2017/2/24 偏差値至上主義の原点は

 2017.2.24〈入院25日目〉


 色々なことを考えたり思い出したりしている。忘れないうちに書いておく。


 小学生の頃の話。私と父で東京の全ての私立中学校のブースがあるイベントに参加した。確か小学5年生の時だ。

 後に進学することになった、偏差値70の中学校のブースに行ってみた。後ろのブースにはとても可愛い制服が置いてあった。気になった。

 偏差値70の中学校の説明を受けたあと、私は父に「後ろの学校も見たい!」という感じの自己主張をした。


 ダメだと言われた。その学校の偏差値は低いから、他の中学を回るときに冷やかしだと思われるぞ…といった説明付きだったはず。


 他にも、中学受験の時は「この(偏差値)表のここ(60のライン)から上以外はダメです」という我が家のルールが存在したり、

 中3~高1の頃にメイドカフェに行ったときは「この子は話し方が賢そうだね」「この子は馬鹿っぽいから推したくない」という父の独り言(?)があったり。


 いつの間にか、わたしは「偏差値70の中学校に通う私に価値はある」「偏差値という概念が存在しない通信制高校の私には価値がない。這い上がろう」「偏差値35の短期大学生の私の価値は低い。大学に編入しないと」と思っていたんだと思う。


 もちろん、入試難易度など人の価値を測定するものではないのに。入試難易度≠賢さ だし。



 そもそも中学受験は、小学校での人間関係が上手くいかず、いじめられているような状態だった私に、父が同じ小学校の人たちと同じ中学校に通わなくて済むように提案したものだった。

 結果論だが、中学でも人間関係が上手くいかなかったので、何も解決しなかった。もっと…こう!私を幸せにする方法が!あったのではないかと!!思う!!

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