第10話 勇敢な姫君

「ヴェルメリオ様、アズゥミル様。お手をどうぞ」

「はい! 王太子殿下」

「は、はい……殿下」

 東屋あずまやの隣、白い天幕の中に野外用らしい、瀟洒しようしやなテーブルと椅子が用意されていた。

 フィーアは小さな淑女たちに手を差し出して、二人を会食の席にエスコートする。

 二人の喜びと緊張が、微かに震える掌から伝わって来て、フィーアはそっと微笑んだ。

『憧れている』などと言われれば、フィーアとて心が動く。うつむきがちに両隣を歩く双子たちが、愛らしく思えた。

「あ、あの、王太子殿下、わたくしのことはどうか、ヴェル、とお呼び下さい」

「わ、わたくしはアズゥ、と……」

 耳までを赤く染めた双子たちが、フィーアを見上げてささやくように訴えた。

「それでは、私のことはフィーアと。親しい者はみなそう呼びます」

 フィーアは小さく首肯しゆこうして、二人を席に導く。アルフォンスにうながされ、双子たちの正面にフィーアが着席する。

 すると、双子たちは夢が現実になった者のように、陶然とうぜんとフィーアを見つめた。

 この会食はアルフォンスが、可愛い妹たちのために用意した場だ。それがはっきりと解って、フィーアは内心苦笑する。

「フィーア様、魚料理はお好きですか?」

 アルフォンスは微笑みを絶やさずに、フィーアに訊ねた。

「はい。好きですね。特に川魚は食べ慣れています。ニクスでは、海の魚は手に入りづらいので」

 ニクスは山々に囲まれた土地で、海沿いの港街は少ない。険しい山を越えなければ海産物の輸送は出来ないため、流通量は自然と少なかった。

「なるほど、やはりそうでしたか。本日のお料理は歓待の意味を込めまして、海の魚を中心に選ばせていただきました。ニクスのことわざで、『海魚のスープを振る舞う』と言うのは、『お客様を最大限歓待する』と言う意味だとお聞きしましたので」

「はい。ニクスの冬は長くて寒いのです。身体が温まるスープのなどはご馳走です。それに、手に入りづらい食材を使うことは、客人を楽しませたいと言う、精一杯の持てなしの心なのです」

 フィーアが答えると、アルフォンスは会心の笑みを頬に浮かべた。

「まずはそのスープから参りましょう。侍従長、もういいよ。運ばせてくれ」

 アルフォンスの合図に、侍従長は一礼して答える。直ぐさま、澄んだスープに白身の魚が沈んだ一皿目が運ばれて来た。

 スープは塩味も程よく、白身の魚はほろほろと優しく柔らかい。それでいて、後味にはわずかにピリッとする香辛料が効かせてあった。なかなか、食欲をそそる一品だ。

「フィーア様、お味はいかがですか?」

「あ、あの、お味はいかがでしょう?」

 双子たちが、心配そうに一斉に同じ事を訊ねて来る。フィーアは双子たちに微笑みを向けて、一口スープをすくった。

「はい。とても美味しいです。これは何という魚ですか?」

「は、はい! この国ではドラード、と呼んでおります」

「う、海の魚なんです……お、王都は内陸なので、新鮮なドラードはなかなか手に入りません……」

「感謝申し上げます。私のために、そんな貴重な物をご用意いただいて」

 開けた港のあるヴァローナでは、新鮮な海産物が何処でも手に入るものだと、フィーアは思っていた。訪れてみなければ、他国の実際などわからぬ物だ。

「さあ、スープが冷めない内に、召し上がって下さい。ヴェル様、アズゥ様も」

「は、はい!」

「あ、あ、有り難うございます……」

 憧れの人に名前を呼ばれて、目に見えて狼狽うろたえる双子たちは、ここが会席の場だという事も忘れているようで。フィーアに促されて、やっとスープを飲み始める。

 フィーアが視線を転じると、アルフォンスは眼を細めて、双子たちと客人の遣り取りを見守っているようだった。


 デザートまで、昼食を終えた。

 前菜は魚介のテリーヌに、塩漬けにした魚卵とハーブベースのソースを添えた物。メインの魚料理は、赤身の魚をソテーした物で、酸味の利いたソースが絶品だった。

 そのどれもが、海の魚介なのだろう。フィーアには食べ慣れない味だが、美味であることは間違いない。

 食後にカファコーヒー紅茶ホンチヤのどちらが好みかたずねられ、フィーアは迷わずカファを選んだ。

 紅茶は、近頃流行しだした飲み物で、黄成こうせい原産の植物の葉を発酵させて作られる。飲み口は爽やかで、心を落ち着け、口をさっぱりさせてくれる効果がある。

 だが、フィーア好みからすると、少しばかり刺激が足りなかった。

 食事中、双子たちの口から話題が出る事はほとんど無かった。

 上の空で料理を口に運びながら、フィーアが語る母国の他愛ない話題に何度も頷いている。

 双子たちが特に喜んだのは、フィーアが剣の練習を始めた頃の話だった。


 フィーアが三歳の頃、兄上様が剣術の稽古を始めることになった。その頃は兄上様にいつでもついて回っていたフィーアは、兄上様の練習をかたわらで見続ける。その内に、自分でもやってみたくなって、見よう見まねで木剣を振るようになった。

 初めのうちは、木剣を振っていると乳母たちに取り上げられてしまった。『姫様がこんな物を振り回すのはいけません』と言われて。

 それでも、幼いフィーアは剣の練習を止められなかった。

 ある日、兄上様の練習を見るために、『剣聖』とも呼ばれていた騎士団長リド・ザーク、エリュース・スムナが練習場にやって来る。

 エリュースは、兄上様に稽古をつけた後、練習場の片隅で木剣を振っていたフィーアに目を留めた。

 豊かな白髯はくぜんを蓄えた老年のエリュースは、フィーアに『剣はお好きかな?』と訊ねた。フィーアは素直に『うん』と答える。『強くなりたいですか』とも聞かれた。それにもフィーアは『うん』と答える。

 それからエリュースは、毎日のように練習場にやってくるようになった。

 フィーアの前で、剣聖は剣術の型を幾度となくなぞって見せる。時には部下である騎士たちに、練習相手を務めさせることもあった。

 構え、払い、突き、刺し、切り。エリュースの太刀筋は軽やかに舞うように見えて、精確そのもの。

 フィーアはすっかり、その姿に魅了されてしまった。

 ──あんな風に動きたい。あんな風に剣を振りたい。

 エリュースはフィーアに、何かを語りかけるでは無い。ただ精確な型を示し続けてくれる。フィーアはそれを脳裏に焼き付けて、何度も何度も夢中で型をなぞった。

 乳母やマゲンタロート侍従長は、いつしかフィーアから木剣を取り上げることを諦めた。

 練習用の木剣が鋼鉄製に変わり、フィーアが七歳になった年の夏。

 エリュースは、正式にフィーアの師となったのだ。


「……それから、私は剣術の練習を続けてきました。その甲斐あって、今では騎士たちと共に魔獣狩りに出ることもございます」

「……まあ……『白の剣姫』様……いえ、フィーア様は、そうして『剣聖』様に見いだされたのでございますね……!」

 うっとりと、ヴェルメリオは頬に手を当てて、夢見るようなひとみで呟いた。

「……魔獣狩り……ま、魔獣は恐ろしくないのですか? フィーア様」

 アズゥミルは眉を寄せて、恐々とフィーアに訊ねる。

「恐ろしいですよ。中には手強いモノもおりますゆえ。それでも人にあだなす魔獣は狩らなければなりません。民に犠牲者が出る前に」

 それが、フィーアの本音で。魔獣はどんなに強力なモノであっても、騎士たち、天法士てんほうしたちと力を合わせれば退けられる。それよりも、民に多くの犠牲者を出して、民の不満を溜めてしまう事の方が恐ろしい。

 民に見捨てられた王には、未来など無いのだから。

「……フ、フィーア様は本当に勇敢なお方なのですね……フィーア様、あの、そ、その、ど、どうしたら、臆病なわたくしもフィーア様のような勇敢な姫になれるでしょう?」

 アズゥミルが、思い詰めたようにフィーアを見上げる。フィーアはその言葉に、虚を突かれたように口をつぐんだ。

「……」

 ──自分は果たして勇敢、なのだろうか?

 恐ろしいと感じる事は、山のようにある。ただ、今はまだ逃げ出したいと思わぬだけ。

 ただ、恐怖を感じる心が、鈍いだけなのでは無いか?そんな風に思うこともある。

「……私は、自分が勇敢だと思ったことはありません。ただ、恐怖に鈍いだけの、愚か者です。そうやって、一生懸命、勇敢になりたいと私に質問されたアズゥ様のほうが、よほど勇敢だと私は思いますよ」

 フィーアの返答に、アズゥミルは驚いて眼を見張った。

「……わ、わたくしが、勇敢……?!」

「はい。勇敢な者とは、自分の弱さを知っている者です。弱さを自覚してなお、先に進みたいと願う者です。アズゥ様はご自分を『臆病』だと言った。それでもご自分を変えようとしている」

 それを、『勇気』でなくて何と呼ぶのか。

 フィーアは、幼い姫君に柔らかい笑みを向ける。アズゥミルは感極まったように憧れのフィーアを見つめて、「有り難う、ございます……!」と、それだけ口にした。

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