リスク恐怖症

 しばらく、沈黙が流れた。


 老人は言葉の意味がつかめていないようだ。


『婚約者が死んだのにかねか?』


「会社が倒産? そんなの嘘だよ! 金を貢がせるためのな」


 男性はまだ、小さく笑っている。


「オレは、ヤクザの手下。ただのゴロツキ。女から入る金がオレの給料なのさ」


 最低の男だった。真面目sそうな風貌を利用して、これまで数えきれないほどの女性をだましてきた。


「この話を聞いたとき、オレは震えたね。一生遊んで暮らせる金が入るなんてな。だますのは意外と手間がかかるんだよ。もう飽き飽きだ」


『ハッハッハッハー』


 老人の笑い声がスピーカから響いた。


『ここに来る人間は、こうでなくちゃいかん!』


 若い男性は、予想外の反応に驚きの表情を見せた。しかし、すぐに元の険しい目つきに戻った。


『小説家というのは嘘か。では、すぐに挑戦するかね?』


「確かに嘘だが、アンタに興味があるのは本当だ」


『では、話してやろう。誤解なきように言うが、ワシの望みは人殺しではない。むしろ、金塊の扉を開けてほしいのじゃ』


「意味が分からないな」


『実は、ワシは「リスク恐怖症」なのじゃ』


「何だそれは? 聞いた事がないな」


『当然じゃ。ワシが命名したからな。精神病じゃな。とにかくあらゆる危険要因が怖くて仕方ない』


「いま、アンタがやっていることと、矛盾していると思うが」


『ワシはコンピュータの研究者じゃった。五十年も前のことじゃがな』


 突然、過去に話が飛んだが、男性は黙って聞くことにした。


『博士号を取ったワシは大学に残り、助手として研究を続けていた。そんな時、研究室に入ってきた若い女性と恋仲になった』


「爺さんの恋の話に、興味はないぜ」


『その女が悪い奴での。助手として初めてもらった給料を盗んで消えてしもうた』


「ハハハ、それは滑稽こっけいだな。オレが騙し方を教えてやろうか?」


 老人は、気にせずに話を進める。


『女性はリスクの塊だと気が付いた。多くの男性が女性関係で破滅してく。一般人も芸能人も……。ワシはそれを体感して恐怖した。何とか取り除かねばと思った』


「オレは、女性をリスクに思ったことなどない」


 男性はうすら笑いで答えた。


『ワシは飽きてしまうほど沢山の女性と付き合えばいいと考えた。そのためには金がいる。君ほど男前じゃなかったらかのう』


『金さえあれば、女は寄ってくる。持ち逃げされたって痛くないほどの金。そこで、ワシは気付いた。「金」自体もリスクだということに。金がなければ、女どころか生活すらできない。だから、金のリスクをまず取り除くことにした』


「宝くじでも買ったのか?」

 

 男性は会話を楽しんでいた。


『音楽じゃよ。「匿名作曲家N」という名を聞いたことがないか?』


「まさか、それがアンタってことねえよな」


『そのまさかじゃよ。音楽は所詮しょせん、楽譜という決まった記号の羅列。ワシは得意のコンピュータを使って新しい曲を作るプログラムを作った』

 

『好みを入れると自動で作曲してくれる。音楽に造形のないワシが作ったプログラムがな。音楽はいい。曲さえ作れば、顔を合わせずに仕事が受けられる。曲が売れれば長期間、金が入る』


「匿名作曲家Nは若い男性だと聞いた事があるが」


『過去数十年、数えきれんほどの偽名で活動したもんさ』


「扉の向こうの金塊もその金で買ったってことか」


『そうじゃな。話を戻すと、かねに不自由がなくなったワシは、片っ端から女性と付き合った。極上の女性もおったの。金さえあれば多くの女を囲うことができた』


「オレもそうなりたいねえ」


 男性はからかうような口調で言った。

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