第7話 卒業パーティまでには

 卒業式というのは特別なイベントだ。


 卒業式を境に、お世話になった先生、仲良く遊んだ友達……みんなと別れて別々の道を進む事になる。

 お礼を言ったり、再会を誓ったり……最後に密かに思いを寄せた人に愛を告げる人もいるだろう。

 卒業式はたくさんの思いが交差する、特別な行事なのだ。


 特に卒業式の後のパーティーは重要だ。

 最後のダンスを誰と踊るのか、みんなが気にする。

 この魔法学校では卒業パーティの最後のダンスは、一番思いを寄せる人と踊るのが慣習だったからだ。


 誰もが自分の思う人をダンスに誘う。

 誰が誰と踊るのか、式の1ヶ月も前からみんなが浮き足立つ。




「あの、卒業式のダンスは誰と踊るんですか?」



 ルーク・ヘイルズがそう女子生徒からそうやって声をかけられるのは、一度や二度ではなかった。

 正直に言えば、うんざりするくらいの回数、ダンスの誘いを受けていた。


 大抵の子は顔を赤くして、恥じらいながら、だけど期待を込めた目で自分を見つめる。

『誰もいないよ』と言えば、私とどうですか、と言って

『踊る人が決まっている』と言えば、何番目でもいいから、と言われる。


 女の子に優しくするのは男性として当然だと思っているし、可愛い女の子はもちろん嫌いではない。


 だけど、自分の心が動かない。

 そのせいかダンスを踊りたいと思えない。


 ルークはいつもの愛想の良い笑顔を浮かべて目の前の女の子を見た。

「ありがとう。でも、ダンスを踊るつもりはないんだ」

 笑顔で、だけどはっきりと断ると、その子はスッと探るような目をする。

「誰とも踊らないのですか?それとも相手が決まっているんですか?」

「いや。踊るつもりはないんだ」

 一人と踊ったら、他の子とも踊ることになる。そうしたらきっとその日は夜中踊ることになる。

 そんなの面倒だし、疲れるし、ごめんだと思う。


「本当に?本当は誰か決まっているのではなくて?」

「悪いけど、決まってなんかいないよ」

 丁寧に断ろうとしても、疑う彼女を追い払うのはそれなりに時間がかかった。笑顔で辛抱強く話をして、ようやく諦めてもらった。


 卒業式を間近に控えた今、女子の頭の中は卒業パーティのダンスのことでいっぱいらしい。

 ダンスのパートナーになってほしいと声をかけられて断るのも、そろそろ疲れてきている。


 ダンスなんて、どうでもいい。

 以前までのルークはそう思っていた。だけど今は違う。


 それはルークに、一緒に踊りたいと思う人ができたからかもしれない。




 その時のルークはすでに、自分が踊りたい人が誰かわかっていて、自分がその子に抱いている気持ちの名前もしっかり理解していた。


 それを自覚したときは、かなりの衝撃だった。

 信じがたい。どうかしている。

 そう思ったけれど、その時にはすでに遅かった。



 恋とは気がついた時には、もう、落ちている。

 完全に落ち切ってから、ようやく気がつくのだ。


 その時には、もう引き返すことなんてできない。




 自分の想いを理解した後、ルークは自分が意外と嫉妬深い人間なのだと知った。


 彼女が他の男と話していると、割り込まずにはいられなかった。

 彼女がみんなで勉強会をしていたら、そのメンバーが気になって、彼女が図書館で勉強しているときは、ルークも図書館に行った。


 一度、とある男子生徒が堂々と彼女に遊びに行こうと誘っていたのを見た。その時は、つい先生が呼んでいたと嘘をついて追いやってしまった。

 それ以来、ルークは彼に避けられている。


 そのうちにルークの態度を見て何かを察した男子生徒たちが、彼女に声をかけるのをやめてしまった。でも、それに思わず安心してしまった。

 我ながら小さい人間だとは思うけれど、そうせずにはいられない。



 ルーク・ヘイルズは世界で一番、彼女の恋人からは遠い場所にいる。

 それをルークは十分に理解していた。




 でも卒業パーティを前にしてルークが最も驚いたのは、エマがダンスの練習をしているらしい、ということだった。


 エマがダンスをしたがるなんて思いもしなかった。

 興味があるとも思わなかったし、どちらかというと嫌がると思っていた。

 ……なのに、なぜ。

 ルークにはその理由がわからなかった。


 もしかしてダンスを約束した相手がいるのかもしれないと思って、激しく落ち込んで、そのすぐ後にエマが誰かに思いを寄せているのかもしれないと思って、もっと落ち込んだ。


 そう考えると不安になって、彼女の周りにいる男性を見る目が厳しくなった。

 この間もエマとダンスの練習する男子生徒を、ルークは鋭い目で見てしまった。その男子生徒はルークの視線に気がつくとソワソワして、ダンスが終わるとすぐ、逃げるように走ってその場を去った。

 そのつもりはなかったけれど、結果として怯えさせてしまった。


 だけど、彼女と仲良くダンスをする人間は誰であっても許せそうになかった。





 その日、ルークが通りがかった廊下でエマがある男子生徒と話しているのが見えた。彼女の声が聞こえてくる。


「ね。お願い。少しだけ」

「いいけど……。他の人を当たってくれない?」

「だめ。もう他にいないの。お願い」

「……じゃあ放課後少しだけ」

「ありがとう!」


 その会話から、ダンスの練習相手を探しているとわかる。ちょうど顔を覗かせると、エマが走り去る後ろ姿が見えた。

 いつもと変わらず後ろで無造作に結んだ髪の毛が、赤いリボンと一緒に揺れているのが見えた。


 その後ろ姿に声をかけようとして、だけど足の速い彼女はあっという間にルークの声が聞こえないところまで行ってしまった。

 言おうとした言葉は、口から出る前に飲み込んだ。



 それから数日がたって、変わらずエマはダンスの練習相手を探すのに忙しくて、そしてルークは女子生徒の誘いを断るのに忙しかった。




 教室の移動のために廊下を歩いていると、反対側から一人の女子生徒が歩いてきた。


 彼女の名前は知っている。

 ララという名前で、エマの一番仲のいい友人だ。

 エマとは喧嘩という名の会話をするけれど、ララとはほとんど話したことはない。


 ルークはいつもの優等生の顔のまま、ララの横を歩いて通り過ぎる。

「ねえ」

 突然声がかかって、思わず立ち止まる。振り返るとララがじっとこっちを見ていた。

「なにかな?」

 ルークはいつものように笑顔で声を掛ける。ララは静かな顔でルークを見つめ直した。


「ダンス、誘うんでしょう?」

「……なんのこと?」

「エマのこと、ダンスに誘うんでしょう?」


 思わず答えに詰まった。

 このララ・スミスという女子生徒はいつもエマと一緒にいる。

 それはつまり、エマと話すルークのこともよく見ている事になる。だから、ルークのことも、ルークの考えていることも、もしかしたらルークの秘めた想いにも……気がついているかもしれない。


 だけど、素直に肯定するのは気が進まなかった。


「なんのことかな?」

「踊るつもりは今のところはないけど、踊りたくなったら、踊るでしょう?」

 なんだか自分の言葉を思い切りからかわれている気分になった。

 ララはルークを見て笑った。


「言っておくけど、エマはダンスがあまり上手ではないから」

「……は?」

「エマは一生懸命練習しているけど、初めて踊るし、きっと間違えると思う。ちゃんとリードしてあげてね」

「え?」

 ララは困ったような顔をした。

「自分が踊りたい子とは、踊るつもりでしょう?」



 それを聞いておもわずルークは顔を赤くした。

 自分の考えがそれほど仲も良くない人に読まれていることに驚いて、その顔を見てララは困った顔を少しだけ笑顔にした。


「エマのダンスのパートナーは、まだ決まってないわよ」

「え?」

 驚いて思わず返事をしてしまった。


 エマの周りの男子生徒にはそれとなく牽制をかけていたつもりだけど、抜け駆けも十分にありうる。

 誰かがエマとダンスの約束をしたのではないかと、ポーカーフェイスの下で実はとても心配していたのは事実だ。


 ルークの返事にララはとても苦い顔をした。その目が責めるようにルークを見る。

「誰かさんがあんなにべったりくっついてたら、他の男性は声をかけられないわよ」

「べったりって」

「べったりでしょう」

 ララは呆れたように言って、体の向きを変えて歩き出した。だけど、すぐに立ち止まってもう一度振り返った。

 思い出した、というようにその目が上を向く。


「ちょうど今、エマが校庭でダンスの練習をしていると思うけど……?」

 独り言みたいにそう言って今度こそ歩き出した。


 ルークは顔に手を当てて息を吐く。

 色々反論したいことがあるけれど、やめた。


 ルークはそっと足を校庭に向けた。



 特別な子と踊るダンスは、どうでも良くない。

 好きな子と踊るダンスは特別で、きっととても楽しい。



 自分はダンスの腕前には自信がある。だから別に彼女の腕前は気にしていない。

 ちゃんと彼女をリードできるはずだ。

 それに……、卒業パーティまでには、自分もダンスの練習をしておいてもいいかもしれない。



 ルークの目的地へと進む足が、自然とさっきより早くなった。


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