第Ⅰ章 第13話 ~神官達の戦い~

~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……本編の主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で、霊力を自在に操る等の支援術の使い手


マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手


 ウォレン・ガストフ……ヴァルテ小隊の隊員で、戦士。男性。あらゆる術を無効化する術耐性の持ち主


 ノヴァ・パーレム……ヴァルテ小隊の隊員で、術士。女性。様々な攻撃術の使い手


 ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手


 ケアド……リステラ王国の高等神官であり、次期大神官の最有力候補者。大隊の隊長であり術士。男性


 トドリム……王弟であり公爵。リステラ王国軍の総大将。男性


 エスガル……レポグント王国の大神官。バーヒャルト救援部隊の指揮官。男性。術士






――あれは、まさか人影……っ

 ノイシュがとっさに眼を凝らす。間違いなくその人物は舞空していた。真っ白な法衣を身に包み、首元には豪華な装飾を散りばめている。その手には意匠を凝らした黄金の錫杖があった――


――金色の錫杖っ、つまり……っ

「あれは、大神官……っ」

 マクミルの言葉が耳に入り、とっさにノイシュは震える自分の肩を掴んだ。至高のアニマを宿す大神官が、この場に……っ―― 


 空に佇んでいた術者がゆっくりとその身体を下降させていき、やがて爪先を地に着けた。そしてこちらに視線を向けるとそのまま距離を縮めてくる。


 背が高く、年は初老くらいだろうか。髪は艶のある銀色で、その身から放たれる異様な圧力に呑まれないようノイシュは思わず奥歯を噛みしめた。やがてその人物がすぐ眼前まで来ると彼は口元に手を当てて笑いに耐え、深く頭を垂れた。

「……これは、失礼。私の名はエスガルという。栄えあるレポグント王国で大神官と呼ばれている者だ」


 そう告げる敵神官に対し、ケアドが一歩前に進み出た。

「リステラ王国の次期大神官候補ケアドです。大神官猊下げいか、率直にお聞きします……貴方が、この軍を率いる総大将ですか」 


 ノイシュは眼を細めて敵軍の大神官達を見据えた。大神官はその霊力の高さから王族と同等の身分であり、ならば、王の代理として部隊を動かしていたとしても何らおかしくは無いはず――


 エスガルが顔を上げ、ゆっくりと頷く。

「いかにも、私がこの部隊の指揮官である」

「……ならば貴方様を討ち取れば、レポグント軍は総崩れとなりますね……なぜ、エスガル様は危険を冒してまでお一人でここに……」

 そう言って眉尻を上げるケアドに対し、エスガルが大仰に両手を広げた。


「――貴公の霊力があまりに素晴らしく、魅力的に見えてね……後衛でじっとしていられず、つい単身乗り込んでしまったのだよ」

 エスガルの口調は不気味なほど自信と余裕、そして威圧感をたたえている。ノイシュは剣を構えながらも、冷たい風を受けたように肌が粟立つのを感じた――


「次期大神官か……貴公のアニマこそ、私が取り込むに値するものだ」 

――アニマを、取り込む……っ


 敵神官の言葉に、ケアドもまた眼を細めている。

「それは……どうでしょうか。私にも部下達がおりますので」

「ならば、邪魔な部下達のアニマから頂こうか……っ」

不意にエスガルが術の詠唱を始めた。次第に彼の身体から赤黒い光芒が現出し、やがて帯状に飛び出すと蛇の様にうごめいていく。彼の顔や肌には黒い幾何学的きかがくてきな模様が浮かび上がった――――


「ま、まさかっ……」

 不意に後ろから声が漏れ聞こえ、顔を向けるとミネアが不安と驚愕の表情を見せている。

――ミネア、あれは一体……――


「我が秘術、とくと見るがいいっ」

 次の瞬間、エスガルの身体から術が放出された。赤黒い霧は帯状にかたちを変え、大きくうねりながらケアド率いる精鋭部隊へと殺到していく――


「ダメッ、逃げて……っ」

 ミネアが叫んだ直後、エスガルの術が精鋭達の身体を呑み込んだ――

「あ、ああぁぁ……っ」

「うぇぇおぉぉッ」

 瞬く間に味方の戦士達が不気味な絶叫を上げると、次々に倒れていく――


――あっ、あれはッ……

 ノイシュは眼を大きく見開いた。視界の端では義妹が深くうなだれ、肩を小刻み震わせている。不意に戦士達に取りいた靄が再び舞い上がり、ケアドの身体へと戻っていくのが見えた。やがて不気味な靄はケアドと同化し、次第にその姿を消していく――


「ふっ、精鋭部隊とはいえ所詮は一般兵の魂か……やはり霊力も、この程度だな」

 エスガルが白ける様に鼻を鳴らした。

「ミネア、あれは一体……っ」

 そう言葉を発してようやく、ノイシュは自分の声が小刻みに震えているのに気づいた。義妹が眼を閉じながら静かに口を開く――


「――術自体は、私の霊力放出術に似ているけど……エスガルはそれを更に昇華させて、恐ろしい程の威力をもった術に――」

 何かをこらえる様に義妹が眼をつむった。


「――凄い霊力だった、きっと相手のアニマをも取り込んでしまったんだと思う……っ」   

 不意にエスガルがこちらを見据えてくる。

「ほぅ、お前は私と同じ類術の使い手か」

 そう言ってエスガルが口角を上げ、くっくっ、と短く息を漏らす。


「そうさ、私はこれまで幾人もの術戦士や術士のアニマを喰らい、己の霊力を高めてきたのだ――」

 不意にエスガルの身体が光芒で包まれていく。


「そうして得た霊力が、これだ……っ」

 エスガルが錫杖を上に掲げた瞬間、彼の光芒が凄まじい勢いで縦横に広がっていく。高さ軍旗を越えていき、その幅も一個大隊の横列を上回る程に膨張した。やがて姿を現したのは迫り上がった海嘯かいしょうの様な波動――全てを呑み込み、破壊する魔物だった。


「そんな……っ」

 ノイシュは身体が震えるのを感じ、思わず後退った。これが、大神官の圧倒的なアニマによるものなのか――


「ケアド殿、さぁ、貴公ならどうする……っ」

 エスガルが錫杖を振り下ろした瞬間、周囲の喧騒けんそうを打ち消す轟音ごうおんとともに全てを呑み込む波動がこちらに押し寄せてくるのをノイシュは見た。激しい地響きに姿勢を保つのも難しい――


「う、うわあああぁ……ッ」

「エ、エスガル様ァ――ッ」

瞬く間にリステラ軍の精鋭部隊だけでなく、生き残った敵戦士までが破壊の激流に呑み込まれていく――


「ノイシュ……ッ」

 不意に少女の声が聞こえ、ノイシュが振り向くと義妹がまなざしをこちらに向けていた。その翠色の瞳は、不安と悲しみと、どこか惹きつけられる色を含んでいた――


――ミネア……ッ

 ノイシュは反射的に義妹を抱きしめた。一瞬のうちに青白い燐光りんこうが視界の全てを覆ってくる。ノイシュは死の濁流に背を向けた――


 不意に別の閃光が眼の奥へと突き刺さり、ノイシュは視線を送った。そこではケアドが術を発現させているのが見える。更に再び背後から甲高い音が鳴り響き、顔を向けると輝く障壁がそそり立っていくのを視認した――


――防御結界……ッ

 次の瞬間、衝突音とともに身体が振動するのをノイシュは感じた。眼前で荒れ狂う波動自分達を呑み込むべくと雪崩れ込んでおり、巨大な光の障壁がそれを押し流しているのが見えた。激しい振動と地響きが身体の奥を揺さぶってくる。荒れ狂う互いの術はますます勢いを強め、ノイシュは瞼を閉じて全てが過ぎ去るのを待つ。腕の中の少女が強く抱き返してきた――


――ミネア……ッ

 いつまでそうしていただろう、やがて少しずつ瞳の奥と耳が落ち着いていくにつれて、ノイシュは途切れそうになった意識を呼び起こしていく――


「ノイシュ……」

 胸のあたりからミネアの声が響き、ノイシュはゆっくりと頷いた。


――僕達は……助かったのか……

 ノイシュはゆっくりと顔を上げて正面を見据えた。いつの間にか全てを破壊する海嘯も、次期大神官の防波堤も消滅している。しかしそこには全てを喰らう波動に蹂躙じゅうりんされ、うち棄てられた数多の戦士達のしかばねが転がっていた――


「私の術結界を、打ち砕くとは……っ」

 背後からケアドの声が届いた瞬間、不意に赤黒い閃光が瞬くのをノイシュは視認した――


――あの特徴的な色は、確か……っ

 ノイシュがそう思った刹那せつなの後には、既に赤黒い帯が自らの脇をすり抜けて後方へと殺到していた。慌ててノイシュが視線を向けると、濁った血の色をした魔蛇がケアドの身体に喰いついている――


「ぐっ、ぐあぁぉぁ……ッ」

 ケアドが表情を歪め、苦しげに姿勢を傾ける。錫杖を取り落とし、ふらつきながら数歩進むとその場に倒れ伏した。不意に赤黒い光芒が大きく広がり、次期大神官の全身を覆い尽くす――


「そ、そんなっ」

 ミネアは絶句して両手を口許に当てた。

「くそ……ッ」

 マクミルがケアドの元へと駆け出した瞬間、高等神官に取り憑いた光芒は素早く上空へと舞い上がると主の元へと戻っていく――


「ケアド様ッ、しっかり……」  

 隊長が高等神官の身体を抱き起こすが、すぐに強く眼をつむるとかぶりを振った。ノイシュはうつきながら、口に広がる苦い味を噛みしめた。指揮官が戦死した以上、作戦は完全に失敗となってしまった……いや、違う――


「お、おおおぉぉッ……」

 恍惚こうこつとした声音が耳朶じだを打ち、ノイシュが顔を上げるとエスガルが大仰に両手を広げた。


「身体が熱くたぎる……っ、これこそ一騎当千の霊力を誇る覇者の魂……ッ」

「エ、エスガル……ッ」

マクミルのめ付ける視線に敵神官が気づき、顔を向けるとフン、と鼻を鳴らす。


「雑魚共めっ……死にたくなければ、さっさと失せるが良いッ」

「そうは参りません」

 ノイシュが敵神官に向かって一歩を踏み出し、礼式をとる。


「……貴様、何のつもりだ」

 片眉を吊り上げるエスガルからは容赦ない威圧感が発せられており、ノイシュは震えそうになる喉を懸命に抑えて、更に力を込めた――


「――リステラ王国のヴァルテ小隊所属、術戦士ノイシュ。ノイシュ・ルンハイトと申します。折角ですが祖国存続の為、猊下げいかには死かとりこを選んで頂きます」

 不意にエスガルが歯を見せ、驚愕とあざけりが混ざった笑みを浮かべる。


「ハッ……貴様の様な小物が、大神官後継者のアニマをも吸収した私と、対等に闘うつもりだと……っ」

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