始まりのキス

 あの騒動で、白石奈々子は殺人未遂で逮捕。心身喪失だの心神耗弱状態だったと主張し弁護側は頑張っている。

 倉持卓也は傷害罪には問われなかった。本人は実行犯では無く証言者も出ず肝心の被害者である僕は記憶が無い。

 今回は白石奈々子を止めようとしたのもあり、お咎めなしだった。

 しかし、担当の刑事 森崎さんは引き続き倉持の余罪含めて調べると言っていた。


 今日は帆乃花の両親と帆乃花と僕で食事に行くことになっている。娘さんと同棲しているのに挨拶が今になってしまった。過去にあまり芳しくないやり取りがあったというのは帆乃花から聞いているし、日記にもあった。

 記憶が無い為、僕は人並な緊張をするだけで済みそうだ。


 帆乃花がやっと服装が決まったようでリビングにやってきた。髪を半分だけ上げてお嬢様みたいだ。


「可愛い。ご両親に会うのに帆乃花の方が緊張してる?」

「だって、これからは絶対、賛成して欲しいから。」

「そうだね……でも帆乃花が可愛くなりすぎたら僕につり合わないよ」

「そんなことない。ひろに見合うようにしたんだから」

「ははは 僕はぱっとみ、いい人そうに見えるかな……闇があるヤツに見えるかな?」

「闇から抜け出しましたって顔してるよ。爽やかな顔してる」

「そ?」

「うん。今の褒め言葉だからねっ」

「はいはい ありがとう」


 ◇


 待ち合わせのレストランに入ると、後ろからちょうどご両親がやってきた。想像したより穏やかそうな表情のお父さんが手をあげこちらへ来る。


「やあ 佐々木君 何年ぶりかな?老けただろ あ そっか」

 とお父さんは帆乃花の方をちらりと見た。僕の記憶喪失を忘れていたように話そうとしたのを止めたお父さんに僕は改まって口を開いた。


「初めましてではないですよね。あ 佐々木博文です。帆乃花さんと家族になる事を前提でお付き合いしております。一緒に住んで……も居ます。ご挨拶もせずにすいません……。」


「家族……君は昔、そんなふうには言わなかったね。まあ若かったしな。私達大人が随分と君を否定してきた。佐々木君は覚えていないと思うが、一言言わせてほしい」


「はい。もちろんです」

「ごめんなさい」

「…………」

 お父さんもお母さんも突然頭を下げた。帆乃花はそれを見て泣きそうになりながら堪えていた。


「君を理解しようとしなかった。今より若かったはずの私達は今より堅物だったようだ。それから、あんな酷い事をした友人や、あの男をいい人間だと信じていたんだ。私は娘の親なのに、何も見えていなかった。この間も君が一番に駆けつけて娘を守ってくれたんだ……ありがとう」


「いえ……。僕は……記憶がない分自分が残した物でそれを埋めようとしました。けれど、どれも他人の人生のようで……。ただ帆乃花、あ、帆乃花さんと居ると僕は僕らしいというか……とにかく幸せです」


「おっいい言葉で締めたな。佐々木君。不束かな娘ですが宜しくお願い致します。」

「あ……はい。大事にします」

「ちょっとお父さん!佐々木さんまだ下さいって言われてないわよ!」

 とお母さんが突っ込み頭を下げ合うのをやめ、和やかな食事となる。



 ◇



 家に帰る道で歩いていると帆乃花が腕を組む。


「珍しいね。帆乃花がこうするの……」


 僕の肩あたりに頭をつけ、ぎゅっと腕にしがみつきながらその愛らしいひとはなにか言いたげだ。


「もう……私、ひろに甘える。ひろに愛してほしいって全面に出していいんだよね?」

「え?」

「ちょっとね、ずっとね。遠慮してた。あの人と結婚してしまった自分が、ひろに求めていいのかって……」


「当たり前だよ。全部 帆乃花がしたいようにすればいいんだよ。僕はその為にここにいる」

 鼻水をすする帆乃花は赤い目をしていた。うさぎみたいに。その頬を持ち口づけをした。全く動かない冷たい鼻先がこそばい。


「あれ……なんか……」

 この感じ……前にもあった気がした。デジャブというやつだろうか。


「最後のキス」

「え?」

「そこの公園で、高校の頃……別れ話した後……ひろは、私に今みたいにキスした」

「最後か……。じゃ、今のは始まりのキスにしよう」

「……うん」

 頷いた帆乃花はもう一度赤くなった目を潤ませて笑った。

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