回想⑨

 顔を変えはじめると、周囲の反応は急速に変わっていった。

 まず初めに手術したのは、目元だった。あの医者に、最も印象を左右するのは目元だと言われたからだ。目尻を切開して、糸でこめかみ方向に目を引っ張り、細長にした。そして、上瞼にシリコンの注射をして、腫れぼったくした。

 そうすると、私が道で歩いていても、買い物をしていても、誰もこちらに視線を向けなくなった。さっと一瞥して、あとは背景のように目線を流していく。これまでは、ほとんどの他人がほんの一瞬目をとめ、嫉妬や羨望や欲望を向けてきたというのに。

 出会う人の態度も違った。以前はデパートの受付や飲食店の店員、鉄道の駅員でさえ、少しでも長く話したいとばかりにひとつ聞けば十答えてくれた。けれど手術した日から、口を開いても金が生じないからだろうか、迷惑そうな顔をして早々に話を切り上げたがる。

 これが普通の女の世界なのか、と私は衝撃を受けた。

 顔を変えていくうちに、大好きだったブランドものの鞄や靴が自分に合わなくなっていくのが分かった。鮮やかなオレンジ色の山羊皮の鞄は、派手すぎて全体から浮いて見えるようになった。パイソン柄のヒールの高いパンプスは、下品に媚びているように見えた。

 目を細くし、鼻を大きくし、頬にシリコンを詰め、頬をふくらませた。手術をしてはクールダウンのために包帯だらけの顔になり、顔がおちついたらまた手術をする。そんな日々を過ごすうちに、だんだんと出かけるのが苦痛になっていった。

 私はこれまで、美しさには、何の価値もないと思っていた。顔が整っていることで、すべての理不尽が私に降りかかってくるのだと思っていた。

 けれど違っていたのかもしれない。

 顔が原型をとどめないようになって、初めて私は思った。これまで起きた全ての不幸は、自分の心が引き寄せていたのかもしれない。

「ただいま」

 朝の六時頃になって、辻村が帰って来た。

 外出をしなくなった私と対照的に、辻村はいっそう働きに出るようになった。整形と引っ越しのために、莫大な金が必要になったからだ。

 いくら私が普段引きこもっていて近隣の住民に会う機会が少ないとはいえ、同じ家に住んでいて顔が極端に変わると、不動産の人間や隣人に気付かれる。整形を始めてから、二カ月に一回ほどのペースで、私たちは引っ越しを繰り返した。

 AVへの出演は、思ったほどの稼ぎにはならなかった。体中が痛くて、悔しくて汚くて、毎日泣き出しそうだったほど過酷な撮影ばかりしたのに、二百万くらいしか手に入らなかった。

 時間さえあれば、水商売の方が良かったのかもしれないと今は後悔していた。けれど、今となっては、顔が重要になる職は無理だとも分かっていた。

 辻村が、朝食を作り始める。辻村はどんなに疲れていても、私のために朝食を作り、昼食の下ごしらえをしてから仮眠をとる。そして、夕方から出勤していく。

 顔が変わっても、辻村は私を粗雑に扱ったり、ないがしろにしたりしない。むしろ、以前にもまして、真綿で包み込むように私を慈しんでいた。

 どうして、と思わずにはいられない。

 これまで一度も考えたことがなかったけれど、どうして、この辻村優という人間は、自分のためにここまでしてくれるのだろう。

 私に、そんな価値があるのだろうか?

 それは、考えてはいけないパンドラの箱だった。

 美しくない私。義父に汚された私。母に捨てられた私。もう男に求められない私。どこに行っても良好な人間関係を作れず、職場から逃げるように飛び出し、あげくの果てに人殺しになってしまった、できそこないの私――。

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