第4話 水神祭


 水神祭三日前。

 宣言通りにアルピチュアに戻ってきたアロンツォは、屋敷に顔を見せに来た。

「お久しぶりです、ティト様。おやおや? プラチド、何だかお二人仲良くなったように見えますねぇ」

 彼の言う通り、あの月一会議から僕たちの仲はよろしくなっていた。話途中に姿を消すこともなくなったし、僕は彼の好きな食べ物も好きな人も知っているのだ。もう十分に仲良くなったとも言える。ちなみに彼の好きな食べ物は甘い物だ。僕も好き。

「もちろんです! 彼は仕事が早いし、勉強も教えてくれて最高です!」

「それは結構なことで。私も水神祭までに帰れて良かったです。こちら、お土産をどうぞ」

 アロンツォから水が入っている青緑色のガラス瓶を渡される。液体に色が付いているのか、それともガラス瓶の色が反映されているのかよくわからないが、うっとりするほど奇麗だ。

「これは……?」

「香水というものです。ご婦人の間で流行っているようで、いい香りを身に纏って男性を魅了するらしいですよ」

「……僕は男です」

「くふふっ。男性でも付ける方はいらっしゃいます。私もつけていますしね」

 アロンツォに近付き匂いを嗅ぐ。確かにいい匂いがする気がする。

 瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐと、強烈な匂いが鼻を痛いくらいに刺激する。瓶から鼻を離しても匂いが取れず、少し涙目になる。

 アロンツォはその姿を見て笑いながら、次に彼はプラチド君に本を渡していた。礼を言ったプラチド君は、アロンツォに尋ねる。

「アルピチュアにはいつまでいらっしゃるのですか?」

「そうですね……。一週間ほど滞在しようかと考えています」

 アロンツォの返答を聞き、プラチド君の顔が少し明るくなったように見える。プラチド君の表情はあまり変わらないが、最近は彼の感情の機微を捉えられるようになった。

「アロンツォさん。良ければその一週間の間、この屋敷で過ごしませんか? 旅の話も聞きたいですし、あなたは私の後見人なんですから」

 アロンツォは顎に手を当てながらしばらく唸って、

「ティト様のお誘いですし、喜んでご厄介になりましょう」

 フェリを呼んで、アロンツォが一週間滞在することを伝える。彼女は手早く客室を整え、アロンツォを案内し、自分の部屋にいた僕のもとにやってくる。

「アロンツォ様は客室でお休みになっております」

「ありがとう。フェリ。あ、そうだ」

 僕はアロンツォから貰った香水をフェリに渡す。

「これ、香水と言うものらしいんだけど、僕は使わないから良かったらフェリ使って。ちょっと匂いが強烈だから気を付けてね」

「香水、ですか……」

 受け取ったフェリはにこやかに笑った。

「ありがとうございます、坊ちゃま」


 夕食の時間にアロンツォが滞在していた場所について尋ねると、パシオン、アムールの二国に行っていたのだと言った。

「パシオンの闘技場は素晴らしいですよ。人も猛獣も、誰が相手でも戦うんです。血湧き肉躍る、あの感覚はあそこでしか味わえません。私に武の心得はないですが、一度あの場に立ってみたいですねぇ。どんな気持ちになるのか気になります」

「アロンツォ様。お止めください。秒で殺されてしまいます」

 アロンツォの言葉に咽せたプラチド君は、咳き込みながらも考え直すように説得する。

「しかし、その秒でさえも死にゆく者には恐ろしく鮮明に、克明に生を感じられる瞬間になり得るのでしょうねぇ。あらゆる策を練っても、どんなに交渉をしても、猛獣には通じない。あぁ、考えるだけでゾッとします」

 アロンツォの表情は言葉とは裏腹に、どこか恍惚そうな表情を浮かべている。つまりだ。

「アロンツォさんは、猛獣になぶり殺されたいと言うお話ですか?」

 僕の言葉に彼は首を横に振った。

「そうではありません。人間が身一つで猛獣とぶつかるとなると、大抵の人間は殺されてしまいます。しかしーー」

 彼は今日のメインディッシュのステーキにナイフを突き立てる。

「今、私たちは彼らを屠って食している。私たちはすぐに忘れてしまいますが、自分たちよりも強い肉を喰らっているんです。それを思い出させてくれる場として、あれほどいい場所はない。強いものが弱きものに負ける。強者が弱者になぶられる。そういう普通では考えられない、立場の逆転を感じられるものが大好きなのです。ねぇ、溜まらないでしょう?」

 アロンツォの言い分はよくわからないと首を振った。

「くふふっ。まぁ、いいでしょう。お子様にはまだ早かったですね」

 彼に共感を示さなかったからか、急に子供であることを責めるような言い方にムッとする。どちらがお子様なのか。

「では、アルトゥーロさんはどうですか? 私の気持ちわかってくれるでしょう?」

「……勝った者が勝者だ」

 アロンツォはなるほど、と感心している。大きなお子様はもう一つ訪れた国について触れる。

「アムールでは古い友人に会いましてね。元気そうで何よりでした」

「へぇ。その友人は一体何を?」

「まぁ同業者みたいなものですね。しかし、彼はどうやら腑抜けてしまったようで、張り合いが無くなってしまって……。全く残念で仕方ありません」

 彼はため息をついて首を振る。その目はどこか遠くを見ているようで、寂しそうに見える。

 同業者とは、彼のように世界を股にかけて交渉を行う外交官のことなのだろうか。張り合いが無くなったというのは、止めてしまったということなのか。関係性がよくわからない。でも、張り合える相手というのは、

「ライバルという奴ですか?」

 僕の言葉に少し驚いた表情を見せるアロンツォ。だが、それを見せたのは一瞬で、すぐにいつものヘラヘラとした表情に戻る。

「……そうかもしれません。ティト様は張り合う相手は……。いや、そもそもそういう気質をお持ちでは無さそうですね。しかし、そう言った存在は己の成長を促してくれる大切な相手。見つけたら大切にしなければ、ね?」

 アロンツォが僕にウィンクしてきて、背筋が凍った。さらに彼は僕の姿勢をピンと張るような話をする。

「ところで、水神祭の準備はしっかりと進んでいるようですね。外から来た人々も多く滞在しているみたいですし、当日が楽しみです。あ、そうそう。我が国の王女がお忍びで来るという話を聞いたのですが、何か聞いていますか?」

「なーー!? それは本当ですか!?」

 そんな話は聞いてない! 王女がアルピチュアの水神祭に来るとは一体どういうことだ!?

 プラチド君に聞いてもそんな話は知らないと言う。僕自身、噂も何も聞いた覚えはなかった。

「まぁ、噂ですし、ティト様に連絡が来ていないということなら、デマなのでしょう」

 噂といえど王女が来るかもしれないと聞かされれば身震いする。もし本当に来たら、何か持て成さないといけないのだろうか。うんうん唸っていると、僕の側にいたフェリがアロンツォに尋ねた。

「ちなみに王女様は今おいくつなのですか?」

「たしか、十歳だったかと……。ティト様と同い年ですね」

 僕も王女の年齢は知らなかった。自分の国の王女ではあるが、遠い存在なので特に何の感想もない。「来ないでくれ」と願いつつ、その後もアロンツォの話を聞いて、楽しく食事をした。



 水神祭当日。

 三年に一度開かれるこのお祭りは、この都市がアルピチュアと呼ばれる何百年も前から続いているという。

 土地の繁栄を願い、都市の中央にある大広場では水神様が彫刻された噴水が設けられている。広場を取り囲むように露店が立ち並び、仮設ステージには音楽隊、大道芸人、身なりを飾った人たちが芸を披露して人々の目を楽しませる。

 広場だけでなく、都市全体もお祭り騒ぎだ。今日ばかりは自らの意志で川に飛び込み、楽しそうに泳いでいる人たちがいる。この光景は海の方でも同じであった。

 また、この都市で唯一、海と遮断された湖がある。若い男たちの中には、近くの崖からその湖に飛び込み、度胸試しをする者もいた。

 そして、水神を祀るこの祭りの一番の特徴は、仮面を被ることである。仮面をつけることで今日一日だけ、身分や立場を忘れて平等になれるのだ。誰が偉いわけでも、誰が貧しいわけでも無い。皆が自由に過ごせる開放的な日になっていた。

 しかし、それは良いことばかりではない。悲しいことに、この水神祭の日に犯罪行為も増えるため、憲兵が都市中に配置され、監視の目を光らせていた。

 憲兵と同じように、水神祭ではあちこちに神父やシスターの姿を見かける。神を祀る者として水神祭を運営しているのは協会の人たちである。司祭であるフラミニオは大広場で神の素晴らしさを皆に説き、神父やシスターも花を持ちながら、今日と言う日を祝いに回っていた。


 そして、そんな楽しそうなお祭りが行われている最中、僕は屋敷にいた。アロンツォはさっさと一人でお祭りに行き、生真面目なプラチド君は屋敷に残り、書斎でいつも通り仕事をしようとしていた。

「プラチド君、今日は水神祭なんだよ? どうして、アロンツォさんと一緒に行かなかったの?」

「これが私の仕事なので」

 彼は祭りに興味がないようで、申請書に目を通している。彼が仕事をすると言うならば、僕もこの場にいないといけない気がして、屋敷から出られずにいた。まぁ、前回の水神祭で溺れてしまっていい記憶がないから、行かなくてもいいのだが。

 僕はため息をついて、真面目過ぎるプラチド君に声を掛けた。

「プラチド君は水神祭に参加したことがないんだよね?」

 彼は興味なさそうに頷いた。アロンツォに出会ったのは別の国で、アルピチュアに来たのは二年前だと言う。

「水神祭は三年に一度しか開かれないんだから、行って楽しんできなよ。仮面のことは心配しないで。なんなら僕のを貸すし、あ、でも、おじいちゃんの奴の方がいいかも」

「私は別に……」

 気乗りしていないプラチド君を置いて、僕はフェリに頼んで祖父の仮面を持ってきてもらう。一等豪華で紳士的な仮面。これを付けて祖父は楽しそうに女性を侍らせていた覚えがある。そんな仮面をプラチド君の前に出すが、彼が受け取る様子はない。

 彼が水神祭に興味を持つように、この祭りの運営者について説明することにした。

「水神祭ってね、教会の人たちが企画、運営しているんだよ。神様を祀る日だから、普段協会にいるシスターや神父もお祭りに参加するんだ。彼らは普段黒い服を身につけているけど、お祭りの日は白と青緑色を基調とした開放的な服を着て、お花を持って回ったり、踊ったりするんだよ」

 プラチド君の眉毛がピクリと反応した。

「きっと、孤児院のシスターも参加するんだろうなぁ。いつもの服でも可愛いけど、きっと今日は白い肌を晒して解放的な服を着るんだろうなぁ。天使みたいに可愛いから、もしかしてナンパさーー」


「休暇申請は受け付けてくださいますか!?」


 プラチド君は僕の肩をがっしりと掴み、額がぶつかるのではないかというほど、これでもかと近づけた。心なしかその目は血走っているようにも見える。驚きながらも彼の言葉に頷くと、彼は僕の手から仮面を取り上げた。

「では、その仮面お借りいたします!!」

 あっという間にプラチド君は書斎から出て行ってしまう。気を利かせてシスターのところへ行くようにけしかけたが、あんなに急いで出ていくということは、彼がシスターを好きなのは間違いないらしい。

「ふふっ。プラチド君たら、あんなに必死な顔して……っ」

 笑いながら彼を見送っていると、少し不満げな顔をしたフェリがこちらを見ているのに気が付いた。彼女も水神祭に行きたいのだろうか。

 僕はあのつらい記憶があったので、大して祭りに行きたい気持ちはない。

「フェリも行ってきていいよ。一応誰かここに残っておいた方がいいだろうから、僕が残るよ」

「坊ちゃまが行かないなら、私もこの屋敷に残ります」

「あれ? 行きたいんじゃないの? だから、そんな顔してるんじゃ……?」

 ドアの前に立っていたフェリは僕の方に近づいてくる。近くで見た方がより一層の不満げであることが分かる。

「ど、どうしたの? フェリ?」

 彼女は口を尖らせて言う。

「坊ちゃまはメイドよりシスターの方が良いんですか?」

「え?」

「先ほど『天使みたいに可愛い』と」

 プラチド君に言った台詞を思い出し、その話かと合点がいく。

「あぁ。孤児院のシスターは少し天然っぽくて優しいお姉さんって感じでね、とても可愛いんだよ。メイドとシスターどうこうってより、僕は、フェリ……の、方が……」


ーーあれ……? 今、僕は何を言おうとしている……?


 僕の声は段々と尻すぼみになっていく。妙にフェリがこちらを熱心な目で見ていて、「フェリの方がなんです? 早く言ってください!」と責め立て、言葉の続きを今か今かと待っている。

 なんだかそんな熱い視線で見られると、胸が締め付けられて、上手く思っている言葉を口に出せない。

「め、メイドの方がなじみ深くて、お母さんみたいだしで好きだよ。あはは……」

「お母さんですか……」

 フェリは僕の言葉に納得いかないようで、僕自身も間違いではないのに違和感を感じた。

 フェリはプラチド君に渡したのとは別に二枚の仮面を持っていた。一つを自分の顔に取り付け、もう一つを僕に取り付ける。

「え、何……?」


「これで立場など関係ありません」


 狭まった視界からフェリが顔を寄せてくるのが見える。フェリからいつもと違う匂いを感じた。

 あれ、いつもの優しい匂いじゃなくて、エキゾチックで魅力的な香りがしてクラクラしてくる。

「わわっ! ちょ、ちょっとフェリ一体どうしたの!?」

「私はメイドではありません。今、この場にいるのは、ただ目の前ーー」


「フィガロ様!! フィガロ様はいらっしゃいませんか~~~っ!?」


 急に名前を呼ばれ、何事かと飛び跳ねる。フェリから逃げるように、慌てて声のする玄関ホールへ向かうと、そこには仮面を外したレミージョと、眉間に皺を寄せている女性が立っていた。だが、その女性は男性用の服を身に纏っている。

「レミージョさん、一体どうしたの?」

「この人が君の屋敷を探していたから、連れてきたんだ」

「そっか、ありがとう。僕がこの屋敷の主、次期領主候補のティト・フィン・フィガロです」

「お父上は?」

 いないと答えると、彼女は眉間の皺を一層深く刻む。

「お爺様は?」

「亡くなりました」

 僕の言葉で固まった女に、フェリが言った。

「今、アルピチュアの領主は空席になっておりますが、実質坊ちゃまがこの都市の領主だと考えてもらって問題ありません。あなたのお名前とご用件を」

「……あぁ。私の名前はオッタヴィア。この国の王女ーーラウラ様の側近の一人です」

「え゛ーー!?」

 『王女』というワードに情けない声を上げてしまう。まさか、アロンツォが言っていた噂は事実だったというのか。

「今回、アルピチュアの領主様にもお伝えせずに、お忍びでこの水神祭にやって来たのですが、祭りを楽しんでいる最中、あのバカ……いや、ラウラ様が行方不明になってしまったのです」

「「な、なんだって~~!?」」

 僕とレミージョの声が重なった。

 オッタヴィアによると、この水神祭に二人の側近を連れ、お忍びでやってきたラウラ様は、突如姿を消したのだと言う。ラウラ様は所謂お転婆娘と言うやつで、側近の目を掻い潜って抜け出すのが得意らしい。

 憲兵にも王女を探すように声をかけたが、「水神祭に王女が来るなど聞いていない」という一点張りで対応してもらえず、ここに来たという訳だった。

「失礼ですが、あなたがラウラ様の側近で、ラウラ様がこの水神祭に来ているということを証明するものはありますか?」

「王家の紋章が描かれた剣ならここに。ラウラ様自身は王家に伝わるネックレスを付けていらっしゃいます」

 その剣を手に取って眺める。たしかに王家の紋章が刻まれていた。

「わかりました。フェリ、軍の本拠地、いや、セヴェーロさんのもとに行って、王女様捜索の手配をしてもらって! 僕はオッタヴィアさんとラウラ様を探すから」

「承知致しました。では報告後、私の方でも捜索を。特徴を教えてくださいますか?」

 王女様の特徴を聞いたフェリは一礼して屋敷を飛び出し、僕らもそれに続いた。レミージョにはフェリを送ってもらうように頼んだ。

「オッタヴィアさん。ラウラ様を最後に見た場所はどこですか?」

「水神様が祀られている広場です」

「では、まずそこに行ってみましょう!」



 広場を見渡し、ラウラ様が今日着ていたと言う緑のドレスを探すが見つからない。もしかしたら、食べ物の匂いにつられてフラフラと移動したのではないかと思い、オッタヴィアに尋ねる。

「ラウラ様は何か好きなものとかありますか?」

 僕の質問に少し言葉を詰まらせながら、オッタヴィアは言った。

「え、っと……。ラウラ様が好きなのは、花と……。び、美少年ですね……」

「び、美少年ーー!?」

 思わぬ回答に復唱してしまう。

「えぇ。ラウラ様は美しい顔をした少年に目がないようで、偶にフラフラと美少年に引き寄せられている姿をよく見かけます……」

 美少年と言うことは少し中性的な見た目をしていて、まだ幼い面影を持つ成人したばかりの青年にも当てはまるはず。僕が知っている美少年と言えば……。


ーープラチド君……っ!?


「ぼ、僕! 一人美少年を知っています!」

「な!? 本当ですか!? では、もしかしたらっ!」

「今彼がどこにいるかはわかりませんが、孤児院にいる可能性は高いです!! こちらへ」

 僕はオッタヴィアを連れて、舟に乗り、孤児院まで走った。


「はぁはぁはぁ……。オッタヴィアさん早い……」

「え? あぁ、まぁ鍛えてますから」

 息を切らしながら孤児院にたどり着き、扉をノックすると子供たちが出てきた。その中にあの事件の少年がいた。

「ねぇ、プラチド君を知らない!?」

「え? あぁ、あのお兄ちゃんなら、さっき訪ねてきたけど、シスターの居場所を聞いてすぐに出て行ったよ」

「シスターはどこに!?」

 少年の話によると、シスターは港の方で花を配るっているらしい。僕は少年にお礼を言って、僕たちは港へと移動した。


 港にはやたらと船が停泊していた。いつもより人通りが多く騒がしい。シスターの姿は目立つはずだが、身長が低いためか中々見つけられない。

 しかし、そんな中、アロンツォらしき男が女性と楽しそうに話しているのを見つけ、割り込むように話しかけた。

「アロンツォさん!」

 アロンツォに呼びかけるが、彼は反応が悪く、素知らぬふりをする。その腕を掴むとやっと反応した。

「アロンツォさん、待ってください!」

「いやだね。私は何者でもないよ」

「あらあら、可愛い坊やね」

「私はこちらの女性と大切なお話をしているんだ。少年よ、邪魔しないでくれないか?」

 アロンツォは今ばかりは話しかけなと、僕を厄介払いしようとする。緊急事態と言っても知らんぷりを続けるアロンツォ。

ーーぐぬぬ……っ。それなら……っ!


「パパ、どうしてママがいるのに、この人の手を取っているの……?」

「「!?」」


 僕の言葉を聞いて、女性はアロンツォの手を離した。

「あなた、独り身って言ったじゃない! 奥さんも息子もいるなんてっ、さいてーねっ!」

 そう言って、怒った女性は向こうに行ってしまう。

「……いくらティト様でも、うわっ!」

 アロンツォの怒りを受け入れる前に、彼の服を思い切り引っ張る。アロンツォの体勢を前屈みにさせ、耳元で呟いた。

「王女様が行方不明なんです!」

「なんですってーーっ!?」

 そのまま耳元で現状を伝えた。


「それで、僕たち美少年を探してるんだけど……。アロンツォさん、僕史上美少年ランキング一位のプラチド君を見ませんでしたか!?」

「あぁ、見ましたよ。珍しく女性と話していました。邪魔しないでいようと思って見守っていたんですが、たしか、舟に乗って移動してしまいましてね。流石、プラチドです。川には沢山の花が流れていて、女性と二人で過ごすには絶好の場所ですから」

 その話を聞いて舟に向かおうとすると、アロンツォが僕を止める。

「君にとってプラチドは美少年なのかもしれませんが、一人に絞って探すのは非効率でしょう。ティト様はプラチド君を引き続き探してもらって、私とオッタヴィアさんは別の人物をあたりましょう」

「分かった! ありがとうパパ!」

「こら、それはお止めなさいっ!」


 アロンツォたちと別れた僕は、プラチド君とシスターが向かったと思われる川に向かい、舟に乗り込む。

 おそらく彼らが進んだであろう川下を進んでもらうが、舟を見つけることはできない。しばらくして諦めかけたその時、プラチド君とシスターが乗っている舟を見つける。彼らの舟にはなぜか漕ぎ手もおらず、彼ら自身櫂で漕いでいるわけでもない。二人の世界は止まっているかのように、その場に佇んでいた。

 プラチド君には申し訳ないが、その世界を壊すような大声を上げる。


「プラチドくぅ~~んっっ!!」


 僕が大きな声で呼びかけると、プラチド君は遠くからでも分かるように体をビクつかせ、ぎこちなく振り返った。その表情は不機嫌そのもの。

 彼らの近くに舟を寄せるが、そこには二人しかいないようで、やはりラウラ様は見当たらない。怒り顔のプラチド君に事情を説明した。


「なぜ、私を探すんですか……。私は美しくありませんし、美少年と呼ばれる方は他にいるでしょう」

 すると、シスターは首を傾げて言う。

「え? プラチド様は美少年ではないですか。ラウラ様から見てもきっとそうに違いありませんよ」

 シスターの言葉を聞いて真っ赤になるプラチド君。今、彼を気にしている暇はない。

 僕の思い浮かぶ美少年はもういない。どうしようと悩んでいると、シスターは「そうだ!」と思い出したように目を見開いた。


「リク様もお美しいですよね!」


 プラチド君がムッとしたのが分かった。馴染みがない名前に首を傾げていると、シスターが言った。

「元帥の息子さんですよ。ほら、あのセヴェーロ様の」

「え……? あぁっ!」

 そういえば。以前プラチド君から彼の名前を聞いたことがあったなと思い出す。

 あの態度の悪い息子は、鬼のような表情しか見せてこなかったので気にも留めていなかったが、あれは俗にいう美少年かもしれない。なるほどなと頷いていると、プラチド君は不平そうに言った。

「リクさんが私より美少年かは何とも言えませんが、彼がいるであろう獄舎近くに行ってみましょう。リクさんとセヴェーロ様はあの場所から中々動かないと思いますから」

 プラチド君がシスターを見る。シスターは天使のような笑顔だ。

「私のことはいいですから、プラチド様。ラウラ様を探しに行ってくださいませ」

 プラチド君はシスターに深く頭を下げ、僕の舟に移動して、名残惜しそうにシスターを見つめる。しかし、二人は引き剥がされていき、僕らの舟は獄舎へ向かって行った。


 恐る恐る建物内に入るが、誰もいない。

「あ、あのぉ……。すみませ~~ん。リクさんはいらっしゃいませんかぁ……?」

 どうやら獄舎の中には今、憲兵は誰もいないようだ。仕方なく建物を出ようとした時、何か大きなものにぶつかった。

「うぎゃっーー!? 痛てて……」

 尻もちをついてお尻に痛みが走る。一体何にぶつかったのか上を見上げると、逆光で表情が全く見えないこの都市で一番恐ろしい男ーー


 セヴェーロが立っていた。


 少しばかり、いやかなり情けない声を上げて立ち上がり、プラチド君の背に隠れながら話しかける。コスマ宮殿では強気に出れるが、ここはダメだ。この獄舎で会うのはまだ怖い。

「うっ……、うちのメイドが王女様についてっ、捜索依頼を出した思いますがっ、全体に伝わっていますでしょうか……っ」

「あぁ。今、指示を出したから、すぐに全体に広がるだろう。見つけ次第、ここに連れてくるように言ってある」

「そ、そうですかっ。ありがとうございますっ……。そ、それと、息子さんはど、どこに?」

 セヴェーロは眉を顰めた。

「なぜ、お前がリクを探している?」

「も、もしかしたら、王女様はリクさんと一緒にっ、いるかもしれないので……っ」

 僕の言葉にセヴェーロは一層眉間に皺を寄せる。王女様が美少年好きなのだと伝えると、僅かばかりではあったが、初めてセヴェーロの表情が崩れた気がした。

「フッ。お前から見て、アイツは美少年なのか」

ーーいや、僕がお慕いする美少年はプラチド君だけです!!

 なんてことは父親には言えず、言葉を濁す。

「まぁいい。奴は南西にある崖付近で警備しているはずだ。あそこは湖に飛び込みをするバカどもがいるからな」

「あ、ありがとうございますっ! では、僕たちはこれで……」

 さっさと退散しようとしていると、セヴェーロに呼び止められ、上擦った声が漏れる。彼は僕が尻餅をついた時に落としたままだった仮面を拾い上げ、手渡してくる。

「余計なゴミを置いていくな」

 酷い言い草だったが、僕は頭を下げて礼を言い、プラチド君の手を掴んで逃げ出すように走った。


 崖に着くと、命知らずの若者達が一人の若い憲兵に指導を受けていた。その憲兵こそ、今僕たちが探していたリクである。

 呼びかけると、彼は不機嫌そうにこちらを見た。

「あの、緑の服を着た十歳くらいの女の子に、話しかけられませんでした?」

「緑の服? 十歳くらい……? あぁ、あのガキか」

 その反応にもしかしてと思い、続きを促すと、

「名前は何だ、やれこっちを見ろだとか、私と結婚しなさいだとかふざけたこと言いやがって、ムカついたから「話しかけんなブス!」って言ったら、泣きながらどっか行ったぜ」

「そ、そんなっ!? 王女様にそんなこと言ったの!?」

「はぁ? 王女様?」

 どうやら、リクのもとにはまだ伝令が届いてなかったようで、王女様の捜索が行われていることを知らなかったみたいだ。


 そうだとしても女の子に対してなんてひどい……。


 彼を糾弾するが、反省を示すような態度は見せない。寧ろ王女様を侮辱するような言葉まで吐く。

「あんな奴が俺らの国の王女様なのか。甘やかされて、勘違いして、どうせ頭も悪いんだろうな。死んでも王宮なんかに仕えたくないぜ」

 彼の発言は何を言っても訂正されることはないなと思い、ラウラ様がどこに向かったか尋ねる。

「声をかけられたのは崖下の湖だが、どこに行ったかは知らねぇな」

「え? 湖?」

「そこだよ、そこ」

 彼が指さした方向を見て崖から身を乗り出すと、ちょうど真下に湖があった。話にだけ聞いていたが、こんな高さから落ちるのか。いくら度胸試しでも下手をしたら死んでしまうのではないだろうか。

「こ、こわ……っ!? こ、こんなの死んじゃう……っ!」

「俺が来るまで何人か飛び込んでたが、死人はいないみたいだぞ。水深が結構深いしな」

 肝が冷えて、身を乗り出していた体勢を引っ込めようとしたら、突然の強風に煽られて、体が思わぬ方向へ倒れていく。


「あれ……? あれれ……?」


 視界がぐらりと回転し、頭から真っ逆さまに。重力に従い、段々とスピードを上げて地面へと落ちていく。


ーーう、嘘でしょ!? ぼ、僕泳げないのに!?


 ドボンっ!!


 突如叩きつけられた衝撃は体に痛みを感じさせる。水面に接触した後は、逆に体を包み込むようにゆっくりと奥底まで誘われていく。ボコボコと泡が水面へ上がっていき、肺から空気が抜けていく。空気を求めて光の方向を目指し、なんとか水面から顔を出す。

 しかし、泳げない僕はその場に留まり、一時の空気を求めて四肢をがむしゃらに動かし、浮かんでは沈んではを繰り返す。吸い込む空気も水を多く含み、体はどんどん重くなる。

 それでも必死で助けを呼ぶ。口に水が入ろうが関係ない。僕が泳げないことは、今僕しか知らないのだから。

「あばばばばっ!! たしゅ、たしゅ。げほっ! たしゅ、けてぇ~~っ! がはっ! あばば!」


 もう死ぬのかもしれないと思った時、再び湖が何かを飲み込み、水面は大きく波打った。


「あばっ!? ぼぼぼっ! ばふぁっ、がはっ、あばばばばぁっっ!」

 波に溺れて思い切り水を飲み込んでしまう。全身から力が抜けて、体の動かし方が分からなくなる。その時ーー


 下からすくうように手が伸ばされた。


「げほっ、げほっ……」

ーーし、死ぬ、かと……、思った……っ。

 僕の隣でぜーはーと息を吸っているリクがいる。どうやら彼が僕を助けてくれたようだ。僕は力なく地面に横たわりながらピュッピュッと情けなく水を吐き出す。

「お、お前……っ。アルピチュアに住んでんのに、泳げないとか頭おかしいんじゃねえのか!? ガキでも泳げるぞ!」

 リクの言葉に返す言葉もなく、元気もない。そこに崖から降りてきたプラチド君が、僕のもとに駆け付けてくれる。

「だ、大丈夫ですか!? ティト様っ!」

「うぅ……っ」

 プラチド君に縋りつくのだが、手に力が入らずに震えている。体も重く、フラフラしている。水を大量に飲み込み、僕の体はかなり衰弱しているようだ。

「リク様、血が……」

 プラチド君の言葉を聞いてリクを見ると、袖丈の一部が破れて、腕から血が出ていた。

「こんなのは大したことない。そいつをさっさと屋敷に連れ戻るんだな。ちゃんと水を吐き出させねえとお前の主、死んじまうぞ」

 そう言って、リクはどこかに行ってしまった。

 プラチド君に体を起こされるが、全く力が入らない。お腹もタプタプして服も水を吸い込んで重量が増している。彼に背中を摩られながら可能な限り水を吐き出した後、プラチド君は僕を背負ってくれた。

「ご、ごめんよ……。プラチド君……」

「お気になさらず」

 彼は僕を屋敷まで連れ帰ってくれた。


 屋敷には誰もいないようで、玄関ホールで僕たちを出迎える者はいない。朦朧とする意識の中、ドタドタと慌ただしい音が頭に響き眉を顰める。視界が悪い中、そこに現れたのは、アルと可愛らしい少女。彼女はアルの腕の中にいた。


ーーま、まさか……この少女は……っ!


 僕がプラチド君の背中から下りて、地に足をつけた時、崩れるようにして視界が暗転した。



「……ちゃま……ぼっ……ちゃ……っ!」


ーーん……。


「坊ちゃま……坊ちゃま……っ!」


 重い瞼をゆっくりと開くと、こちらを心配そうに覗き込んでいるフェリの姿があった。

「フェリ……?」

 現状が掴めなくてほうけた声を出すと、フェリに抱きしめられる。

「坊ちゃま! 湖で溺れたと聞きました……。怖かったでしょう……っ?」

 そうか。僕は崖から落ちて、湖で溺れて。プラチド君に背負ってもらってーー

「お、王女様はーー!?」

 首を左右に振って、最後に見た女の子の姿を探す。だが、僕の部屋にはフェリしかいない。

「王女様はご無事ですよ。どうやら、アルトゥーロが保護していたようです」

 フェリの話によると、買い出しに行っていたアルが、リクに振られて悲しんでいたラウラ様を見つけたらしい。

 アルは泣いている彼女を放っておけず、いつも僕にしているように肩車をして「両親を探そう」と声をかけると、ラウラ様は泣き止んだ。

 ホッとしていると、彼女はアルの顔をジーッと見て、「名前はなんだ」「気に入ってから私の下で働きなさい」とせがまれ、僕がいるのでそれはできないと言うと、「雇い主に会わせろ」と言われ、仕方なく屋敷で僕の帰りを待っていたという。

「な、なるほど……」

 しかし、謎だ。ラウラ様は美少年好きだと聞いていた。アルは僕もその美しさを認める美シロクマだが、美少年ではない。彫刻みたいな奇麗さはあるけど、男らしく雄雄しいのだ。

 体を起こそうとすると、フェリがそれを止めた。

「坊ちゃま。王女様をこの部屋に呼びますから、そのままお待ちください」

「いや、相手は王女様だからね。僕はもう大丈夫だよ」

 ベットから降りるとふらついてしまい、その様子を見たフェリが僕の体を持ち上げた。

「わわっ! だ、大丈夫だってばっ!」

「いいえ、ダメです。フェリが坊ちゃまを抱き上げます」

 何とも言えないような気持ちになる。唸り声を上げながらフェリの好意を受け入れた。やはり、今日のフェリはいつもと違う匂いがした。


 王女様が待っているという客室に向かうと、困った表情をしたアルと、そんなアルに抱き上げられているラウラ様と、片手で顔を覆い隠したオッタヴィアがいた。そして、可愛らしい女の子は偉そうに顎を上げて見せた。

「アンタが雇い主ね。単刀直入に言うわ。アルを貰うわ!」

 彼女は相当アルの事を気に入ったようで、僕にアルを譲れと言ってくる。「そんなことは許しません!」と、僕はフェリに抱き上げられながら必死に抗議する。

「いくら王女様の頼みと言ってもそれはできません! それに、ラウラ様は美少年が好きなんでしょう!? アルはどう見ても美少年ではありません!」

「フンッ! よく見なさいこの目と、髪と、肌の美しさを! アルはとても美しい男性よ! 彼のお子を宿せば、それはそれは美しい美少年が生まれるはずだわ!」

「なーー!?」


ーーこの子、齢十にしてアルの子供を産むことを望んでいるのか……っ!?


 同い年のはずだが、自分よりもよっぽど大人に思えた。だが、負けてはいられない。

「た、確かにアルはかっこいいけど……! だ、ダメですっっ! 僕にはアルが必要なんだ! アルは僕の事守ってくれるし、肩車してくれるし……っ。 そ、それに、ラウラ様はきちんと彼の臭いチェックが出来ますか!? あ、あと、彼はこそこそ恋文をしたためていた男です! アルにだって好きな人はいるんだ! 絶対ダメに決まってる!」

 フェリに下ろしてもらって、ラウラ様から引き離そうとアルの腕を引っ張る。しかし、ラウラ様もアルを離そうとしない。

「な、何よ! アンタにはあのメイドがいるからいいじゃない! 男のくせに情けなく抱き上げてもらったりなんかして……っ! 私は王女なのよ! 私の命令は絶対なのよ!」

 なんて我儘な王女様なんだ。僕から大切な人を奪おうとするなんてとんでもない。これはガツンと言ってやらないといけない。

「じゃあ、王女様! 僕が「オッタヴィアさんをください」と言ったらどうなんですか!? あなたは「分かった」と頷くのですか!?」

「……っ!」

 彼女はアルから手を離し、オッタヴィアの服を掴んだ。

「僕とアルは雇用関係にはありますが、家族であり、友人でもあります。もし、あなたが無理矢理に彼を連れて行こうと言うのなら、あなたがアルを諦めてくれるまで、僕はアルを離さない! アルが王宮に連れて行かれるのなら、僕も王宮に行きます!」

「あ、アンタみたいな美少年でもない男は必要ないのよ!」


「ラウラ様、いい加減にしてください!」


 王女様の酷い言い草に、遂にオッタヴィアが口を開いた。ラウラ様は驚いたのか、彼女を掴んでいた手を離した。

「……ラウラ様、もうお止めください。こちらはアルピチュアの次期領主候補ティト・フィン・フィガロ様です。正確には領主ではないようですが、この都市で一番偉い方なのですよ」

「こ、こんな子供が……?」

 王女様は僕を二度見する。今度は僕が「王女様ほどじゃないけど、偉いんだぞ」と顎を上げて見せた。

「もし、あなたが彼の不利益になるようなことをすれば、彼はラウラ様に制裁を与えるでしょう。あなたが大好きだと言う水神祭に参加させないこともできますし、祭自体も無くすことが出来る立場です。そして、もし、彼が今この場で私たちを殺せと言ってもそれが出来る方なんですよ」

「な、そんなの反逆罪じゃない!」

「今日は水神祭で、身分は関係ない日なのですよ、ラウラ様。その祭りに自ら参加したのですから、今日この日ばかりは身分は関係ありません」

「……っ!」

「それに、アルピチュアは元々一つの国だったんですよ。同盟を組む形であくまでマリーナ国に入ってもらった都市なので、法も制度も全てこの都市独自のものになっています。表面的には都市を名乗っていますが、一つの国と言って差し支えないのです」

「よ、よくわからないわ……」

「分かりやすく言うと、彼はこのアルピチュア国の王と言っても過言ではありません。それに、突然お邪魔して行方不明になったラウラ様を探してほしいと私が助けを求めたら、彼は快くラウラ様の捜索を引き受けてくださいました。そんな方から家臣を一人奪おうと言うのは、あまりにも失礼ではありませんか? ここはあなたの国ではありません。お父様もおりません。あなたの振る舞いがマリーナ国の代表として見られていることをご理解ください」

 オッタヴィアの話を聞いて、ラウラ様はやっとアルを諦めたようだ。その表情はなんとも悲し気だ。

「……オッタヴィア、マッティア帰るわよ。婿探しの再開をしましょう。……あら? マッティアは?」

 そういえば、オッタヴィアは二人で護衛をしていると言っていたことを思い出す。

「……ラウラ様を探しに行って以来、見ておりません」

「何ですって!? マッティアは方向音痴なんだから、一人にしてはダメでしょう!?」

「ラウラ様が消えたと知って、走り出して探しに行ってしまったのです」

「バカな奴ね……」

 僕は手を上げて尋ねる。

「えっと、そのマッティアって人はもしかして護衛の?」

 オッタヴィアが頷く。今度は彼女の護衛捜索になり、僕と王女は屋敷内で大人しく待っていることになった。


ーーなぜた……。


 なぜ、気まずい二人を残して、皆マッティアを探しに行ってしまったのか。チラチラと隣に座っているラウラ様を見ながら、ずっと感じていた疑問を口にした。

「ラウラ様はどうして婿探しをしているんですか?」

 彼女は僕を少し睨みつけながら、ボソボソと話す。

「……私、十六歳になったら結婚させられるの。相手はよくわからない。他国の王子かもしれないし、王子とはとても呼べないおじいさんかもしれない。愛し合ってもいない男と結婚させられるなんて、そんなのは絶対嫌よ」

 彼女は目を潤ませながら首を振る。ラウラ様に同情して相槌を打って話を聞く。

「だから、結婚したいと思える美少年を探しているんですね。お父様はそのことを知っているんですか?」

「知ってるけど、放置しているの。でも、「もし、婚約できたら好きにしてもいい」と言ったの。お父様がなぜそう言ったか分かる? 王女と婚約するような度胸がある男は中々いないし、いたとしても身分がある人じゃないと暗殺すればいいと思っているからなの」

「そんな……っ、酷い……っ!」

 彼女は諦めたような顔をして頷いた。

「仕方ないから、地位のある人をと思って探すのだけど、大抵おじいさんだったり、若くても女性に困っていない人たちばかりで……」

 彼女は天を仰いで楽しくもないのに笑う。足をぶらつかせているのがやるせなさを表しているように見えた。

「あ~あ! 私の人生お先真っ暗! どうせ六年後には、泣く泣くロリコンじじいと結婚させられるんだわ。私は絵本で書かれているような王子様がいいのに……っ!」

 そうか。彼女は今のつらい状況を連れ出してくれる、絵本に出てくる王子様のような人を探してるんだ。大抵そういうキャラは美形に描かれる。それで美少年が好きなのだと合点がいった。

「婚約さえできたら、お父様にも一泡吹かせられるのにな……」

「そっか……でも、さっきはアルの子供を産むとまで言っていたよね? アルとは結婚したかったの……?」

 僕の質問に彼女はキョトンとした。

「あぁ。さっきまでそう思ってたけど、今はちょっと違うわ。よく見たら美少年ではないしね。崖の近くで見かけた美少年に酷いこと言われた後で優しくしてくれたから、ちょっとクラッとしてしまったのよ。今冷静になると、別にアルと結婚をしたいとは思わないわ。臭いらしいし……」

「な、何を!? アルはいい男だよ。美少年ではないけど、いい美シロクマなんだ! 僕が女の子だったら、結婚を申し込むね。うん、絶対!」

「何張り合ってんのよ、アンタ……。アルを取られたくなかったんじゃないの?」

「いや、そうなんだけど。なんか、うん……」

 すると、彼女は何か妙案を思いついたように目を煌めかせた。

「あ、あんた、いいじゃない……っ!」

「え?」

 ラウラ様は僕の肩を掴み、顔を近づけてくる。


「私、アンタと婚約すればいいんじゃない……!?」


 ラウラ様の手を振り払い、自分には無理だと首を振る、手を振る。気が狂ったのか。ラウラ様は幻覚でも見て、僕が美少年にでも見えているのか。と思ったのだが、

「失礼ね、こっちだって平凡の凡のアンタなんか好みじゃないわよ!」

「失敬な!」

「お父様が出したのは『婚約』よ。別に婚約したって結婚しなかったらいいんだわ。そうよ、そうだわ!」

 全力で拒否するのだが、こういう時の女性の押しの強さはなんなのか。一向に諦める様子はない。

「いいじゃない! 別に結婚するわけじゃないんだし。あなたはアルピチュアの領主候補。オッタヴィアがあんなにアンタには力があるって言ってたんだから、お父様と言えども、アンタを殺すことはないでしょう? まぁ、でも、もしかしたら、アンタの屋敷に暗殺者が来るかもしれないけど、構わないわよね……?」

「構わなくないです! 問題大ありです!」

「でも、アンタしかいないんだもの! 私を手伝ってくれそうなお人好しは!」

「そ、そんな!」

「ちょっと、私と婚約しなさいよ~~~っ!」

「うわぁ~~~っ! だ、誰か助けてぇ~~~っ」



「絶対ダメです!」


 フェリの声がいつも以上に力強い。それに、どこから聞こえているのか、地響きのような音が聞こえてくる。この地鳴りを出している当人は、それに気が付いていないようで、僕はその揺れで体が震えているのか、それとも恐ろしい女の戦いを見て震えているのかよくわからない状態である。

「別に結婚するわけじゃないし、婚約するだけなんだからいいじゃない! 私の運命の相手が見つかって、時期が来たら婚約破棄すればいいんだからっ!」

「坊ちゃまの危険をお考えください! それに、坊ちゃまと婚約するなんて……っ、私は絶対許しません!」

「~~~っ! だ、だって、私……っ、年老いた老人なんかと結婚したくないんだもん~~っ!! うわぁあああんんんッ!!」

 ついにラウラ様は泣き落とし作戦に出てしまう。無事連れ戻されたマッティアはどういう状況か理解できているのか、それともできていないのか、黙って腕を組んでその様子を見守っている。彼は彼女が泣いても動揺はないらしい。

 代わりに慌てたオッタヴィアが僕に縋りついてきた。彼女はラウラ様の涙に弱いらしい。

「ど、どうか。お願いできないでしょうか? ティト様にご迷惑が掛からないように尽くさせていただきますし、何か困ったことがあれば私たちがこの都市を助けるとお約束しましょう。我儘なラウラ様ですが、私としてもラウラ様が望まぬ結婚を強いるのは苦しくて、つらくて……」

 二人の女性に泣きつかれる。王女様はボコボコと僕を殴りつけ、オッタヴィアは服を引きちぎらんばかりに強い力で引っ張ってくる。そこに、見かねた美青年プラチド君が割って入った。

「ティト様。彼らに教育機関を設立する支援をしてもらってはどうでしょう? 少年法さえまだ整備されておりませんが、一国のラウラ様とご婚約すれば、王宮からそれぐらいの支援金は送られてしかるべきかと。アルピチュアの領主候補としてお考えしてみては?」


 たしかに、領主候補として考えるとこの婚約はアリだ。


 交渉相手として間違いなく最上の相手。チラリとフェリを見ると、彼女の目は「それだけはいけません」と訴えているようだった。僕も好きでもない人と婚約はしたくはない。だがーー


 個人の感情を優先させられるほど、得られる利益は小さなものではない。


 それに、僕は領主候補なのだ。それが正しいとさえ思えた。

 僕が彼女たちに頷いたのを見て、フェリは部屋から出て行き、部屋に閉じこもってしまった。



 フェリの部屋から泣き声が聞こえてくる。先ほどから彼女の部屋の前でずっとウロウロとして、泣き止むのを待っているのだが、いつまで経ってもそんな時は訪れない。シクシクと声を抑えている嗚咽が廊下に僅かばかり漏れている。こんなことは初めてで、彼女にどう声をかけていいか分からない。

 二時間程前、ラウラ様との婚約を記した契約書に二人でサインした。もちろんその場にフェリはいない。僕とラウラ様の婚約は、彼女が王宮に戻ったら国中に広がることだろう。でも、フェリには僕から伝えないといけない気がした。

 これはあくまでアルピチュアのための婚約であるし、実際に結婚するわけではない。僕がラウラ様と結婚したいわけじゃないことだけは、フェリにしっかりと理解してもらいたいと思った。

 息を大きく吐いて、吸う。三度ほど深呼吸してから、彼女の部屋のドアをノックした。その瞬間、彼女の泣き声が止んだ。

「……フェリ。僕だよ。入ってもいい……?」

 彼女から返事はない。ゆっくりとドアを開けると、彼女はベッドの上でシーツを掴んで蹲っていて、月明かりだけが暗い部屋を照らしていた。

 彼女が部屋に引きこもったことも、蹲っているのも、ましてやこんな風に泣いている姿など見たことがなかった。

 さっきまで止んでいた泣き声の代わりに、鼻をすする音が聞こえる。胸が締め付けられるような思いで、彼女のベッドにそっと腰を下ろした。

「フェリ……。泣かないで……」

 フェリは伏せたまま、顔を見せてはくれない。僕のために怒って、泣いてくれたフェリに触れながら、ラウラ様と婚約したことを伝える。

「ラウラ様と婚約したよ。きちんと婚約破棄してもらう契約書もサインしてもらった。万が一だけど、暗殺者に対応できるように王宮から優秀な護衛を用意してもらうことになったよ。教育機関用の支援金もすぐ手配してくれると約束してくれたし、心配しないで。フェリ……」

 僕の言葉を聞いて、フェリはシーツをガバリと捲って顔を見せる。目元は濡れていて苦しそうに眉根を寄せている。その表情に胸が締め付けられ、僕の目元も熱くなって涙が出そうになる。

「……っ。そんな、そんなことは当然ですっ! 当たり前です……っ! ですがっ!! いくら、アルピチュアのためといっても……、どうして……。どうして、坊ちゃまなのですか……? どうして坊ちゃまが婚約しないといけないのですかっ? 坊ちゃまの優しさに付け込んで、婚約するなどっ、あんな王女様っ! 私は大っ嫌いです……っ!」

 彼女の苦し気な表情が、いつもと違う乱れた髪が、零れ落ちる涙が、僕の視界に入り、全身を駆け巡り、心臓に痛みを走らせる。息をするのを忘れて、脳が全て目の前の女性で埋め尽くされる。

「坊ちゃま、どうしてなのですか……っ? どうして、ティト様なのですか……っ? どうして、受け入れたのですか……っ?」

 フェリの言葉が、僕の喉を絞めつけ、首を絞め上げる。

「フェリの気持ちは、受け入れてくれないのですか……? ……うっ。わ、私がどんな気持ちかっ、お分かりにならないんですか……? 水神祭……、身分を捨てられる、気にしなくてもいいはずの今日、こんな日に、自分の立場をこんなにも、強くっ……、意識させられるなんて……っ! 私は、坊ちゃ、ティト様を、お慕いしているのですっ……!」

 彼女の悲痛の叫びが胸を抉る。ナイフを突き立てられたように痛み、苦しくなる。


ーーフェリが僕を慕っている……?


 ドクドクと鼓動が高鳴っていて、体が熱くなる。全身の血液が活性化したように、五感全てが冴えわたる。


 目の前で顔を伏せて泣いている彼女を見て、悲鳴のような嗚咽を聞いて、彼女の身体を包み込むように触れて、溢れ出た唾液を飲み込んで、いつもと違う香りに魅了される。


 あぁ、フェリーチェ・ヴァレンティーナ。

 君が傍にいてくれるだけで、僕はどれほど助けられたか。

 君は道を示し、導いてくれた恩人。僕の愛しい人。


 僕は今日一日ずっと持ち歩いていた仮面を彼女に取り付け、仮面の唇にそっとキスをした。


「ティト……、さま……?」

「フェリーチェ、ありがとう。……やっと分かったよ。僕、フェリーチェが好きだ! 好きなんだ!」

 彼女が何か言う前に、もう一度キスをする。フェリーチェの表情は仮面に隠れて見えない。だけど嫌がってはない。


「僕が結婚したいのは、フェリーチェ・ヴァレンティーナ。君だけだ!」


 自分の気持ちが止められなくて、堪らなくて、溢れ出して、キスの雨を降らす。仮面を外そうとした彼女の手を止める。

「あ、あの……っ。な、なぜ、仮面を取らせてくれないのですか……っ?」

「フェリーチェ。君が言ってくれたんだよ。僕ほどアルピチュアの領主に相応しい方いないって。最初は実感が湧かなかったけど、今は僕自身、心から領主なりたいと思ってる。君が僕に人生の目標を与えてくれたんだ。僕は胸を張って領主(大人の男)になって、君の隣に立ちたい。でも、今はまだそうじゃないから」


 もう一度、仮面に唇を寄せる。


「今日だけ。まだ、子供の僕は、今日だけ。立場を捨てて、君に触れさせて」

「ティト、さま……っ!」

 目の前の愛しい女性の両手を握る。

「王女様と婚約してごめん……。いくらこの都市のためだと言っても、君を傷付けていい理由にはならないよね」


 彼女の左手を取って、薬指にキスをする。


「だから、これは一人の男ティト・フィン・フィガロとして君に結婚を申し込む。僕が一人前の男になって、フェリーチェ・ヴァレンティーナに相応しい、領主として認められるようになったら、僕と結婚してくれますか?」


 表情の変わらない仮面から一筋の雫がこぼれ落ちる。


「……はいっ!」


 フェリーチェに抱き締められ、僕も抱きしめ返す。


 彼女に包み込まれているこの体は何年後に、彼女を包み返してあげることができるのか。彼女からもらった愛を僕はいつ返せるようになるのか。


 この物語は僕がアルピチュアの領主になり、彼女と結ばれるまでの物語(ストーリー)である。


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