だからって毒を……」

「可能性の話だけどね」

「でも、どうして私を巻き込んだの?」

 その後で思わせぶりにルークがエマを見た。


「レイチェルは君が邪魔なんだよ」


 ルークは前を見ながら息を吐く。

「彼女の望みは結婚してあの国を出ること、この国で王妃となって自分の地位を揺るぎないものにすること……だろ?」

「そう。それで周りを見返すんだって言っていた」

 ルークは頷いた。

「仮定の話だけど、皇太子が婚約破棄を考えていたことを知って、それを阻止するためにやったとも言える。この件があれば、隣国は我が国に強く出られる。婚約破棄はできなくなるし、レイチェルもこの国で安泰に暮らしていけるはずだからね」

 それから、とルークは言葉を濁した。

「このままでは皇太子と結婚しても形だけになる可能性が高い。もし側妃が次の国王を産んだらレイチェルの立場は弱くなる。そういう可能性は早くに潰しておきたいって思ったのかもしれない」

「え、でも……」

 黙り込んでしまったエマを見てルークはまた、息を吐いた。


「君がレイチェルの地位を脅かすからだろ」

「レイチェルの地位?」

 ピンとこないままエマが首を傾げていたら、ルークがコツンとエマの頭を叩いた。


「自分の結婚相手にすでに心に決めた人がいるっていうのは許せないだろ」


 その答えにエマは思いきり首を振る。

「そんなはず……」

 そんなはずない。そう言おうとして、エマは固まった。


 だって、ほんの数時間前にエマは言われたのだ。

 他でもない皇太子に。

 誰も知るはずがない彼の気持ちを聞いたのだ。


 一番大切に思う、側妃にすると、言われたのだ。


 胸がどくんと大きく鳴った。



「君、皇太子からあの花をもらっただろう」

「どうしてそれを…?」

 エマが目を丸くすると、ルークは苦い顔になった。

「皇太子に聞いた。自分があげたことを言わないでいるって。自分がやったことがエマを不利にしたと責めている」

「それは……」

 エマが説明しようとしたら、ルークは手のひらをエマに向けてそれを止めた。


「理由はどうであれ、君は皇太子を庇ったのは事実だ。でもその理由は言わなくていい」

 思いのほかルークの声も張り詰めていた。


 顔を上げると、ルークの顔は暗く苦いものだった。

 そのまま、エマの方を見もしないで続ける。

「僕だって、聞きたくない話はある」


 思えば、ルークにこんなにはっきりと拒絶されたのは、出会ってから初めてかもしれない。


 ルークが息を吐いた。

「それから……もう一つ伝言。立場的に会いに行くことはできないけど、必ず助けるから待っていてほしいって伝えてくれって頼まれた」

 本当に大きなため息をついて、ルークは苦い顔をした。


「そんな伝言、本当なら僕は絶対に伝えたくないけど、命令されたから伝えるよ」


 ルークはものすごく嫌そうな顔をする。

「その話は、とりあえず聞かなかったことにする。それがあってもなくても僕は君を助けるし」

 それが本心だというようにルークは続けた。

「君を助けられるのは自分だけだって思ってる」


 それを見たら、エマの気持ちはどうしようもないほどぐちゃぐちゃになった。


「ごめんなさい」

「だから、そんな顔するなよ」

 苛立ったようにルークは顔を外に向ける。


 その瞳が怒りを堪えるように閉じられた。


 エマはそっとルークに向き直る。隣に座ったルークは前を見ていて、エマから顔を逸らせている。

 鉄格子を超えてわずかに牢の中に入り込んだローブの端をエマは掴む。


「怒っている?」

「怒ってない」

「……迷惑かけて、ごめん」


 堪えていた涙がぶわっと溢れてきて、エマの頬を伝った。

 ルークがエマを振り返って、そして困った顔をした。

「君、泣きすぎ」

「だって……」

 ルークがエマに向かって手を伸ばして、その手が鉄格子にぶつかった。

 その存在を初めて気がついたみたいに、悔しそうに舌打ちする。


「怒っていないし、気にしていない」

「うん」

 それでも泣き止まないエマにルークは困ったような顔をする。

「今、泣かれても、どうしようもないだろ」


 そうだった。

 最近はエマが泣くと、いつもルークがエマを抱きしめてくれる。

 ルークがそうしてくれると、いつの間にか涙が止まることをエマはよくわかっている。

 とてもよくわかっている。


 だけど、今は鉄格子があるせいで、隣にいてもルークが遠い。

 そしてなんだか、気持ちも遠くに離れてしまった気がしてしまう。

 それがとても怖い。


「たくさん嫌な思いさせて、迷惑かけて、全部私のせいだ」

 もうエマの涙はとまらなくて、声にならない声を漏らした。

「ごめん」

「だから、謝るなって」


 鉄格子の隙間を縫って、ルークの指がわずかに中に入り込んで、エマの涙を拭って、そしてそっと頬を撫でた。


「今までいろんなことがあったけど、不思議と君に対して怒ったり、嫌になったりしたことない」


 鉄格子の向こうから青い瞳がエマを見つめる。

 この暗い空間の中で、その瞳だけが澄んでいた。


「おかしいだろ?あんなに毎日喧嘩してたのに、そんなこと、今まで一度もないんだ」


 ルークの手が伸びて、鉄格子を掴むエマの手をそれごと握りしめた。


「絶対に皇太子より、僕の方が先に助けるから」


 ただじっと前を見る瞳は、揺るがない決意が見えた。


 ルークは鉄格子を挟んでエマの正面に向き直ると手を伸ばしてエマの手を握る自分の手に力を込めた。

 目の前の青い瞳が優しく自分を見つめるのを、恥ずかしくてエマが俯いた時、

 エマの額にやわらかいものが触れて、そしてあっという間に離れた。


「だから、君は安心してここで待っていればいい」


 その言葉の後に、エマの額にルークの額が触れた。




 それから二人はしばらくそうして抱き合うように体を寄せ合っていた。




   

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