第3話:卓球部の日常

「このカスども、ふざけてると殺すぞ」

 体育館がしんと静まり返る。今は部活動の時間、各部活がひしめき合っている体育館である。本来は喧騒が支配していて当たり前なのだ。

 それがどうだろうか――

「まずはスイングを固めろ。ボールを打つなんて千年早ェんだよ。一回振ったら中心に戻せ、三角だっつてんだろうが。脳みそついてんのか、アァ⁉」

 不知火湊が指導を始めると、あら不思議。

「なに喜んでんだよこの豚ァ!」

「ぶひ!」

「……ちょっと湊君、ここ学校だから特殊なプレイは」

「すいません、佐村先輩。ただ、こいつ覚えが悪すぎて」

「そ、そうかな? 初心者ならこんなもんじゃない?」

「でも、あいつは出来てますよ。ってか振るだけですし」

 ヤンキー女、もとい紅子谷花音(べにこやかのん)は体を動かすセンスはあるのだろうか、普通に出来ていた。まあただの素振りだが。

「先輩も意識してください。フォアとバックを瞬時に打ち分けるためにも、打ち終わりにラケットを戻すのは基本中の基本です」

「うん、わかった!」

「じゃあ、僕が打ち分けますので全部返してください」

 ガッ、ぎゅん、とピンポン玉が弾む。回転のかかった球は重い、突き刺さるような感触がラバーから伝わってくる。軽く振っているはずなのに、佐村にとっては未知の打感であった。おばあちゃんたちのそれとは、違い過ぎる。

「返せればそれでいいです。とにかく返してください。手ェ、遅れてますよ。戻し早く、もっと、遅いです。まだ早く出来る。遅い!」

 それを見てマゾ女、もとい香月小春(かづきこはる)は突如、スイング練習を真面目にやり始めた。たぶん、厳しくされている先輩を見て自分も早くそこで厳しくされたい、と歪んだ何かを覚えたのだろう。

 欲望に忠実なのは湊のクラスメイトらしい。

「常に視線は一定の高さです。フットワークは反復横跳びの要領で。出来る限り止まって打つ。動きながら打つのはギリギリの時だけです。当てるだけになってます。球が弱すぎる。打ててない。それは力んでいるだけです」

 湊は手を止めて佐村先輩に近づく。そしておもむろに手を掴み、スイングさせた。いきなりのことで目を白黒させる佐村であったが、湊の眼に邪気はない。

「打つ瞬間まで力は要りません。打つ瞬間だけ、ぐっと力を入れます」

 湊は卓球台の前に立ち、下回転に切ったボールを打つ。台上にぶつかり、回転によって戻ってきたそれを湊は思いっきり打ち込んだ。

 ガギリ、鈍い衝突音。

 ギャリ、と台上を噛んでいわゆるパワードライブと言われる強烈な縦回転をかけたボールを放った。本当にピンポン玉なのかを疑うほどの威力である。

「こんな感じです。インパクトの瞬間、ラケットを思いっきり握って力を込める、みたいなイメージですかね」

「う、うん、やってみるね」

「はい。なら、折角なので多球練習やりましょうか」

「あ、それ知ってる!」

「よくある練習方法です。卓球大国中国だと、卓球の練習と言ったらほぼ多球練習を指します。とてもハードですが、頑張りましょう」

 一人が球を出し、一人が球を打ち返す。単純明快な練習である。

「楽しみ!」

「では、僕が球を出しますので。まずは全球返すのを目標にしましょうか」

 不知火湊は何の感情も見せず、準備を始める。

 佐村光は新しい練習にワクワクしていた。未だその笑顔、陰りなし。


     〇


 だったが――

「ゼェ、ゼェ、ゼェ」

 さしもの佐村光も、倒れ伏して顔を歪めるほど、指導者によって、内容にもよるが、多球練習とは基本的にハードなトレーニングであった。相手にフットワークを強要させる球出し、限界を超えさせて、全部絞り出させる。

 残ったのは搾りかす、だけ。

(懐かしいな、僕も良く吐いてたっけ)

 出し手であった湊は倒れ伏す佐村の横で球を回収する。

「次、私!」

 ビシッと手を上げるのは初心者、香月小春であった。この上ない笑顔である。先輩のこの醜態を見てなお、否、醜態を見たからこその志願であろう。

(結構向いてるかもな、気質は)

 よく部活動で初心者はまず素振り、そしてフォアのラリーを続けられるようになって、バックも同様に何回続けられたら次の練習、という不毛な育成法がある。無論、それは全員に指導する大所帯であれば正しい方法かもしれないが。

 少人数を育成する上では非効率的であった。

 人手さえあれば全部、多球練習でいい。

「じゃあ、やるぞ。香月ィ」

「はい!」

 満面の笑顔。まずは何処までやればそれが壊れるのか、限界までやってやる、と湊は球を出す。スイングが乱れたら都度罵倒、球があらぬ方向に行っても罵倒、足がもつれようが罵倒し球を出し続ける。

 それこそ倒れ伏す佐村や気合が入っているはずの紅子谷がドン引くほどに。

 だが、湊は彼女をなめていた。

 香月小春と言う女は、並のドMではなかったのだ。

「……マジかこいつ」

 調子に乗って出し過ぎたかもしれない。だが、何も気絶するまで球を追う必要はないだろうに。彼女は幸せいっぱいの笑顔で気絶していた。

「……まあいっか。稀によくある」

「ねえよ! テメエも頭おかしいのか!?」

「本気でやってたら気絶くらいするんじゃない? しかもまだ練習する体力もないだろうし。で、紅子谷はやるの、やらないの?」

 別に、湊に挑発しているつもりはない。

 これが彼の素なのだ。卓球をしている時だけだが。

「やってやろうじゃねえかアアン⁉」

 ナチュラルな売りとナチュラルな買い。とても自然な売り言葉、買い言葉である。卓球をやっている時だけはこの二人、存外噛み合うかもしれない。

「こん、じょお」

 気合一杯の紅子谷をも撃破し、悪魔の多球練習は続く。

「じゃあ佐村先輩、やりましょうか」

「ひゃ、ひゃい!」

「あと、手ェ抜いたらすぐ分かりますんで。限界まで基礎打ち、染み込ませましょうか。そいつらも起きたらやらせます。安心してください。俺が教える以上、きちんとやらせますから。半端じゃかわいそうですもんね」

 悪魔が微笑んだ。

 部活動の時間も終わり頃、女帝が見に来た時、別の部の顧問が駆け寄ってくる。

「あの、黒峰先生、さすがにあれは、その、如何なものかと」

「ほう」

 黒峰が見つめる先には――

「立てや紅子谷ァ! 寝てんじゃねえぞ!」

「ああああああああ!」

 限界を超えて球を打たせる悪魔がいた。

「青春ですね。彼は良い教育者になれそうです」

「はいィ⁉」

 悪魔はもう一人いたのだ。止める者は、いない。


     〇


 放課後、紅子谷花音は早速校舎裏でサボっていた。

 ヤンキーは部活など参加しない。本人は別に自分をヤンキーだと思っているわけではないが、どちらにせよ部活に精を出すなどキャラではない、と思っていた。

 体格を買われて昔は色々誘われた。

 バスケ、バレー、サッカー、全部誘ってきた奴よりも上手くなって、気づけば陰口を叩かれていたのだ。あんな体格ずるい、と。

 言われ過ぎていつしか慣れ、競う気も失せた。

 どうせ何をやっても体格のおかげ、才能の差、なのだから。

 いや、生まれの差、か。と彼女は一人自嘲する。

「サボりですか。まだ教育が足りないようですね」

「ハッ、よくもまああんたみたいなのが教師やってんな」

「安心してください。クビになりかけたことは両手で数えても足りません」

「……ある意味尊敬するぜ」

 突如現れた女帝、黒峰。彼女は眼鏡をくいと上げる。

「不知火生徒からの伝言です」

「はっ、どうせあれだろ、杓子定規な定型句――」

「やーい負け犬、です」

「……ハァ⁉」

「霊長目ヒト科ゴリラ属には知的スポーツは難しかったかな、とも」

「……それは、言い過ぎだろーが」

 ぶちぶちぶちぶち、彼女の中で色々なものが切れていく。

「あと、そうですね、大したことではありませんが」

「安心しろや。もう全殺し確定してっからよ」

「卓球も体格が関係あるそうです。貴方のような体格が欲しかった、とも言っていましたね。才能があるのにもったいない、と」

「クハッ、結局それかよ。あんなちっこい球打つのにも体格関係あるんだな。そりゃあ残念でした、だ。才能あり過ぎて悪かったなァ、凡じ――」

「まあ、ゴリラには一生負けないと思うけど、ガハハ! と締め括っておりました」

「あのチビ、マジで殺す」

「彼なら体育館ですよ」

「おう、止めんなよ先公」

「黒峰先生、です。ああ、紅子谷さん」

「んだよ」

「本物の壁というものは結構分厚いモノですよ。一度、ぶつかってみるのも一興かと。貴女は運が悪かった、私はそう思います」

「何言ってんのかわかんねえな」

 そう言って腕まくりし、去って行く紅子谷花音。それを横目に黒峰は「ふむ、ちょろい」とメモ帳に記した。ヤンキー、陥落、と。

 ちなみに――

「おうコラ、眼鏡ェ」

「ァ?」

 眼鏡を外した卓球モードの湊と睨み合いの末、多球練習で吐くまで罵倒され続けたという。紅子谷は吐きながら誓う。こいついつかぶっ殺す、と。

 卓球で殺してから、殴って殺してやる、と。

 紅子谷花音の果てしなき旅が始まる。


     ○


「テメエ、眼鏡、ちょっと面貸せや!」

「嫌だよ、放課後嫌でも会うんだから別にいいだろ」

「め、眼鏡のテメエじゃないと怖いんだよ」

「……何言ってんだよ、僕は僕だろ」

 本当に彼女が何を言っているのか理解できない。確かに昔から卓球場と学校じゃキャラが違うなんて言われてたけど、そこまで違うはずがないのだ。

 だって同じ人間だもの。

「ねえねえコーチ」

 わんこのように駆け寄ってくるのは香月ちゃん。いつの間にか呼び名がコーチになっていた。かわいい子からコーチ呼びされるのは悪い気分じゃない。

 いやはや、可愛いおっぱいだこと。

 卓球女子じゃなければほんと、文句なしですよ。

「叱って!」

「……?」

 ちょっと何言ってるか分からないのが玉に瑕である。

「お前、知らない内にあれだな、可愛い女子と話すようになったんだな」

 親友(仮)から声をかけられた。無視するのもあれなので一応対応しよう。

「何言ってんだよ、卓球女子に可愛い子なんているわけないだろ」

「え、そうなの?」

「そうだよ。下手くそはむかつくし上手い奴は殺したくなるじゃん?」

 当たり前でしょ?

「お前、歪んでるな」

 チア覗き過ぎて一日停学喰らった男は言うことが違いますね。

「あの二人って上手いの?」

 同じく撮影、もとい盗撮が過ぎて停学を喰らった写真家君が問うてきた。

「めちゃくちゃ下手だよ」

「す、ストレートだね」

 仕方ないよ、初心者だもの。

 でも僕の指導の甲斐あってようやく形になってきたし、佐村先輩もようやくそれらしくなってきたかな? あまりにもオールドスタイルだったけど、元々振れる人だったし修正すればぐっと伸びる。他二人はまだまだだけどさ。

 ただ、あの二人、むかつくことに才能はあるんだよなぁ。

「わん⁉」

 何かを察したのか突如、声を出す香月。ちょっとムッとすると嬉しそうに叱られに来るのだ。そのセンサーだけは常人を遥かに凌駕している、と思う。

 香月小春はドMだ。厳しい練習だろうが何だろうが、快感に変えてしまう。つまり、努力を悦楽に変換できる才能を持っている。努力できるのも才能の内、そういう意味で彼女は大きな才能を持っていると言えるだろう。加えて左利きである。

 あとは、反応速度も並じゃない。ボールへの嗅覚も。

 多球練習は強度を上げるため、あえて裏を取ったコースに打つことがある。佐村先輩と紅子谷は素直なので容易く引っかかってくれるが、彼女だけは読んでいるのか見えているのか、きちんと反応してくる。まあ、下手くそだから対応しきれてないが。

 技術なんて後からでも付けられるし、特に問題はない。

 紅子谷花音は女子としては破格のフィジカルを持っている。身長は180センチを超えており、女子のサイズからすると一歩分以上のアドバンテージを持つことになる。粋がっているだけあってパワーもあるし、これから嫌でも強くなる。

 他競技に比べてフィジカルの優劣は大きくないが、それでも昨今はフィジカルの強化が叫ばれているのが卓球界である。始めるのが早ければ、彼女こそ卓球界の至宝になっていたかもしれない。さすがに高校生からは厳しいが。

「なんか集中モードだな」

「良いことだ。最近、良い感じだろ、こいつ」

「だねえ。死んだ魚みたいな顔してたし」

「それを言うなら目だろ」

 友人たちの温かい言葉をさらりと流して考える。

 今の彼女たちを勝たせる方法を。

 やるからには勝たなければ、意味がないのだから。

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