第8話 その輝きに高鳴って

   -1-


 某県 花真はなま町。この町であらゆる金品の紛失事件が起きていた。

 個人の紛失は勿論、店頭から貴金属や宝石のアクセサリーの紛失も相次いでいで起きている。現場に痕跡は何もなく、ショーケースの破損や無理矢理引ったくられたという怪我人もいない。全てがその場から霧のように消えてしまっていたのだ。


(ふふふ……誰も私の仕業なんて思わない)


 菅田洋子は自室の部屋中に敷き詰めたアクセサリーやブランド品に、恍惚とした表情で身を沈めていた。広く敷かれた欲望の海は、天井の明かりを反射して金銀に輝いている。

 あらゆる宝石を埋め込んだ指輪、ネックレス。貴金属をあしらった時計にブレスレット。ブランド物の服やバッグ。


「全て私だけに相応しい。誰に買われるのも、虚しくマネキンを着飾っているだけなのも、余りに勿体ない!」


 充足に満たされ、堪らぬというように洋子は哄笑を上げた。


「あっはっはっはっはっ!!!!ははははははははははははははは!!!さぁいっこぉーう!!こんなに!綺麗で!美しいものに囲まれるなんて!気持ちが良過ぎるわ!!!何でもっと早くこうしなかったんだろ!!悩んでる時間が勿体なかった!!きゃはははははははははははは!!!!!!」


 狂ったように笑うその瞳には、最早ヒトならざる妖しい光が灯っていた。


「きゃははははははははは……ッ!……うぐっ…!ぶふっ!!」


 洋子の笑い声がぴたと止まり、呻き声に変わった。胸を強く抑え、その場にうずくまる。


「また…発作がッ…!」


 洋子は這うようにして部屋の棚へ近づき、上から二番目の引き出しを漁った。そして茶色の和紙袋を取り出すと、封を破きその中身を流し込む。


「……………ふーーーーーーー………」


 深く息を吐き、また吸って、ドクドクと鳴る拍動が治まるのを待つ。しばらくしてようやく胸の動悸が治まった。最近また、小さい頃からの胸の痛みの発作が増えてきたように、そして強くなってきたように感じる。


 いつから────あの男にあってから…だろうか。


(まさか、気の所為……よね…)


 洋子は自身の嫌な考えを追い払うように、大きくかぶりを振った。

 ふと振り返ると、黄金白銀。男と出会ってから2週間、洋子の夜影の力は暴走に近い覚醒を果たし、その猛威を物語るように、奪い去った金品たちは輝きを放っていた。


「まだ、まだ足りない…!」


 自然と口元が綻ぶ。嫌な考えを吹き飛ばすには、自分が満足の中に溺れるには、この程度では足りないのだと、洋子の頭の中を、再び欲望が覆った。


(そうだ、もっと…!もっと欲しい!!出掛けなくちゃ……!次はもっと遠くの街に!)


 洋子が立ち上がると、床に敷き詰められた金品は吸い込まれるようにその形を歪め、彼女の足元に集い、沈み消えていった。



   -2-


 ─────深夜。影は動き出す。

 夜の喧騒を踏み潰すようにわざとらしい靴音が響く。

 三上みかみ 夜重子やえこはふらふらと巫山戯たような足取りでブーツを鳴らし、夜の路地裏を歩いていた。

 昼間はキラびやかであった町並みが、夜は妖しい雰囲気を醸し出すネオン街となる。看板の光がチラチラと光るその路地裏は、表通りとは違って人影という人影はない。

 暫く進むと、街の喧騒は遠のき、ひっそりとした空気が辺りに漂い始めた。周囲の店もとっくに店仕舞いした後のようだ。

 彼女は既に明かりの消えている、くすんで薄汚れたとある電気看板の前で、ぴたと足を止めた。そして例の癖になっている頬を掻く仕草をしてから、か細い月光に晒された看板の影に一歩足を踏み込んだ。すると、ぐにゃりと夜重子の形が歪み、まるで吸い取られたように看板の影の中へと、その姿が消えた。

 これが、口裂け女 三上夜重子の夜影としての能力である。彼女はあらゆるモノの影に潜り込み、姿を隠す事が出来る。その力を使って5年もの間、警察の目を掻い潜ってきたのだ。

 そして、人々を恐怖に陥れてきた。

 夜重子にとって殺しは重要な目的ではない。殺すのは飽くまでだ。殺す事についてどうとも思っていない。

 真の目的は


『口裂け女は恐ろしい存在だ』と人々に思い出させる事。


 その為の『恐ろしいと思わせる行動』のひとつでしかないのだ。その程度の事でしかない。

 また、彼女は罪の意識を持たない。それは夜影の『その欲望に対する罪の意識が薄れる』という変化のあらわれなのか、元から、当人が語る以外に誰も知る由が無いのだ。


 今の任務は夜影を狩る事。明市あけし ともりから命ぜられ、嫌々ながらもまた殺す日々に身を投じている。


「ったく…、殺しはシュミじゃねぇってのになぁ…」


 看板から漏れる苦々しい呟き。夜の闇は、それをかき消すように、頼りない三日月の明かりを戴いて静まり返っていた。


 そこに、表通りの方面から1つの人影が現れた。


 菅田洋子である。


 洋子は誰もいない裏路地で、にこやかに鼻歌を奏でながら歩いて来た。


(あれかぁ〜)


 夜重子は影の中から彼女を見た。そして彼女が看板の前を通り過ぎようとした時、いつものように彼女の影へ飛び移ろうとする、が。


(……ん⁉︎)


 一瞬の判断で影飛びをやめ、その場に留まった。彼女が菅田洋子の影に移ろうとした瞬間、その影の中に妖しい双眸の鈍い光を見たのだ。

 洋子はそのまま、何事も無く軽やかにそこから遠のいていった。


「ナニか……いやがったな……」


 夜重子はそう独り言ちると看板の影から身を現した。既に菅田洋子の姿は見えない。


「あァー、どうするかねェ…。アレがヤマダの言ってた夜影の成長ってヤツかよ」


 ポリポリと頬を掻きながら、面倒くさそうに空を見上げる。

 菅田洋子の影には、既に先客がいた。おそらく彼女自身の夜影がその欲望を喰らい、形を持ったのだろう と夜重子は考えた。


「んん、まぁ今日のとこは最初っから下見のつもりだったしナァ、

このまま引き返してもいいんだが───────」


 あの影に見た、不穏な鈍色の瞳の光を思い出す。

 

 手を入れたポケットの中で、カチリとナイフが鳴る。


(こんなつまらねぇ仕事の中で、久々の大物だ。アレを殺せば、例えアタシの中だけだとしても、口裂け女の価値が上がる………!!誰にも理解されなかろうが、アタシだけがそれを解ればいい!!)


 口裂け女は笑った。


 空に浮かぶ三日月のように薄く口を曲げて。 

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