久保田がつぶやく。

「なんか、俺たち浮いてません?」

 国会の周囲には、左翼系の団体が集まって集会を始める準備に余念がない。100名に満たない集団がいくつか、付かず離れずという位置で陣取っている。その中には労働組合の旗やニュースなどで頻繁に見かける現政権を批判するポスターばかりではなく、ハングルの横断幕までが広げられていた。

 ことさら目を引くのは、1970年前後の〝全共闘時代〟に大学を占拠していた〝ゲバ文字〟で書かれた立て看板だ。その看板の周囲に集まる者は、死んだ長妻と同世代に見える。そこかしこで談笑している姿は、まるで同窓会のノリだ。

 かつての全共闘運動は、パリのソルボンヌ大学で発生した〝5月革命〟とも呼応していた。近年、EUでは5月革命から50年を経て、再び〝イエローベスト運動〟という大規模なデモが長期化している。彼らに同調しようという動きを日本でも起こすことが、どうやら目的のようだった。

 参加者の服装の多くはカジュアルというより地味な防寒着で、茶系のダウンジャケットが大半だ。無理をしているのか、きつそうなブルージーンズを履いている者もいる。白髪で腰が曲がり、動きも緩慢になっている高齢者にとっては、その姿が逆に悲壮感をにじませている。

 黒崎がうなずく。

「ちょっと派手すぎたかもな」

「すぐ暗くなりますし、目だなくはなるでしょうけど……」

 彼らは政権打倒のデモを呼びかけるサイトを見て、もう少し若者が多いのではないかと予測していたのだ。ラッパーをメインイメージに据えたサイトは、明らかに若者をイベントに誘うことを目的にしたデザインだったのだ。最近のデモを報じるニュースでも、前面に立っているのは20代の若者だ。

 そんな中で30前後の男たちが極端に地味な服装をしていれば、逆に注目されかねない――そんな配慮が、裏目に出ていた。黒崎が着ていたのは明るいオレンジ色のダウンジャケットだ。久保田のスタジアムコートは、これも明るい空色だ。顔見知りたちと世間話にふける参加者たちからは、誰が来たのかと訝られることも多かった。

 黒崎は警察庁庁舎に通うこともなくなり、日常の大半を外国人対応に費やしていた。いわば都内の〝別世界〟にどっぷりと浸っていたのだ。当然彼らは、報道でしか国会前のデモに接していない。そのイメージと実態との齟齬が身にしみた。

 来てみれば、参加者のほとんどは高齢者だ。しかも、暖かい時期のデモ風景に比べれば、総数が圧倒的に少ない。黒崎は、サイトの文言にも参加者が少ないことへの焦りがにじんでいたことを思い返していた。

 それでも、人だかりの中心には数人の若者が固まっていた。時たま報道に現れる、サイトを運営していたグループ――DTA(デモクラシー・トゥー・アクト)だ。その中には、サイトに登場したラッパーも混じっている。彼らの傍らを、新聞社の取材陣やテレビ局のカメラが取り囲んでいる。

 むしろ報道陣の方が数が多いようにも見えた。

 1人が拡声器を取る。

「あー、あー。みなさん、寒い中こうして僕らの呼びかけにお応えくださってありがとうございます! 各種報道でご存知でしょうが、現政権の不誠実さと傲慢さは目に余るものがあります! 例えばLGBTへの差別を助長する与党議員の発言、外国人差別を固定化する〝奴隷法制〟など、このままでは日本は世界中からの笑い者になってしまいます! 平和憲法を改正する動きに至っては、言語道断です! こんな政権の暴走を許すわけにはいきません! 一刻も早く退陣してもらわなければ――」

 久保田はその音量の大きさに顔をしかめていた。だが周囲を取り巻く老人たちは目を輝かせて彼らの主張に聞き入り始める。

 この集会は、長妻のカレンダーに書き込まれていたものだった。

 黒崎たちに〝偽装心中〟事件を捜査する理由はない。新宿署の管轄に入ったことは動かしようないので、正当な権限があるかどうかも疑わしい。この事件を調べ続けるべきかどうか、黒崎が迷ったことも事実だ。

 迷いはしたが、真っ先に現場に着いた刑事としては新宿署の横柄な態度に不満が残る。事実を究明したいという欲求もある。反面、黒崎自身は〝それ〟がトラブルを招きかねないことを思い知っている。

 久保田が新宿署の刑事から新たな情報を手に入れてこなければ、あるいはそのまま忘れようと決めたかもしれない。

 司法解剖によって、女は一酸化炭素中毒だと断定された。しかし男の死亡時刻は、やはり同時ではなかった。しかも、体内から毒物が検出されたというのだ。毒の種類までは同定されていないというが、明らかに事件性があると考えるべき事案だ。

 新宿署でも、近々捜査本部が建てられるだろうということだ。

 そうなれば、北署が協力を求められることもあるだろう。だが警視庁から管理官が送られてくれば、現場の刑事はいよいよ小間使い扱いだ。命令された場所以外には出向くこともできなくなる。自由な捜査が可能なのは、ここ数日に限られるだろう。

 その時点で黒崎は決断した。

 正式な命令が下るまでは長妻の背後関係を調べる。それまでにさらなる疑問が浮かび上がることがないようなら、全て忘れて通常の業務に戻る。管理官から命令が下るなら、反抗はしない。

 久保田もその判断に異論を挟まなかった。

 そして2人で捜査手順を打ち合わせた。

 まずは長妻が参加を予定していたらしいデモを調べる。そこに佐藤恵子とともに写真に写っていた人物がいれば、接触を図る。当然、集合写真にともに写っていた男女の顔は頭に入れてある。

 そこから先の計画は、まだ決めようがない。めぼしい人物が見つからなければ、それまでだ。黒崎たちにとっての〝事件〟は、そこで終結する。

 それでも、やるべきことをやってからなら諦めもつく。

 2人はなるべく目立つことを避けるようにしながら、集団の外周を歩きながら参加者の人相を確かめていく。チューリップ帽やマスクで顔を覆っているものも多いので、人探しに慣れた刑事でも簡単な作業ではない。

 と、黒崎の背後から久保田が腕を突いてささやく。

「右後ろの電柱の陰」

 黒崎は仲間を探しているようなそぶりで辺りを見回す。電柱の陰には、デモ参加者に溶け込むような服装をした2人組の中年男がいた。しかし、目つきが鋭い。

「公安だな」

 左翼系の集会を公安警察が監視することは当然の役目だ。そこにはかつての過激派組織の生き残りも混じっている。革マルや中核派は、現実に今でも活動を続けていて、新たな組織員も獲得しているという。定点観測的に実態を調べていなければ、彼らの狙いや各組織間のつながりは把握できない。

 世界情勢、特に東アジアが不安定さを増す時代にあっては、いつ彼らが他国の工作員となって活動を表面化させるか予断を許さないのだ。

 少なくともそれが、公安警察の存在理由だ。

「公安が特定の誰かを見張っているんですか?」

「通常の情報収集だろう」

「では、無視します」

 公安も、黒崎らに気づいたそぶりを見せていた。だが、彼らも相手が刑事であることは雰囲気で分かるだろう。互いの領域を侵さないという暗黙の了解は、よほど想定外の事態が起きない限りは守られる。 

 と、黒崎の目が若者たちを取り囲む集団に止まった。

「緑の帽子の男」

 久保田がささやく。

「写真と同じ帽子ですね」

「お前は先に行け。挟み撃ちだ」

 久保田はうなずくこともなく、先に進んでいった。黒崎は、さらに仲間を探すそぶりでその周辺にとどまった。

 数分後、帽子の男が集団を離れる。男は余所見をする気配もなく、黒崎に向かってきた。黒崎もまた、演技を続けたまま男の顔を確認する。

 やはり写真の男に間違いない。

 帽子の男は、そのまま黒崎を通り越して進んでいく。財務省の方向だ。黒崎は仲間を見つけたような素振りで、その背中を追った。

 しばらく進むと、男は合同庁舎4号館の角を曲がり、塀に隠れるように立ち止まって腕時計を確認した。特に立ち止まる理由は見当たらないが、小路の奥――霞ヶ関コモンゲート方向を見つめたまま動かない。

 待ち合わせらしい。

 黒崎はそのままゆっくり直進して、小路を行き過ぎていった。尚友会館の壁に隠れられる場所で振り返り、小路の奥を確かめる。

 と、道の奥から黒い大型バンがゆっくりと接近してきた。男がそのバンに気づいて、車道を横切って近づいていく。

 黒崎がバンのナンバーを記憶するのと同時だった。背後でけたたましいブザー音が響く。

 振り返ると、カメラを肩から下げた女が痴漢防止のブザーを握りしめていた。一目で新聞記者だと分かる。

 女が黒崎を睨みつけて叫ぶ。

「拉致する気ですか⁉」

 黒崎は舌打ちをしてバンを見た。

 男が黒崎を見てから後部座席に乗り込み、素早く目の前を去っていく。バンの後部窓には目隠しフィルムが貼られ、中の様子は確認できなかった。運転手も帽子とマスクで顔を隠している。

 黒崎は再び女を見た。

 ポニーテールの小柄な女は、20代半ばのように見える。着ているスーツは、まるでこれから面接に赴く女子大生のようだ。セーラー服に変えれば、高校生といっても通用するだろう。

 黒崎はさすがに苛立ちを隠せない。

「彼が自分で乗り込んだのを見たろう?」

 女は恥ずかしそうにブザーにピンを戻し、音を止めた。

「ええ、まあ……。すみません、関係のない方に……」

 彼女の背後に、合同庁舎の塀の陰に隠れていた久保田が走り寄る。警察手帳を出して言った。

「関係はありますよ。妨害されちゃいましたけどね」

 女は手帳を見ながらため息を漏らす。

「警察ですか……」

 黒崎が問う。

「なぜ、拉致などと?」

 女は厳しい目を向ける。

「あなたに話す義務はありません」

「彼は拉致される可能性があった。あなたはその理由を知っている。そういうことだね?」

 と、さらに久保田の背後に先ほどの公安が小走りに現れる。だが彼らは、女の姿を確認すると無言で戻っていった。

 女も公安の動きに気づいたようだった。

「あなた方、あの公安の仲間なんでしょう?」

 久保田が答える。

「同じ警官だといえば、その通りですけど。社長と掃除のおばちゃんぐらいの違いはありますよ」

 黒崎がうなずく。

「今も、同じ目的で行動しているわけではない」

 女が疑い深そうに黒崎を見上げる。

「ではなぜ、彼を追っていたんです?」

「ある事件の被害者が持っていた集合写真に写っていたからだ。話を聞きたかっただけだ」

「事件って……新宿の心中ですか⁉」

 黒崎の目も真剣さを増す。

「なぜそれを?」

「わたし、毎朝新聞の記者ですから」女はバッグから名刺を出して黒崎に渡す。「駆け出し、ですけど」

 名刺を受け取った黒崎がつぶやく。

「真山早希さん……駆け出しなのに、そんな情報を持っていると?」

「記者の先輩って、ちょっとお酒に付き合うといろんなこと話してくれますから」

 そういった真山はかすかに舌を出すそぶりを見せた。

 黒崎の怒りも収まり、口調が柔らかく変わる。

「ではさっきの男のことも、何かご存知なのかな?」

「まあ、それなりに……」

「話を聞かせていただけますか?」

 真山の目からにこやかさが消える。

「聞いてどうするんですか? 情報が欲しければ、いくらでも入るじゃないですか。刑事なら」

 黒崎が手帳を出して見せる。

「黒崎です。何か気づきませんか?」

「何かって……あ、新宿北署?」

「噂は聞いているようですね。吹き溜まりの北、です」

「外国人犯罪に特化しているとか聞いてますけど……あの男と外国人が何か関係あるんですか?」

「私たちの方が、たまたま一般の事件に関わっただけです。しかし関わった以上けじめはつけたい。でも、色々と障害があってね。あれこれ、奇妙な点が見えてきているのに、です」

 真山は妙に納得する。

「駆け出し記者にも、障害は多いですよ。特に、女だし……」

「我々も、お話しできることは明かします。情報を交換しませんか?」

「いいんですか、そんなことをして?」

「良くはありません。しかし今ここにいること自体、組織の中では歓迎はされない。すでにそういう無言の圧力を受けているんです。多少規範を踏み外したところで、もはや大した違いはありません。それより私は、何かが起きているなら、その実態を知りたい」

「規律にこだわる警官がそんなことを言うなんて――」そして真山は気づいたようだ。「北署の黒崎さんって……あのキャリア崩れの⁉」

 背後で久保田が小さく吹き出す。

「ほらクロさん、あなたのことは駆け出し記者だって知ってるんですって。超有名人じゃないですか」

 真山の目つきは真剣に変わっていた。

「ほんと、有名人ですよ。傷ひとつない地位を捨てて正義を貫き、切り捨てられた硬骨漢がいるって」

 黒崎が苦笑いを浮かべてうつむく。

「いつまでお調子者扱いされるんだかな……」

「とんでもない! 語り草になっているヒーローなんですって! お会いできて感激です!」

「だが、掃き溜めに捨てられた身だ。自慢はできん」

「情報はお渡しします! ぜひ協力してください!」

 彼らは霞ヶ関コモンゲートのカフェに場所を移した。

 落ち着いた雰囲気のカフェで真山早希が語った情報は、黒崎らの予想をはるかに超えていた。

「――ですから、彼も合わせるとすでに4人が不審な死を遂げているんです。場所は都内に散らばっていますが、死んだのは全員、年齢は70歳前後です。全共闘世代っていうんですか、昔の活動家だったりその賛同者だったりした人たちなんです」

 黒崎は深くうなずいた。

「彼らはDTAの集会を通じて再開したかつての仲間たちだ、と……?」

「末端の記者の取材力では確証を得るのが難しいんですが、ほぼ間違いないと思います。でも、調べたいからって上に直訴しても、ただの偶然だって相手にされないんです。自分たちが報道したいことに関係ない事柄は、調査する気もないみたいで」

「それが事実なら、連続殺人という可能性まで出てくるな……」

 話の途中で久保田は、かかってきた電話を取るために席を外した。真山に内容を聞かせないためだ。

 その間に黒崎は、真山に〝偽装心中〟のあらましを伝えていた。

 戻った久保田が言った。

「新宿署から、新たな情報です」

 黒崎が久保田に目をやる。

「この件に関係することか?」

 久保田が新聞記者に教えるべきか迷っていることは、そぶりに現れている。

「はい。かなり重要です」

「話せ」

 黒崎にも覚悟があった。真山の直感が当たっているなら、所轄の枠を超えた大事件だ。一刻も早く実態を明らかにしなければ、新たな犠牲者が出てもおかしくはない。

 だが、事件が起きた所轄署が事故や単独の事件として処理しては、大きな構図を見失う。多少の規律違反があろうとも、早急に全体像を俯瞰すべきだ。

 そのためには、新聞記者に協力を乞うこともやむを得ない。

 その決断は、久保田にも伝わった。

 久保田は黒崎の横に座ると、身を乗り出して声をひそめた。

「佐藤恵子の体内からは微量の睡眠導入剤が検出されました」

「眠らされていたのか……」

「自分で飲んだなら、自殺ってことになりますけどね。問題は長妻の方で、使われた毒物がまだ署内でも公表されていないようです」

 黒崎が首をかしげる。

「分析に時間がかかっているのか?」

「とっくに分かっているのに隠している、って感じらしいんです」

「取手で早見にくっついてきた奴の情報か?」

「警察学校の同期なんです」

「署内でも隠すって……どういうことだ?」

「何か都合が悪いことがあるんじゃないかって、下の方じゃ噂になってるらしいです。それが原因かどうかわかりませんが、捜査本部の設置もまだ確定していないとのことです」

「あのことと関係があるのかな……」

 真山が首をかすかに傾ける。

「あのことって?」

 久保田には、黒崎の言葉の意味が分かっていた。代わって説明する。

「長妻さんのアパートの本棚に、化学関連の専門書がびっしり揃っていたんです。調べたら、長いこと製薬会社の開発部門で働いていたそうです。研究者というよりは、実験に携わるような立場のようでした。何か毒物を合成するとか、そんな技術も持っていたんじゃないかと疑っていたんです」

 真山がメモを取りながら言った。

「それ、とても有益な情報です! 私の方でも調べてみます!」

「助かります」

「でも、いろいろと奇妙ですよね。佐藤さんは一酸化炭素中毒だということですが、それって薬で眠らせていたなら、実験用とかの標準ガスを鼻に流し込めば他殺も可能ですよね。それなのに、長妻さんは別の毒物で死んでいて、死亡時刻も違うんでしょう? わざわざ心中に見せかけたのは、長妻さんを毒物で殺したことを隠すため……だとか?」

「重要なのは長妻の死因を隠すことだった、か……」

 黒崎がうなずく。

「長妻が毒物を合成していたとしよう。それに失敗して死に至ったが、合成を依頼していた誰かが毒物製造を隠すために心中を偽装した……そんな仮説は立てられる」

 久保田が応える。

「だとしたら、何の目的で毒物を作っていたのか。誰が心中を偽装したのか――ってことになりますよね」

 そして真山は、意を決するように言った。

「実はわたし、このところ誰かに尾行されているような気がしているんです。この事件を調べ始めてから、ずっと……。今日もちらっと姿を見せた2人組みも、その仲間だと思うんです」

「彼らは公安だが?」

 真山がため息をもらす。

「ですよね。多分、私、この事件絡みで見張られているんだと思うんですよね……」

 黒崎が真山の真意を見抜く。

「公安が陰で動いている、と?」

「公安が何らかの理由でかつての活動家たちを処分している……そんな可能性は考えすぎでしょうか? 例えば、毒物を使ってテロを企んでいる過激派組織を密かに〝排除〟しているとか……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る