宿命のエンジェルロード/天使の散歩道 〜子守唄でファンファーレ!〜

唯月もみじ

プロローグ

夢の中の少女のそれは



 少年は夢を見ているようだ。

 少し殺風景な部屋の中でベットに仰向けになる身体は動かすことが出来ず、何かに押さえ付けられているような感覚に、全身には力が入り、また、拳は爪が食い込む程に固く握り締められている。

 苦痛に歪む少年の顔。鼻息は荒く、ギリギリと音を立てる歯軋りが目立つ。

 どうやら良い夢ではなさそうだ。

 すると、少年の頭の中に誰かの声が響き渡る。


ーー憎い


 地を這うような、ゾッとするとてつもなく低い声。

 眉間に皺が寄る少年の額からは汗が流れ落ちている。


ーー許さん……憎い……


 またもや同じ声が少年の頭の中で反響した。

 それは次第に小さくなり、暗闇の中へと薄れて消えて行くーー


ーー憎いぃ!


 突如、消えていった声を上書きするように、叫びのような感情を露わにした声が、少年の頭の中で雷鳴の如く鳴り響いた。

 それは頭痛を引き起こし、少年を襲う。

 少年は目を覚まさないのではない。覚ませないのだ。

 閉じられた瞼の裏側は、暗闇。そこには何もなく声だけ……いや、明かりが灯った。

 赤、黄、オレンジ色のそれはユラユラと揺れている。小さなそれは、大きくなるに連れて辺りの暗闇を照らして行く。炎だ。


ーー許しはしない


 少年の頭の中に響くこの声は、その炎から聞こえてくるようだ。

 少年の食いしばる歯が、ギリっと音を立てた。

(やめろ……)

 少年には意識と呼べるものはない。少年の本能がそう言うのだ。

 瞼の裏で炎がメラメラと燃え盛って行くーー何か見えた。

 燃え盛る炎の中に何かが……人だ。頭を抱え、うずくまっている人がいる。


ーー裏切り者め……どいつもこいつも……憎い……憎い憎い憎い……


 すると、その人を包み込んでいる炎が弱まっていく。明かりの消え、苦しそうな息が聞こえるそこは、再び暗闇へ。

(もう、やめてくれ……怖い……)

 少年の睫毛が少し濡れている。

 その瞼の裏は、暗闇。未だうずくまっているであろう、その人のゾッとする声が少年に痛みをもたらすような叫びに変わった。


ーーあ゛ぁ゛ぁ゛ーーー!


 少年の頭の中に反響するその叫びと同時に、瞼の裏にはまたもや炎が。それはその人の背中から燃え盛っている。

 翼だ。暗闇と同化するその翼が燃えているのだ。

(助けて……怖い……お願いだから助けてくれ……)

 少年の本能が強く願う。

 すると、瞼の裏がどんどん明るくなって行く。炎とはまた違う光り。優しく包み込むように、暗闇を照らしていくそれは、月の光。

 それと共に、少年の頭の中には少女の綺麗な声が、メロディーに乗って流れ込んでくる。


ーー約束するわ……私の言葉は、あなたの望みになり、あなたを守る盾になり、あなたを潤す一部になる。やがて、ベールが私たちを包み込むその時まで、煌めく星たちが私たちを導いてくれる……


 大きな丸みを帯びた月を背に、灰色がかったブロンド髪をなびかせながら、暗闇を包み込むその歌声の少女が舞い降りてくる。

 透き通るエメラルドグリーンの瞳に、二対四枚の純白の翼は大きく広げられ、祈るように胸の前で合わせられた両手。その左腕には銀色のブレスレットが煌めきを放つ。

 いつの間にか、あのゾッとする声は聞こえない。炎も消えており、暗闇はもうそこにはない。

 少年の身体からは力が抜け、固く握られていた拳は開かれている。口元に緩やかな笑みを浮かべ、少年はスーッと寝息を立てている。

 少年の瞼を濡らしていた涙が、眉間に沿って一筋に流れて行った。

 ベットの脇の窓から差し込む月の光が、その涙に反射する。

 少年の夢の中で歌った少女は、雪が舞い散るような儚さに、大きな翼で包み込むような安心感のあるそれは、まるで……



* * *



 季節はもう十二月も後半だ。息を吐けば白く、冷たい風が肌に突き刺さる。

 波が浜辺に押し寄せる音が聞こえるが、真夜中である今、高台にある自動販売機のくすんだ明かりでは海は見渡せない。

 ガシャンと音がした。

 その赤い自動販売機から手を引き抜く一人の少女の仕業だ。肩に触れる髪は外向きにはね、前髪は小麦色のおでこを見せるように貝殻のピンで止められている。

「うう、寒っ」

 少女の独り言を冷たい風が攫っていく。

 プシュッと音を立てて少女が開けた缶からは白い湯気が上がる。

 すると、その湯気とはまた違う白いものが缶の蓋に落ちては溶けた。

「わあ、雪だ」

 少女が上を向けば、空から雪が舞っている。少し欠けてはいるが、丸みを帯びた月がその雪を照らしていた。

「ん?あれは……」

 その月の光にキラリと反射した何か。それは、雪が舞うように少し離れたところでシャリンと落ちた。

 まだ雪が積もらない道路の上は、ひんやりと湿っている。

 少女が拾い上げたそれは、月の光にかざせば七色の淡い輝きを放つもの。

「綺麗なブレスレット……一体、どこから……」

 雲の間から覗く、真冬の空に浮かび輝く月は、澄んでいてとても綺麗だった。


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