君は大事な人

 その夜は雨が降っていた。珍しく家に居た僕は珍しく家に居た父に厳しくやられた。こんな調子で適当な大学行って適当な人生歩むなら長男辞めてくれって。

 ムスッとした僕に苛立った父は、母方の祖母の家に僕を預けると言い出した。

 うちには弟と妹がいる。不真面目な兄が目の前で要らないもの見せなければ二人は真っ直ぐに育つだろう。真っ直ぐレールの上を歩むだろう。


 僕は父と向き合わずに背を向けて逃げ出した。

 原付にまたがって、黒く光ったアスファルトを雨上がりのあの虚ろげにじめついた匂いを鼻に吸い込みながら走った。どこへ行くわけでも無く。


 それで、事故った。

 滑ってスライドするように対向車線に車も来ていないことを確認しながら……こうなるから、帆乃花ほのかを絶対に乗せなかった自分を少し褒めた。



 病室の天井を見上げる日々……何日目だろう。家族は呆れたようだった。僕はほんと、百害あって一理なしの息子だ。

 帆乃花には知らせなかった。数日連絡つかなくても気にもされないだろうというのが僕の予想だ。



「何してるの!?」

「……え?」


 僕の予想はあっさり裏切られた。


「帆乃花、誰に……」


 読みかけの本をお腹に置いて、彼女を見たらいつもの調子いい口からは言葉が出ないようで代わりに、目から何かが溢れ出そうなのを堪えて口を結んでいる。

 へえ そんな顔するんだって客観視していた。


「馬鹿……死んでたらどーするの」

「死んでたら、そんときはそんときだね」

「……そういうこと軽く言わないで」


「僕が居なくなっても悲しむ人なんて居ないから。四十九日が過ぎるころには案外みんなケロッとするんだって。悲しむ友達はまず居ないね。友達が居ないから ははは」

「……私がなってあげるよ。悲しむ人に」

「…………」

 少し動揺する自分を跳ね除けて出たのは

「悲しむ人になるなら、大事な人にならないとね」

「じゃ、ひろは……私の大事な人だよ」


 ベッド脇に立った帆乃花の手を引っ張った。

 上体を起こしてた僕の右側に左手を着いて僕に当たらないように気を使って踏ん張った帆乃花の頭を捕まえた。

 そして、キスをした。


 彼女は僕の見舞いに来て大事な人ですって言ってしまったが為に僕に唇を奪われた。


「もっやっぱり手が早いんじゃない?」

「そうかな……これは大事な人への儀式だから」

「儀式?……そういうことなら、謹んでお受けします。うっ……ははははは」


 帆乃花は笑い飛ばした。笑い飛ばしながらも僕らの関係は前とはもう違ったように感じられた。



 ◇


 退院後、ニ学期からは祖母の家から通学する事になった。

 夏休みに入るまでは最寄り駅からいつものように通学する。

 朝、帆乃花と居る女子高生は白石 奈々子だ。帆乃花に言われて思い出した。白石とは中学同じだった。

 事故のことも、入院も白石のとことうちの母が仲が良いため耳に入ったらしい。そのおかげで帆乃花がお見舞いに来てくれた。普段はうざい母のネットワークに感謝した。


 学校の帰り、僕らは乗換の駅で待ち合わせる。

 帆乃花の塾が終わるまで時間を潰すために今までしなかった受験勉強をしたり、本を読んだり、高校生らしい時を一人で過ごす。

 お一人様は好きだ。何に気を使うことなく全てが自分のペースで自分の頭の中で完結する。



「何してたの?一旦家に帰らなかった?ああ、そっか電車のるのめんどくさいよね……ごめんね」

「いや 待つのけっこう好きかも。腹減ったなあ〜」

「そうだっ!奈々子のバイト先で食べようよ。」

「バイト先って?」

「すぐだから、そこ」


 駅に直結したモールの中を手をつないで歩く。僕らはすっかり高校生カップルだった。いつもはポケットに突っ込むか、滅多に鳴らない携帯を持つ手が彼女の手を握る。


 向かった先はスーパーだ。惣菜のおにぎりと野菜炒めとたこ焼きを買いイートインスペースにそれを広げた。


「天むすってさ最高に贅沢だよね」

 と帆乃花は得意げに前に座って言い出した。

「そう?出来損ないの天丼みたいじゃない?一口天丼」

「そうかなあ、梅か鮭か昆布か?ってとこに、いきなり海老天刺さってたらやっぱり贅沢だよ」

「はははっ。しょうもな……」

「ひどいっでも、ひろ楽しそう。私のおかげ?」

「なにそれ。自惚れグセがあるようだね。二人っきりになれるならもっと自惚れさせてあげる」

「なんかイヤらしいなあ。ひろが言うと」

「そう?そんな色気ある?」

 呆れたように眉をハの字にした帆乃花は天むすにかぶりついた。こんなしょうもない時間が僕ら、いや少なくとも僕には宝物だった

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