第6話 謁見

「ご挨拶申し上げます。アートルム王陛下。わたくしはア・レイナ・フィー=リーア・アルブムと申します。ヴァローナ国において学問をおさめるべくニクス国より参上いたしました」

「遠方よりはるばる、ようこそお越し下さいました、王太子殿下。私はリド・フォス・ア・レ・メラン=ズ・アルフォンス・アートルム。この国をおさめる国王、並びに天法士てんほうし団の長であり、また、『国立天法院』の長でもあります。今宵、王太子殿下を我が城にお迎えすることが出来て、嬉しく思います」

 初対面を装って、フィーアとアルフォンスは言葉を交わす。

 五大国と呼ばれる大国群の一角を担う国の王と、いずれ王となる王太子。

 親しみの感情を顔に出さぬ術は心得ている。二人は何食わぬ顔で対面する。


 フィーアが謁見の間に入った瞬間、軽いざわめきが起こった。

 この部屋に会する人々は、みな王族か国の政治の中心にいる上級貴族。礼儀をわきまえているはずの彼らにも、フィーアの男装は意外だったようだ。

 小声で「あれがニクスの『第三王子』……」「白の剣姫とはいえ、あんな服装で……」などとささやき合っている。

 フィーアはと言えば、そんな人々のさえずりなど何処どこ吹く風。丁重に王だけに礼をし、何事もないように礼を受けている。

「アートルム王陛下。こたびの留学をお許しいただき、このフィー=リーア、誠に感謝の念に堪えません」

「王太子殿下、大いに学んで下さい。学びはいずれ殿下の血となり骨となり、殿下の道を照らす良き炎となるでしょう」

 アルフォンスは知の国の王らしく、理智の輝きを感じさせる穏やかな声音で告げる。

「肝に銘じます。アートルム王陛下」

「一週間は我が城にご滞在下さい、王太子殿下。その間に歓待の宴など催したいと思います。『学究の館』へ向かわれるのはその後にでも」

「アートルム王陛下。お申し出に感謝申し上げます。お世話になります間、是非この若輩者にヴァローナ国の叡智をご教授下さい」

「ええ、王太子殿下。大いに語らいましょう」

 玉座に有り、王冠を頭上にいただいたアルフォンスの顔は犯し難い気品や王の威厳とでもいえる物を持っていた。

 それでも最後にフィーアに向けた微笑みだけは、中庭で出会った時のように柔らかだった。

 謁見は、和やかに滞りなく済んだ。フィーアは供回りの一団と一緒に、謁見の間を退出する。


 ヴァローナの王城、優美さを感じさせる内装の廊下を、一糸乱れぬ足並みでニクスの王太子一団が行進する。

 武の国・ニクスの名に相応しく、その足取りは威風堂々と。その場に居合わせたこの城の侍従たちは頭を垂れながら、威に打たれたように縮こまる。

 賓客のための部屋へ戻ったフィーアは、純白のマントと刺突剣レイピアを侍従に任せて、衛士たちの前に立った。撫でつけていた髪をくしゃりと乱し、素に戻ったフィーアは愚痴めかして小さくため息をついた。慣れているとは言っても、堅苦しいのはやはり性に合わない。

 すでに時刻は夕刻を迎えている。この城に到着したのは、昼下がりだったというのに。

 窓の外に見える中庭は、すっかり黄昏時の闇に沈んでいた。

「侍従長。腹が減った。晩餐ばんさんの前に何か軽くつまめるモノを用意してくれ。それから衛士たちにも振る舞ってやれ。みなここまで本当に大儀だった。礼を言う」

「はっ」

 労いの言葉を受けた衛士たちは、当直の者を残して部屋を退出していく。賓客用の部屋の中には、フィーアと数人の侍従たちが残された。

 侍従長が用意した軽食は、小振りなヴァローナ風のパンに肉や野菜を挟んだモノだった。フィーアはそれを頬張り、カファで流し込んだ。

 食餌は滋味があって、食べられるものなら何でも構わない。

 それがフィーアの考え方で、奢侈しやし正餐せいさんなどは社交の為に仕方なく参加する無駄なモノであった。どうせ味わって物を食うことは無い。ならば先に腹拵はらごしらえしておいた方が良いだろう。

 二つ目のパンを噛み砕き飲み込みながら、フィーアは侍従長から晩の予定を聞く。

「晩餐は晩餐の間できんの二刻(二十時頃)から、二刻(約二時間)ほどのご予定でございます。ご列席なさいますのはアートルム国王陛下、パトリック王弟殿下、サーローヴ第一大臣様……」

 侍従長は十人ほどの人物を、つらつらと挙げていく。フィーアは半分を聞き流しながらカファの最後の一口を嚥下えんげした。

「それがこの国の『お偉方』と言うヤツか。注意すべき者は?」

「アートルム王陛下は温厚なお人柄と聞きました。こちらは大きな問題はございませんでしょう。真に注意を払うべきは……パトリック王弟殿下、とサーローヴ第一大臣様、でございましょうか。王弟殿下は正妃様の御子で、国王陛下は第二夫人の御子でございます。前国王は『長子が国を嗣ぐべし』と御遺言なさいましたが、それまでは二つの派閥がしのぎを削ったと聞き及んでおります。第一大臣様は王弟殿下派の実力者。また、娘を王弟殿下に嫁がせたと。お気を付け下さいませ」

 侍従長とその優秀な部下たちは、ほんの数刻の間にこの国の情勢把握に乗り出していた。

 もちろんニクス国内にいた頃から、情報収集は始まっていた。国内外の噂をり集め、ふるいにかけて、王太子がおもむくヴァローナという国の内情を探っていく。それもひとえに、フィーアと言う主の身の安全ためだった。

「苦労をかけるな、マゲンタロート」

 侍従長の本名はマゲンタロート。彼女の娘はフィーアの乳母を務めた。彼女にとっては、姫君は可愛い孫も同然の存在だった。

「いいえ、いいえ! 姫様の御為おんためなら……わたくしはどんな苦労も喜んでいたします」

「……有り難う」

 珍しくフィーアは顔を綻ばせた。それは、慎ましい庭の花が咲いたように優しかった。

 母を早くに亡くしたフィーアにとって、侍従長親子は本当の母や祖母のように親しい者たちだ。頼りにもしているが、彼女たちが幸福に暮らすことこそがフィーアの望みだった。

「くれぐれも無理だけはするなよ。パンは美味かった。さあ、晩餐用の正装を用意してくれ」

 気持ちを切り替えたフィーアがそう命じると、侍従長は優雅に一礼して支度を調ととのえにいった。


 晩餐用の正装に着替え、フィーアは給仕役の侍従と衛士二人を伴って晩餐の間に向かった。

 今度の正装は、謁見用の物より身体を締め付けないようになっていた。ベルトも革製ではなく布製のサッシュベルトで、マントも儀礼用の剣も無い。フィーアが身に着けている物は当然のように男性用の物で、ニクスで尊いとされている白を基調に仕立ててあった。

 フィーアは客用の上座に案内される。この城の主であるアルフォンスは、すでに主人用の席に着いていた。

「アートルム王陛下。失礼いたしました。少々遅れてしまいましたか?」

 問いかけるフィーアに、アルフォンスは華やかに微笑んだ。

「いいえ。丁度良いお時間ですよ、王太子殿下。今夜はお疲れでしょうから、正餐ではなく身内だけのささやかな晩餐でおもてなしさせていただきます。どうぞ、お寛ぎください」

 うながされるまま、フィーアは席に着いた。彼女の隣には、晩餐のために着飾った婦人が座り、正面にはパトリックが陣取っていた。

「本来なら、私の妻が殿下のお隣でお相手を務めるのですが……生憎私にはまだ妻がおりません。今日は賢弟の妻に大役を任せました」

「ご紹介にあずかりました。お初にお目にかかります、王太子殿下。わたくしは王弟殿下の第一夫人で、オルタンシャ・ヴァレックと申します。以後お見知りおき下さいませ」

 オルタンシャは、大輪の花のように笑う。

 ――なるほど、これが第一大臣の娘。

 恰幅の良い父とは似ても似つかない美しい夫人は、赤毛を巧みに結い上げ、数々の宝石で身を飾っていた。眼にもあやな胸元の広いドレスは髪に合わせた紅色。

 その、これでもかと人目を惹く貴婦人ぶりに、フィーアは内心で辟易へきえきとしながら顔には微笑みを絶やさない。

「ご挨拶いただき痛み入ります、ヴァレック夫人。貴女は艶やかな花のような方ですね。わたくしはア・レイナ・フィー=リーア・アルブム。どうぞフィー=リーアとお呼び下さい」

 フィーアは騎士のように胸に拳を当てて礼をする。相手がニクスの貴族なら、ダメ押しに手の甲に口付ける位のことはしたかも知れない。だが、ヴァローナでは露骨な求愛とされる行為を実行するつもりは無い。

 この代わりに片眼を軽くつむってから、じっと年上の夫人を見つめる。

 凛々しい少年のような王太子の仕草に、オルタンシャは戸惑うように瞬いた。

「まあ! フィー=リーア殿下はお世辞がお上手でいらっしゃるのね!」

「いいえ。けして世辞などでは。わたくしは心に思ったことしか口にいたしません」

 貴女は花だ。けばけばしく匂う艶やかな大輪の花。だが、それを好まぬ者もいる。その事は口に出さぬだけ。

 フィーアは、社交用の微笑みと言う仮面を付ける。微笑み、飲み、食べて、また微笑んで、他愛も無い話をして腹を探り合う。ここはそんな舞台上だ。

 貴公子と言う役割をフィーアは演じる。オルタンシャはそれを納得したようで、フィーアを年若い王子として扱ってくる。

 思っていたより聡明な夫人だ。ちらと夫である王弟を見やれば、パトリックは義母である第一大臣の夫人と談笑していた。

 フィーアの視線に気がついたのか、パトリックは自然に会話を切り上げて賓客に向き直った。

「ときに、王太子殿下。この国はいかがですかな?」

 果実酒のグラスを片手に、パトリックはフィーアに問う。フィーアは侍従から受け取ったグラスを掲げて、果実酒のおりを確かめる素振りでパトリックを観察する。

 王弟のひとみは知性を感じさせる。兄であるアルフォンスの理智とは少し性質が違う。それは純粋な知性と言うよりも、狡知こうちに長けた者の危うげな輝きだった。

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