しっしっ

 ティムからプロポーズされて以来、月花の彼への思いは急速に高まっていった。と同時に、大学への嫌悪感も次第に強くなっていった。足だけはルーティンワークで大学へ向かうが、心はいつもそこから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 それが決定打となったのは、同じゼミ生の辺見陽一郎の発表を、木根が絶賛したことだった。やる気の低下に伴い、月花への木根のコメントは厳しいものとなっていた。しかも、どうしてそこを指摘されるのか理解出来ないことが多かった。

 それに対して辺見は絶賛されたわけであるが……その理由もまた月花には不明だった。つまり、木根がいったい何を評価するのか、その基準が全くわからなかったのだ。

 これまで色々なことを勉強していたが、どんな苦手科目であっても正解不正解の基準ははっきりしていた。ところが木根ゼミではそれが曖昧模糊としていて、間違いだと言われても反省のしようがなかった。

 また木根は気性が荒く、笑ったかと思えば急に怒りだしたり、学生に当たり散らすこともしばしばあった。またアル中なのかゼミの最中に熟柿臭い息を撒き散らすこともあった。

 こうして木根尚子への反感を募らせているうちに、大学にも嫌気がさすようになった。

「大学なんか嫌い。あっちへ行け、しっしっ!」

 そんなことをノートに書きなぐったりもした。


 そんなある日、京橋コムズガーデンでティムと待ち合わせた。大阪環状線と京阪電車が交差する京橋駅界隈は、二人の待ち合わせに適していた。大きく地面をくり抜いた広場の周りに店が並ぶ地形で、その広場のベンチに月花は腰を下ろした。

 すると、向こうの方から辺見陽一郎が歩いて来るのが見えた。ああ、今会いたくない……そう心で思っていると、逆に気づかれてしまった。

「やあ遠藤さん! 奇遇だねえ、もしかして彼氏と待ち合わせ?」

 ああ、デリカシーのない男。月花は呆れる。

「まあ、そんなところかしら」

 辺見とこんな話をするのは気持ち悪い。肌がツヤツヤしてコロコロ太ったボンボン。肉食獣がここにいたら真っ先に餌食となるだろう。

「ところで君さ、ゼミで結構苦労してるよね。木根先生の心を掴むポイント、教えてあげようか?」

「結構です」

 この手の男に人間関係で教わることは何もない。

「ちょっと、そんなに冷たくしなくても……」

 振り払いたいのにしつこく話しかけてくる。困ったな。そう思っていると、少し離れたところでティムがこちらの様子を伺っていた。

「ティムさん!」

 月花は辺見を振り切り、ティムの方へと駆け寄った。


 

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