第25話 すれ違い

 その日の午後、エマはパトリシアの使いで王妃の元に手伝いに行った。


 だけどそれは予定していたことだった。

 パトリシアのことでエマに迷惑がかかった事を気に病んだ王妃が、エマにお礼を言いたいと希望した。

 直接エマを部屋に呼んでは大袈裟になってしまう。

 だから手伝いという形でエマを呼んで、それとなく話す時間を作ることになった。


 偶然声をかけたように振る舞うけれど、全ては事前に決められている。

 だからエマにも相応の準備が必要となる。


 準備に困ったけれど、そこで頼りになったのはルークの母親のエレノアだった。

 ドレスから靴から全てを完璧に揃えてくれて、会話のやり取りまで教えてくれた。まだエレノアに慣れていないエマだったけれど、今回のことで少し距離が縮まった気がした。


 王妃は皇太子によく似た整った美貌で、笑うとさらに似ていた。

 パトリシアのわがままを詫びた上で、エマの仕事ぶりを褒めてくれた。

「エマが来てから、あの子も大人しくなったわ」

 挨拶したら終わりのはずが、思いがけず会話が長くなった。

 最後に王妃は思い出したように笑った。


「そうだ。今度の王宮の舞踏会には、もちろんエマもくるのでしょう?」

「舞踏会?」

 そんな話は初めて聞いたから、エマは驚いた。

「あら聞いていないの?年に一度国中の貴族を集めて行っている会よ。おかしいわね、ルークもエレノアも、ヘイルズ家の人間はみんな誘っているのに。みんなで一緒に来るのではないの?」

 エマが聞いていないことに、王妃は首を傾げたけれど、

 そもそもエマはヘイルズ家の人間ではない。


 少し気まずくなりながら、エマは笑った。

「私はヘイルズ家の人間ではないので…」

 そこでようやく王妃は気がついたようで、苦笑いした。ごめんなさい、と照れたように笑う。

「そう言われれば、そうね。なんだかもうヘイルズの家の人間だと思ってしまったわ。じゃあ急いでエマ宛に招待状を出すわね。もう、あまり日にちがないの」

 準備はエレノアに頼んでおくけど、困ったら言ってね、と言って王妃は笑った。


「またそこでゆっくり話しましょう。楽しみね」

 これを断れる人はいないだろう。

 エマはお礼を言って、そこから出ていった。



 部屋を出て思わずため息が出た。

 舞踏会は苦手だと思って苦笑いになる。

 ドレスとか、どうしたらいいのだろうと頭を抱える。

 そこでピタッと立ち止まった。


 ヘイルズ家の全員が誘われていたのに、エマだけ誘われていなかった。本当はちゃんとした貴族の会で、エマは参加できない会ではないだろうか。


 それとも……エマの顔が曇る。

 歓迎してくれていると思っていたけれど、実はエマの存在は嫌がられているかもしれない。

 そう考えて、思わず暗い気持ちになる。


 でも王妃に誘われた以上は行かない訳にはいかない。やっぱりエレノアに相談しようと思い直して、エマは歩き出した。



 そこでエマは刺すような視線を感じて立ち止まった。


 ぐるりと辺りを見渡すと、一人の若い女性がエマをじっと見つめていることに気がついた。彼女と視線があう。


 多分エマより少し年下だと思う。

 まだ少しふっくらした顔に、髪は二つに分けて綺麗に結っていた。着ている服は上等で、多分どこかの、きっといいところの貴族令嬢で、今日はたまたまここに来たのだろう。

 少し気の強そうな吊り目を、今はさらに吊り上げてエマを見ている。

 唇をキュッと引き結んでいるけれど、口を開いたら文句が出てきそうに見えた。


 とりあえず、その子が誰かもエマにはわからなかった。

 だけど、なんだかいい感情を持たれていないことは、伝わってきた。



「あの……」

 エマが声をかけようとした時、その子がツカツカとエマに向かって歩いてきた。そしてエマの目の前で立ち止まると、ぎっとエマを睨みつけた。


「あなたが、エマ・バートン?」

「そ、そうですけど……」

 その態度にも喋り方にも敵意しか感じられない。

 どんな立場の人かわからないから、エマは戸惑いながらも丁寧に話し始めた。

「あの、何かありますか?」


 だけど、彼女はエマをぎりっと睨んだ。エマに向かって一歩踏み出すと目の前で両手を組んだ。

「私、ダフネ・ハントと言います。あなたに話があって来たの」

 ダフネはエマの前で大袈裟に大きな息を吐いた。


「あなた、ルーク様とどう言う関係なの?」

「どう言う関係って……」

 その答えはエマもわからないから困ってしまう。



 強いて言えば、元同級生。

 だけど友達というのは、ちょっと違う気がする。


 一番近くにいるような気もするけど、遠い人のような気もする。

 反対に、とても近くにいてほしい気がするのに、近くにいるとどうしていいかわからなくて離れたくなってしまう。

 そのくせ、気になって仕方がない。


 新しいルークとの関係にどんな名前をつけたらいいのか、まだエマはわかっていない。



 考え込んでいたら、目の前のダフネはさらにエマに詰め寄ってきた。

「ねえ、聞いているの?」

 その怒気を孕んだ声にエマはハッとした。

 気がつけばダフネがエマを見る顔は真っ赤になっていた。

 とにかく、とても怒っている。


「あなたはルーク様とどういう関係なの?どうしてあなたがルーク様と一緒に住んでいるのかって聞いているの!家に押しかけたの?なら図々しいにも程があるんじゃない?最低」

 押しかけてはいない。

 そう言おうとしたけれど、その余裕はなかった。


 ダフネは腕を組んだまま、エマの顔をじっと見つめた。


「あのね、一つ教えてあげる」

 ダフネはエマを睨みながら、ツンとした顔になる。

「私はルーク様と約束をしているのよ。とても大事な約束」

「約束?」

 訝しげな顔をしたエマに、ダフネは勝ち誇ったような顔をした。



「私はね。ルーク様と踊る約束をしているの」

「踊る?」

「そうよ。私とルーク様はね、今度の王宮の舞踏会で一緒に踊る約束をしているの」

 そう言ってダフネはふふん、と顎を上げてエマを見つめる。

 エマはそれを聞いて驚いた。


 舞踏会のダンスはそれなりに重要で意味がある。

 もちろん仕事の関係で踊ることもあるけれど、大抵は自分のパートナーと踊る。

 相手が決まっていない人は、踊りたい人を誘うし、そこから恋が芽生えることもある。

 自分の相手がこの人ですよ、と周りにアピールすることもある。



 だから、ルークが誰かと踊ることに驚いた。

 約束をしたってことは……どちらかが誘って、それを受けたということになる。

 ルークも彼女と踊りたいと思ったってことだ。


 急に胸が重石をのせたように重くなった気がした。


 でも、よく考えたらその通りだ。

 ルークはエマとだけ踊ると宣言したわけではない。


 だからルークは自由だ。

 好きな人と、いつでも好きなように踊っていい。


 それに……エマはルークにダンスに誘われてもいないし、その会にすら誘われていない。

 エマは舞踏会にも誘わないのに、ルークは彼女とダンスの約束をしている。


 その事実にぐんと胸が苦しくなる。



 ダフネはニヤリと笑った。

「知らなかった?でも本当よ。ルーク様は他の誰でもない、私と踊るの」

 楽しそうに笑って、ダフネは目を輝かせてエマを見た。

「私はルーク様と踊る初めての女性になるんだから。それだけじゃない。たった1回のダンスで終わらせないわ。私は絶対に、ルーク様の心を掴んでみせる。そして、ルーク様と結婚するんだから」

 思わず目を見張った。


 ルークが、結婚?

 驚いていると、目の前のダフネが腕を伸ばして力を込めてエマの肩を突いた。

「あなたがルーク様のそばにいるの、目障りなのよ」


 呆然としていたから、思わずその手をかわせなかった。

 エマはダフネの手に突かれて、体制を崩すとそのまま壁に体をぶつけた。

 ちょうど壁に飾ってあった絵の額縁に肩がぶつかって、痛みが走った。


「いたっ」

 それを見ても顔色を変えずに、ダフネは苦い顔をした。

「早くルーク様のそばからいなくなってよ」

 鋭い目でエマを睨みつける。

「あなたがいると迷惑なのよ」

 言うだけ言うと、ダフネは靴を鳴らしてそこから歩いていった。


 エマはしばらくそこから動けなかった。



 ******


「エマ、いい?」


 その日の夜、いつものようにルークがロキを回収しに部屋に入ってきた。

 いつもなら返事をするのに、その時のエマはそれをしなかった。


 ルークはソファに座るエマに近づいて声を掛ける。

「どうしたの?元気ないな。具合悪いの?」

 それにエマはふいと顔を背けた。

「……そんなんじゃない」

「なんでもないって感じじゃないけど。どうしたの?こっち向きなよ」

 素直にルークの顔を見ることができなくて、エマはさらに顔を逸らせた。

「何かあったの?」

 エマの顔を自分に向けようとして、ルークの手が肩に触れた。


 だけど、その手が昼間ぶつけた場所に触れて鈍い痛みが走った。

「いたっ」

「え、ごめん」

 手で肩を摩るエマに、ルークは謝った。

 だけどすぐに不審な顔になる。

「君、怪我してるの?見せてよ。ちゃんと傷の手当てしないと」

「……そんなんじゃないから」

 つい声がとんがってしまった。

 痛みの残る肩を自分の手で摩る。

「ちょっとぶつけただけ。なんでもないから、気にしないで」


 ルークが驚いた顔をしたから、エマはどうしていいかわからなくなる。

 二人の間の空気がギスギスしているのを感じて、気まずくて急いで立ち上がった。

 少し遅れてルークも立ち上がって、後ろから気遣うように声をかけてくる。

「エマ、何かあった?」

「何もない。本当に何もない」

 自分で言いながら、悲しくなる。


 何もなくない。

 どう見たってエマがおかしい。

 おかしいのはエマだけど、それは全部ルークが原因だ。



 舞踏会のこと、教えてくれなかったこと。

 それから……

 舞踏会でダフネと踊ること。


 毎日会っていて、たくさん話もしていて……

 それなのに、大切なことは一つも教えてくれなかった。


 その全部がエマの気持ちをぐちゃぐちゃにする。



「エマ?」

 ためらいがちにルークの手がさっきと反対の肩に触れる

 その手が優しく触れるから、エマは泣きそうになる。


 エマはルークに背を向けたまま、口を開いた。


「舞踏会のこと、どうして教えてくれなかったの?」


「……え?」


 ルークは明らかに驚いた声をだした。

 エマはそっと振り返ってルークを見る。ルークは焦ったように口を開いた。

「君、誰から聞いたの?」

「今日、王妃様に誘われたの。明日、私宛の招待状が来ると思う」

 ルークの顔がこわばった。

 あり得ないことが起きたって顔だった。


 それを見たら、エマは自分がわざと誘われていなかったことを理解する。

「私、誘われてなかった」

 エマは大きなため息をついた。


 ルークは取りなすようにエマに近づいた。

「別に黙っていたわけじゃない。君は魔法学校でも卒業パーティに行きたくないみたいだったから、こういう会が嫌いなのかと思って……」

 ルークはエマの正面に回り込むと腰を落としてエマと視線を合わせた。

「だから言わなかっただけで…、もし行きたかったのなら、ごめん。王妃から招待状が来たのなら、いかないわけないよね。一緒に行こう。準備は僕がするから、何も心配いらない」

 だけど視線を外して、エマは唇を噛み締めた。

「君、ダンス意外にうまかったよね。僕と一緒に踊ろう。楽しみだな」


「……踊らない」


 エマの言葉に、ルークは言葉を止めた。

 視線を上げると、エマを見るルークと視線があった。



「だって……約束してるんでしょう?ダフネ・ハントと」



 その時のルークの顔は忘れられない。

 目を丸くして、信じられないって顔をしていた。



 エマはルークから体を離すと、俯いた。

「だから、私は踊らない」

 自分でも信じられないくらい冷たい声が出た。

 ルークが眉を顰めてエマに近づいた。

「それ、誰に聞いたの?」

 そのルークの反応にエマは気持ちがさらに落ち込んだ。



 ルークは否定しなかった。

 つまり、ダフネと踊るのは本当のことなのだ。


 心のどこかで『嘘だ』と言ってくれるのを待っていた。

 だけどその望みも無くなってしまったことに、エマは声をあげて泣きたくなった。



「……誰でもいいでしょう?」

「エマ、落ち着いて僕の話を聞いて。誤解している」

「聞きたくない」

「僕が本当に踊りたいのは、彼女じゃない。だけど今回はどうしても……」

「気にしないで」

 エマは大きな声を出してルークの言葉を遮った。


「この会に私はおまけで呼ばれるようなものだから。それに、ダンスも下手だし」

 エマは俯いた。

「一緒に踊る約束をしてくれる人なんて、私にはいないから」

 ルークがそれに息を飲んだ。

 その顔に影が差したから、エマは自分がルークを傷つけてしまったことに気が付いた。


「……もう、この話は終わり」

 エマはそう言って顔を背けた。


 これ以上話していたら、もっときつい言葉をルークにぶつけてしまいそうだった。

 それに……泣いてしまいそうだ。



 エマは隣へ続く部屋のドアを開けた。

「もう寝るから。おやすみなさい」

 そうして両手でルークの背中を押して、ルークの部屋へ向けて押し出した。

「エマ、ちょっと待って」

 抵抗するルークを全力で押し返した。

「おやすみなさい」



 強引にルークを部屋から追い出すと、勢いよくドアを音を立てて閉じた。

 ドアの向こうからは、今もルークの声がする。

「エマ?ちゃんと話そう」

 それに大きな声で言い返した。

「もういい」

 ドアの向こうでしばらくルークの声がしていたけれどして、少しして、ドアの向こうの声は静かになった。


「もう、やだ」


 ポツンとつぶやいたら、エマの目から涙がこぼれた。


 自分がルークにとって特別な存在だなんて思っていない。

 だけど……本当は少しだけ、期待していた。


 ルークはエマは特別だって言ってくれるかもしれないって。


 ルークがエマをこんなに大事にしてくれるのも、あんなに優しく抱きしめてくれるのも……そこに何かあると、エマは心のどこかで思っていた。


 だけど、それは全部、勘違いだった。



 ルークはエマ以外の人とも踊るし、話をするし

 そうしたいと思えば手を繋いだり、抱きしめたりするのだろう。


 それに気付かされて、エマは声を上げて泣きたくなった。


 でも一番驚いたのは、そんな自分の気持ちだ。

 自分がルークの特別でないことに、こんなに悲しくなるなんて思わなかった。

 そんな醜い感情が自分のものだと思いたくない。



 全身から力が抜けて、思わずその場に座り込むと、慰めるようにロキが近寄ってきた。

 エマはロキを抱きしめた。

 ロキが慰めるようにエマに顔を寄せる。

 エマは手で涙を拭った。


「ごめんね、ロキ」

 そう言ってもう一度、ロキを抱きしめた。


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