第34話 あの時の後悔

「あなた、その髪飾りどうしたの?」

 王女がエマの髪についている髪飾りを指差した。


 エマは頭にそっと触れて、苦笑いした。

「この間、買ってもらったんです」

「誰に?」

「……ルークに」

 王女は大きなため息をついた。


 あの日、約束通りいつもより早い時間にエマを迎えにきたルークは、そのままエマを連れて買い物に出た。

 そして国で一番有名な高級店に行って、この髪飾りを買ってくれたのだ。


 大きな薄い青い石が真ん中にあって、それを囲むように小さな石が配置された髪飾りは驚くような値段だった。

 あのかんざしとは比べ物にならないほど高級な髪飾りを、ルークはなんのためらいもなく買った。

 それからまだ数日だけど、エマはそれ以外の髪飾りを使ったことはない。


 ルークがなにを意識してそれを買ったのか、エマにもわかる。

 だからもらって嬉しいはずのプレゼントなのに、なんだか戸惑いの方が大きい。



 その髪飾りをまじまじと見つめた王女はちょっと気まずそうに顔を歪めた。

「あいつも焦ってるのね」

「え?」

「まあ、焦らない人はいないかしらね」

 そう、王女は珍しく苦い顔でつぶやいた。



 あれ以来、朝のお茶会はなくなった。

 ルーク曰く、皇太子も王女も忙しいから、しばらく中止と言うことらしい。

 だから、あれからエマは皇太子に会っていない。


 なんだか気が引けていると、王女が声をかけてきた。

「お兄さまの結婚のこともあるし、落ち着くまで様子を見ましょう」

 王女は慰めるようにエマを見た。それにエマは黙って頷いた。



 その後、エマは王女の使いで王妃のところまで行った。

 王妃は相変わらず美しくて、エマを見ると嬉しそうに話し始めた。


「今度、うちの家族とヘイルズ家で一緒に食事をしましょう。エレノアと会うのが楽しみね」

 そうニコニコして言われたけれど、エマはヘイルズ家の人間ではない。

 それに王妃のいう『うちの家族』が王族だと思うと恐れ多くて簡単に頷けない。

「そうですね。伝えておきます」

 エマが礼儀正しく答えると、王妃は急に苦い顔になった。


「あの子が結婚したら、もっと賑やかになっていいと思うのだけど」

 結婚と聞いて、皇太子の話だとわかった。

「けど?」

 エマの相槌に、王妃はため息をついた。

「なんだかあの子、最近浮かない顔をしているのよ」


 確かに、正確にはあのお茶会の前から、皇太子は口数が減っていた気がする。

 一人で考え込むような時も多かった。

 悩んでいるとしたら、……結婚に?


 エマがぼんやり考えていると、王妃がエマの手を握った。

「でも、エマも元気がないのね」

「は…いえ、そんなことは」

 王妃ははっきりと首を振った。

「そんなことないわ。あなたも悩み事?」

 相談にのるわよ、という王妃に、エマは慌てて首を振った。


 こんなこと、王妃に言えるはずがない。


 王妃は優しく笑いかけた。

「何かあったらいつでも相談にのるわ」

「あ、はい……」

 エマの手をぎゅっと王妃が握る。

「あなたやルークと話すのをあの子たちはとっても楽しみにしているの。だから、結婚しても仲良くしてね」

 エマは急いで頷いた。

「はい」


 そうは言ったけれど、難しいかもしれない。

 皇太子が結婚して、もしその相手が私や王女を嫌がったら、あの朝のお茶会も終わるだろう。

 そうなったら、皇太子と話す機会は減る。会うこともないかもしれない。


 そう思っていたら、王妃も頷いた。

「私は彼があなたのことを王宮に出してくれないんじゃないかと心配だわ」


 彼って?


 誰のことだと思っていると、王妃はすぐに笑顔になった。

「あとは、今度の食事会の時にゆっくり話しましょうね」

 そうして王族との食事会の予定を決めることを約束して、その場を辞した。



 王妃の部屋から出て、廊下を歩きながら王女の部屋に戻る。

 ぼんやりと外を見ていたら、庭園に見知った人の姿を見てエマは足を止めた。


 そこにいたのは皇太子だった。


 付き人もつけずに庭園に植えてある大きな木の近くのベンチに一人で座っている。なぜだかその姿が気になって、エマはじっと見てしまった。


 皇太子はベンチに足を組んで座って、膝の上に肘を置いて頬杖をついていた。

 人払いをしているのか、護衛たちは遠くから皇太子を見つめている。

 皇太子の顔は真っ直ぐに前を見ているけれど、その目が虚で、なにも見ていないように見えた。そして横顔はどことなく物憂げだった。


 ついじっと見ていたら、エマの視線に気がついたのか、皇太子が顔を上げてエマへ顔を向けた。視線がばっちりあって、途端に気まずくなる。


 どんな顔をしたらいいかわからないけれど、今更視線を逸らすこともできなくてエマは戸惑う。

 だけど、この間のことは気にしていないように、皇太子はニコッと笑ってエマを呼んだ。


 ためらったけれど、呼ばれて行かないという訳にはいかない。

 歩いて近づいて、ベンチの横に立つとエマは皇太子に声を掛けた。

「休憩ですか?」

 それに皇太子は顔を上げて落ち着いた笑顔を見せた。そのいつもの様子にエマはほっとした。


「いや。なんだか一人になりたくて、ここにいたんだ」

 それを聞いてエマは慌てた。

 そっとしておいて欲しい時に、お邪魔するなんて失礼にも程がある。

「すみません。一人になりたい時に声をかけてしまって……私、行きますのでゆっくりしてください」

 だけどそれを聞いて、皇太子は首を振った。

 笑顔でエマを振り返る。


「いいよ。エマなら大歓迎だ」

「え?」

「せっかくだから、少し話し相手になって。ほら」

「でも、一人になりたかったんですよね?」

「いや、今はエマと話したい」

 そう言って自分はベンチの隅に寄って、空いたスペースを手で叩く。

「座りなよ。エマ」


 だけどエマは黙って考える。


 だって、皇太子の隣に座って話す、なんてあり得ない気がする。

 王女の専属魔術師としても、側仕えとしても、あり得ない。


 頭の中でどうしたものか考えていると、皇太子はエマの背中を押すように笑った。

「こんな時、ルークなら気にせず座るよ。だからエマも座って欲しいな。そうでないと落ち着かない」

 じっと笑顔で見つめる皇太子の圧に負けて、エマはついそこに座ってしまった。それに皇太子は嬉しそうな顔をする。


 結局いつも、皇太子に好きなようにされてしまうのだと、座ってからエマは気がついた。

 二人の間の秘密のほとんどは、こうやっていつの間にかできてしまった。

 気をつけないといけないと、気を引き締める。


 思わず身構えてしまったけれど、皇太子はエマが隣に座っても、何も話さないままだった。

 そういえば、皇太子はさっきまで、考え込むような顔をしていた。

 悩み事、例えば結婚のことなどを考えていたのかもしれない。


「何を考えていたのですか?」

 皇太子が黙ったままだから、ついエマが口を開いてしまった。

 皇太子は少し考えるような顔をした。

「そうだな。いろんなことを考えているよ。政治のことも、国のことも、人事のことも考えないといけない」

 そうして少し表情を緩めた。

「もちろん、パティのこともエマのことも考えるよ」

「……そうですか」

 気をつかわれたな、と思って相槌を打つと、クスッと笑う声がした。

「本気にしてないね」

「え?」

「本当にエマのことを、考えてたよ」


 二人の視線が絡んで、思わずエマは自分から逸らせた。

「嘘だと思っている?」

 返事に困って、エマは苦い顔をした。

 答えに困る質問はやめてほしい。


 だけど皇太子がじっと見てくるから、エマは観念した。

「嘘ではないかもしれないですけど……社交辞令かと」

 そう言ったら、皇太子は声を出して笑った。


「本当だよ。ひどいな。信じてくれないなんて」

 笑顔でエマを睨むから、ついエマも苦笑いしてしまった。

「私のことなんて、考えることはないと思って」

「そんなことないよ。エマにあげるプレゼントをたくさん思いつく程には、エマのことを考えているよ」

 皇太子は笑ったまま、前を見た。


 そうして息を吐いて、顔を歪めた。

「それから、……あの時のことを考えるな」

「あの時?」

「君が街で怪我した時」

 あの話か、とエマは苦い気持ちになった。


 エマの周りの人は、異常にあの時のことを気にしている。

 当人はすっかり終わったことだと思っているけれど、今でも気にしている。


 それがエマには不満だった。

 みんなのおかげで助かったのだから、それで良いと思ってしまう。

 誰が悪い話でもないし、自分を責めないでほしい。



「あの話はもう良いんです。みんなのおかげで助かったから、私は感謝してます」

 それを聞いて皇太子は目を丸くした。その後で少し困った顔をした。

「そうだね。でも、エマを助けたのはルークだ。エマはルークのおかげで助かった」

 大きなため息が隣から聞こえた。

「ルークがエマを助けたんだ」



 皇太子は顔を空に向けた。

 目を閉じて空を仰ぐと、陽の光がその横顔から顎にかけてのシャープなラインを照らした。


 その姿は一枚の絵画のように綺麗だった。

 綺麗だけど、なんだか悲しくて泣いているように見えて、エマは胸が苦しくなった。


 もっともっと、楽しそうに笑ってほしい。

 そんな笑顔の方が、もっと魅力的だと思う。



 だからつい、エマは言い返してしまった。

「それは違います」

 皇太子が目を開けてそっとエマを見た。

「あの時助けてくれたのはルークですけど、ルークではないです」


 エマの言葉に皇太子は目を見張った。

「あの時、ルークはルークのやり方で、皇太子様は皇太子様のやり方で私を助けてくれました。そのどれが欠けても、私は助からなかったです。皇太子様が馬や剣を貸してくれなかったら、ルークが間に合わなくて、私は大怪我をしたかもしれないし」

 言いながら、あらためて背中が寒くなった。


 あの時は本当に全てがギリギリで、ほんの少し歯車が狂っていたら、私はもっと大変なことになっていただろう。


 自分で言葉にすると、その怖さが実感できる。


「皇太子様はルークではないし、立場も性格もできることも違うのだから、やり方が違ってあたりまえです。あの時私を助けたのはルークですけど、あそこにルークが来るには、絶対に皇太子様の力が必要でした。だから、私が助かったのは皇太子様のおかげなんです」


 皇太子は目を瞬かせてエマを見た。

 エマはじっと皇太子を見つめ返した。

「皇太子様が、私を助けてくれたんです」

 皇太子はそれに頷いた。

「だから、そんな風に言うのはやめてください」

 エマは皇太子の目を見て、そして大きく頷いた。


「もう、この話は終わりにしましょう」

 それを聞いて、皇太子はふっと肩の力を抜いて笑った。

「じゃあ、あの剣の傷も、僕が君を助けた証だね」

 そう言って視線を前に戻すと、遠くを見つめた。


「やっぱりエマはいいな」

 目を閉じて、噛み締めるようにつぶやく。

「エマがいると、元気になれる」

 そう言って、穏やかな微笑みでエマを振り返った。



 反対にエマは、青ざめて俯いた。

 我に帰ってみれば思わず気が昂ってしまったせいで、ちょっと言い過ぎたかもしれない。


 エマは恐る恐る皇太子を見つめる。

「あの……言い過ぎまして、すみません」

「気にしていないよ、私は」

「でも……」

「そう言うところもエマらしいね」

 私らしいってどう言うことなのだろうとエマは苦い思いになった。


 話すほど失敗しそうだから、あまり話さない方がいい。

 そう思ってしばらく黙っていようと決める。



 だけど、すぐ近くで皇太子の声がした。


「エマの手は小さいな」


 反射的に顔を上げて確認すると、皇太子は視線を下げてエマの手をじっと見ていた。

 自分の手を見て、エマは首を傾げた。

「そう、でしょうか」

 人と比べたことなどないから、わからない。


 エマがピンとこない返事をすると、皇太子は笑った。

「そうだよ。とても小さい。ほら」

 そう言ってエマの目の前に自分の手のひらを広げた。

「比べてごらん」


 皇太子は自分の手のひらを大きく広げて立てると、エマの目の前に差し出す。

 エマが簡単に手をくらべやすいようにしてくれている。

「え、でも」

 さすがのエマも皇太子と手を重ねることにためらいがある。


 たとえそれが、ただ手の大きさを比べるためだけだとしても。



 だって、二人はもう手の大きさを競い合う、無邪気な子供ではないのだ。



「早く、エマ」

 だけど、目の前の皇太子はそのまま、エマをじっと見つめるから、エマは避けられないものを感じて、そっと自分の手を上げると、そのまま皇太子の手に重ねた。


 だけど触れないようにした。

 重なるようで、重ならない。

 二人の手のひらの間に、少しだけ距離をとって、でもサイズだけはわかるように重ねてみた。



「ほら、小さい」

「……確かに、小さいですね」



 言われた通り、エマの手は皇太子の手と比べたら小さかった。

 ちょうどひと回りほどだろうか、エマの方が小さい。

 それに皇太子の手には、意外にも剣を握ってできるタコができていた。


 剣術もしっかり練習しているのだとわかる、

 優雅な見た目には似つかわしくない、騎士のようなしっかりした手だった。


 思わずその手をじっと見つめてしまったエマは、我に帰るとすぐに、急いで手をひこうとした。



 その時だった。

 エマが手を動かすより一瞬早く、皇太子はスッと自分の手をずらすと、そのまま自分の指をエマの指の間に差し入れて、指を絡めるようにして握った。


 あまりに素早い動きに驚いて、エマが咄嗟に手を引き抜こうとしたら、それより早く、皇太子がエマの手を強く握りしめた。



 逃さないと言うように。



 はっとして顔を上げると、皇太子と視線があった。


 その青い瞳に真剣さが漂っていて、エマは思わずドキッとした。


「もし」

「え?」

「私があの時、ルークのように全てを投げ捨てて、君を助けに行っていたら……」

 皇太子の手に力がこもった。

「今、君の隣にいるのは、ルークでなくて私だったのだろうか?」

 その目が少し切ない光を宿して、エマを見た。


「その可能性は、あった?」


 あまりにも突然の質問に、エマは戸惑う。

 


 固まったままのエマを皇太子はじっと見つめる。

 その濃い青い瞳がエマを捉える。


 その目に見つめられて


 逃げられない。


 そんな予感がした。



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