卑弥呼とスルア

 表情を変えるだけで、ひたいの傷はまだ傷んだ。

 卑弥呼は出来るだけ顔の筋肉を動かさないようにしていた。

 どこぞのいやしき民草が投げつけたつぶてが創った傷だ。

 それを思うだけで苛立ちと怒りが増す。

 卑弥呼自身がどこかの平民だった。

 若い頃は頼りにならなく覇気のない弟を連れて五カ国で争った戦乱を避けて稲穂をかきわけ逃げ惑ったものだ。

 途中、石包丁でなく手でもいだ生米を囓ったこともある。

 この傷も、年老いて出来た目尻の小じわや豊齢線のように跡が残るのだろうか?。

 卑弥呼はこころを落ち着かせるために温かい古米茶を一口含んだ。

 茶まで苦い。

 今日は不思議と温かい。

 開け放った木戸の間から見える空は卑弥呼の心と同じく深く暗い曇天どんてんである。

 昼過ぎだというのにもうどこか昏い。


スルア素留亜を呼べ」


 侍女長のビレア微麗亜に命じる。


「はい、姫巫女様」


 ビレアは卑弥呼に正対したまま咬頭したまま下がっていく。

 スルアには午前中から姫巫女の館の前で待たせたままにしていた。

 館の前で丁度二刻ほど立たせたままにしておいた。

 あからさまな一種の罰である。

 この後、スルアには更に本格的な罰を与えるつもりだ。


「指導士長のスルアが参りました」


 金粉や銀粉をまぶした美しい薄手の絹の覆いの向こうから卑弥呼に対し声がかかる。


「通れ」


 卑弥呼が答えるのではなく許可を与える。

 邪馬台国政権や<国老>の重要人物でも直接、姫巫女である卑弥呼に拝謁できるごくごく少数に人間は限られている。

 スルアが咬頭したままするすると進みでる。

 そして、手を床に付き頭も床につける。

 スルアの儀礼は完璧である。


「身を起こしてよい」

「感謝いたします」


 そこには婚期を逃した痩せた女が正座していた。

 粗末ではあるが身綺麗にした白い衣には気品さえ漂う。

 スルアは三十路を越え逆に顔は少したるんできたが、相変わらずその首筋から体はガリガリに痩せている。

 痛々しいほどだ。

 痩せているといえば卑弥呼もそうだ。

 <御力みぢから>を使うものは全員その代償として痩せなければいけないのか?。

 無表情にしてどこを見ているかわからない程の細い目。

 感情すら読めない。


「呼ばれた理由はわかっておるな」

「はい姫巫女様」


 いけしゃあしゃあと答えたスルアに卑弥呼は苛立ちを越えた小さな怒りをつのらせた。

 それと同じくして額の傷が痛む。

 古米茶の入った椀を投げつけたいぐらいだったが、姫巫女としての地位と名誉がそれを許さなかった。


「なぜ神岩は上がらなかった?」


 卑弥呼は斟酌しんしゃくなしに直截ちょくさいに尋ねた。


「─────」


 スルアは暫く答えなかった。

 スルアの表情は困惑しているとも反省しているとも取れない。ただただ無表情。


「姫巫女の問いに対する沈黙は罪に値する」


 これで少しは怯えるかとも思ったがそれでもスルアは黙っていた。

 

「上げなかったのか?」

「いえ」


 疑問文に主体性を与えると答えが直ぐに帰ってきた。

 卑弥呼が小さなため息ともとれる息を吐いた。


「誰かが邪魔をしたと」

「はい」


 この答えも卑弥呼の予想より早かった。

 数年前から神岩を上げているのは卑弥呼自身ではなく大神殿の幕を張った二階部分に隠れたスルアが<御力>で上げていたのだ。


「邪魔をしたのではなく押さえつけた者がおりました」


 静かな口調でスルアが言った。

 卑弥呼はこらえきれず大きなため息を吐いた。


『な、なんと、、、、』


 ひたいの傷跡が痛む。

 つぶてをぶつけられたときより今のほうが痛む。

 宣旨会を台無しにしたスルアを罰するどころではなくなった。 


「なれの<御力>より強いと申すのか?」

「─────」


 この問いにスルアはすぐには答えなかった。 

 というより答えたくない様子だった。<御力みぢから使い>としてのがそうさせているようだ。

 しかし、無言が何よりの答えであった。

 スルアとて上げられたものなら上げたであろう。


「宣旨会には他国のものも多く居た。あが邪馬台国以外の者であるか?」

「いえ」


 答えが早い。

 二人の間に沈黙の間が波紋のように広がる。

 <御力>が衰えたとはいえ卑弥呼にも実はおぼろげにわかっていた。

 スルアに無理やり答えさせるか、卑弥呼が考え迷っているすきに、スルアが先に答えた。


「イヨです。抑えつけていたのは<御子>のイヨです」

「まだ修練を始めて数ヶ月の<御子>であろう」

「間違いありません」

 

 スルアが堰を切ったようにたたみかけ喋りだした。

 

「姫巫女様には御報告申し上げたはずですが、先日も修練場でちょっとした問題が起きた折りに砂利を<御力>にて大量に飛散させ、指導士に怪我をおわせました」

 

 卑弥呼は完全に失念していた。聞いたようなぼんやりとした記憶はある。しかし、その<御子>がイヨという名前であることは完全に忘れていた。

 スルアが細い目を刮目させ言葉を重ねる。


「<御子>にはなにがしか変わっておるというか、その多くが体が不自由ですが、、、、。イヨは違います」


 スルアがペラペラ喋ること自体がイヨの特異性を如実に表していた。


「なれやこの姫巫女と同じと申すのか」

「はい」

 

 卑弥呼とスルアにも不具や障害はいっさいない。


「邪馬台国に参ったおりから<御力>が強かったのか?」

「─────」


 スルアが口籠った。


「なれには、<鬼道>の第一人者として神岩を任し、<鬼道>または修練場や<御子>のすべてを任せておったはずじゃ」

「イヨは極々短期間ながら<鬼道>を<御力>を究めつつあると思われます」

「たった数ヶ月で、ニ十年以上も修行を行ったなれより上の<御力>を持っておると申すのか。この愚か者にして未熟者が!」


 卑弥呼が古米茶の入った椀をスルアに向けて投げつけた。

 スルアは椀を避けようともしなかった。

 避ける必要がなかった。

 椀はスルアに当たる直前で四分五裂した。

 スルアはほんの少しだが、微笑んでいた。

 卑弥呼は怯えた。

 名もなき飢え故泣く事も出来ない戦争孤児だったスルアの<御力>の才能を見い出し拾い上げ<鬼道>を教えこんだのは卑弥呼である。


「スルア、なれには前にも申し付けたはずである。この姫巫女に対し<御力>を使うえばどうなるか」

「─────」


 椀を割ったのはとっさの判断だったのであろう、スルアの微笑みが一瞬消えた。

 過ちを犯したと思っているように卑弥呼にも見えた。


「指導士長として、<鬼道>の先達として、姫巫女様に恐れながら申し上げます。イヨは姫巫女様の御近くに置くべきかと」

 

 今度は卑弥呼の顔が引きつった。

 なぜだかわからぬが、最近卑弥呼は<御力>を使う者がやたら気持ち悪く見えて仕方がなかった。

 目が不自由だから変わった能力がある。

 体が不自由だから他のものと違う能力がある。

 一種の同族嫌悪なのかもしれないが、このスルアに<鬼道>や修練場を任せているのもその証拠だった。

 もう、<御力>が衰えている自分のそばにイヨを置けと。

 絶対に嫌だ。


「なれは、この姫巫女に恥をかけと言いたいのか」

「─────」


 スルアが黙った。

 間ができた。

 イヨの問題はもう卑弥呼が言う程度の問題でなかった。

 スルアの前には椀からこぼれた古米茶が丁度放射状に広がっていた。

 卑弥呼にもスルアが喋りだすのがわかった。

 卑弥呼とて<御力>を存分に使っていたのである。

 スルア膝立ちで小さく卑弥呼ににじり寄るとものすごい勢いで喋りだした。


「このスルアと姫巫女様との間には約定があった筈です。それを目標にスルアは<鬼道>の辛く厳しい修行に二十数年打ち込んで参りました」

「覚えておる。故に<鬼道>すべてをなれに任せておる」

「姫巫女様は幼きあに申されました。もしもこのスルアが姫巫女様より強い<御力>を身につければ、弟君のマキヒコ巻彦様にとつがせていただけると」


 最初は勢いがあったがマキヒコのくだりまで着たときにはスルアの声が小さくなっていた。

 卑弥呼はスルアの婚期を逃した女の恥じらいと悲しく淡い恋心を感じた。


「それは出来ぬ。もうマキヒコはリフアという北兎国の姫と婚儀を結んでおる

「子も成さぬ汚れた出戻りの老いた女ではありませぬか、邪馬台国のためにも離縁させ北兎国へ追い返すべきです」

「つけあがるな、スルア!」


 さらにスルアがにじり寄ってきた。スルアの細い目には同じく細い涙が薄く走っていた。

 卑弥呼はスルアがこんなに感情を表に出すのを始めてみた。

 スルアが膝立ちでもう一歩進み床についていた手を卑弥呼に伸ばした。

 姫巫女に触れることなど罪どころか邪馬台国では完全な禁忌である。


「どうか、約定を約束を守ってくだされ。あが<鬼道>の師匠にしてあが亜母にしてあが姫巫女様。あはそれだけを、それだけを想い修行を、、、どうか、約定を。どうか約定を、、、」

 

 スルアの哀れなほど細い手が卑弥呼に伸びる。

 卑弥呼はのけぞった。

 が、スルアの手は卑弥呼には届かなかった。

 スルアは崩れるようにその場に突っ伏し泣き崩れた。

 卑弥呼はのけぞったまま、立ち上がると言った。


「重ねて申す。マキヒコに卑しき<鬼道>のものなど嫁がせられぬ」


 スルアも泣き崩れていたのは数刻だった。

 表を上げると、いつもの無表情な顔に戻っていた。

 だが、涙の跡はしっかり頬に残っていた。

 そしてはっきりと言った。


「良いでしょう。ならばこのスルアが<鬼道>を正道に戻すのみです」

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