第3話 夜のお仕事

「チハル。ちいと奥へ来てくれねえか」

「うん!」


 外はすっかり暗くなったこの時間、ギルドの中は閑散としている。

 迷宮や街の周囲など様々な場所へ繰り出す探索者たちの殆どは暗くなる前にギルドに顔を出す。探索者たちはギルドで依頼を受け、依頼を達成すると報酬をもらうのだが、その後すぐに隣接する酒場へ繰り出すのが常である。

 受付前に残っているパーティもあと二組になっていて、彼らも間もなく報酬を受け取り去って行くことだろう。

 順番待ちの最後の一組はギルドマスターに連れられる小さな女の子にギョッとした様子だった。

 ギルドマスターが焦った様子で、女の子はニコニコとしたままという二人の真逆の雰囲気も彼らの驚きを助長している。

 ギルドマスターの様子からただ事ではなさそうなのだが、女の子の雰囲気からそうじゃないのでは、とよくわからない状況だったから。

 

 受付嬢がペコリと礼をして扉をパタンと閉める。

 ギルドマスターの居室に案内されたチハルは、革張りのソファーにちょこんと腰かけた。


「すまんな。一組、帰って来ねえんだ」

「ザ・ワン?」

「そうだ。迷宮ザ・ワンに入ったまま戻ってこねえ。お前さんの護符を持っている奴らだったのが幸いだ」

「わたしがお迎えに行くお仕事?」

「アーティファクト持ちが皆、出払っていてな。アマンダはいつも日帰りなんだが、今日に限って」

「どの人? 中に何人かいるよ?」

「ゴンザたちは迷宮で泊まり込む予定だ。初めてこの街ザパンに来た奴らがいただろ。あいつらだよ。『軽く見て来る』と言ったまま戻って来ねえ」

「お泊りかも?」

「準備をしてなかったからなあ。何事もなきゃ、そっちのがいい。念のため見てきてもらえるか?」

「うん!」


 ストンとソファーから降りたチハルがトコトコと壁に吊るしてあるリュートを取ろうと背伸びする。

 しかし、彼女の背丈では指先がリュートにまで届かなかった。「すまん」と口にしたギルドマスターが、リュートを手に取り彼女に手渡す。


「預かったはいいが、俺が嗜むのかと受付の姉ちゃんらに」

「いいの?」

「預かるくらいわけはないさ。しかし、いいのか? 大事なリュートなんだろ?」

「フルートも持ってるから。大丈夫だよ」


 リュートに付属した革ベルトをたすき掛けにして背負ったチハルがにっと笑顔を作る。

 ギルドマスターも彼女の愛らしさに思わず頬が緩む。


「飯を食ってからにするか?」

「ううん。クラーロとお話しするね」


 かぶりを振ったチハルが目を閉じた。


《クラーロ》

《お、人探しか?》


 彼女の頭の中にクラーロの声が直接響いてくる。

 彼女は目を閉じたまま心の中でクラーロに思念を送った。

 

《うん。ソルに》

《分かった。先に行かせておけばいいか?》

《うん!》

《しばらくぶりだな。フルートは持ってるか?》

《持ってるよ。リュートも!》


 目を開いたチハルはマスターに向け、ペコリとお辞儀をする。

 

「いってきます」

「おう。上手い飯を用意しておくぜ! もちろん、報酬も弾む」


 コクコクと頷いたチハルはうんしょと扉を開けて、ギルドを後にした。

 

 ◇◇◇

 

 街の北側の門は夜でも開けられたままだ。北側は元々鉱山に続く道であったため、城壁の外にありながらも、街の中のような扱いになっているからだった。

 街の南と西には衛兵が立っているが、北側には衛兵さえいない。


『よお! チハル』

「クラーロ! ソル!」


 カラスが飛んできてチハルの肩にとまる。門の外には前脚を揃えて座ったソルがチハルへ顔を向けていた。

 彼女が目指す迷宮は街の西側にある。正確には迷宮の入り口が西側にあり、そこから地下へと入ることができるのだ。

 地下は広大で、ザパンの街の全域より一回りほど広いと言われている。それだけではなく、迷宮は地下何階層まであるのか未だに誰も知らない。

 少なくとも20階が最下層ではないことだけは知られていた。

 

 チハルを乗せたソルは風のように駆け、街の城壁に沿って西へと進む。

 辺りは夜のとばりが降りていたが、ソルにとっては昼と同じこと。馬より速く、彼は駆ける。

 あっという間に街の西門付近を通り過ぎ、迷宮に入口に到着した。

 

『夜になるとまるで見えんな。かがり火くらいあってもいいと思わないか?』


 ソルの首元を前脚で掴んでいたクラーロが愚痴る。

 対するチハルは「ん」と首をかしげるだけだった。

 

『チハルもソルも「見える」んだったな。今度ランタンを買ってくれよ。くああ』

「うん。ランタンの光、わたし好きだよ」

『だろ。頼むぜ』


 くああとカラスが鳴き、チハルの肩へと移動する。

 カラスの大きさだとチハルの肩は窮屈そうだ。もっとも、カラス本人は狭さなど気にした様子がなかったが……。

 

 大小様々なガレキが転がる中に噴水の跡地のようなところがあり、その脇に下へ続く階段がぽっかりと口を開けていた。

 ここが「ザ・ワン」と呼ばれる古代遺跡である。古代遺跡は世界各所にあり、ザ・ワンのように地下深く広がるものもあれば、塔のようになっているところもあった。

 珍しいところでは、崩れ去った街の跡地という場所もある。

 不思議なことに、風化しボロボロになった瓦礫とまるで年月を感じさせない壁や床のどちらかになっていた。劣化しない壁であっても、長年の塵や砂が付着していて見た目には劣化していないと分からぬものが殆どだが。

 

「ソル。行こう」

「グルル」


 チハルの呼びかけにソルが応じ。

 彼女らは静かに階段を下って行く。

 

 中は漆黒の闇に包まれているのかというとそうではない。ぼんやりと薄暗いものの、夜目の利かないカラスでも壁の色が見えるほどの明るさがあった。

 何故このように明るいのかは謎のまま。一部研究をしている学者もいるそうだが、未だ答えは出ていない。


「ソル。別れ道を右に行ってね。次は左だよ」


 チハルはまるで全てが見えているかのようにソルへ指示を出す。


『チハル。20メートルほど先に敵影。どうする?』

「リュートを持ってきたの。こっちにするね」


 カラスから敵だと聞いてもいつものほんわかしたままのチハルが、背負ったリュートをうんしょと前に向けた。

 ――ワタシの記録を呼び出します。

 チハルが心の中で念じ、リュートに小さな指を乗せる。

 にこにこしていた顔がすっと無表情になり、彼女の手が音楽を奏で始めた。

 

「ピースメイキングの記録ログを実行します」


 チハルの口から抑揚のない声がこぼれ、当たりにリュートの奏でる音楽が響く。

 カラスが目を閉じ、ソルまでもがその場で伏せをして音楽に聞き入っていた。

 

「ソル」

 

 チハルが呼ぶと、ハッとしたようにソルが立ち上がって前へ進み始めた。

 カラスの警告通り、黒い狼のようなモンスターが四体も待ち構えていたが、皆伏せた状態で目を閉じソルたちに向かってくる様子はない。

 ソルもまた黒い狼に牙を向けることもなく、彼らの横を素通りする。

 この後、チハルの指示通りに進んだソルは下り階段に到達した。

 

「反応は深さから計算……。5階と12階です。このままピースメイキングを実行し続けます。ソル、下へ」

「グルル」


 抑揚のないチハルの声にソルが応じ、彼女らは地下二階へと進む。

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