回想⑧

「珍しいんだよねえ、美人がブスにしてくれっていうオーダー」

 正面に座る男が、あまり興味のなさそうな顔で言った。男の着る白衣の下の左腕からは、刺青が見えている。

「その綺麗な顔に未練はないわけ?いい思いしてきただろうに」

 男は三十代の後半だろうか、いい歳をして髪を金髪に染めている。がっしりとした体つき無骨な手が印象的で、医者だと言われてもピンとない風貌の男だった。人を小馬鹿にしたような話し方は、おそらくもともとなのだろう。私の渡した写真を手遊びのように指ではじいている。

 私は苛立ちを隠さず、医者に言った。

「話す必要、ないでしょ。いいから、どうなの」

 池袋の雑居ビルの四階だった。がらんとした空間にオフィス用のデスクとイスが二脚、白いカーテンの仕切りがあるだけの場所で男と向かい合っていた。看護婦もいない、診察台もない、まるで夜逃げの直前の仮住まいのような場所だった。実際、明日になったら煙のように、ここには何もないのかもしれない。

「できるの。できないの」

 挑むような口調で言うと、男は口の端を歪ませて笑った。写真をデスクの上に置いて、私の顔を覗き込む。

 男が吸っているのだろう、煙草のにおいがした。あまりにも顔が近いので、思わず息を止める。

 男は笑いを消し、射抜くような視線で私の顔と体を観察していた。目を、鼻を、口を、頬を、肩を、胸を、ゆっくりと見られているのが分かる。いつも見ている、男の下卑た視線とは違う、冷たい目だった。自分の中のすべての恥ずかしいもの、大切なものが晒されているようで、思わず逃げ出したくなった。

 ずいぶん長い間、男はそうして私を眺めた後、また興味を失ったような態度でふいと離れ、写真をいじりながら煙草とライターを出した。断りを入れることもなく、旨そうに煙を吸い始める。深く吸って、煙がめいっぱいはき出されてから、男は言った。

「できる。けど、すげえ高いよ。それに、日常生活が不便になるくらい骨を削ることになる。一回の手術では無理だ。まあ、一括できるような金額でもないが」

 無意識に、唾をのみ込んだ。骨を削る?自分の顎がやすりのようなものでごりごりと音をたてて擦り減っていくさまを想像してしまって、気分が悪くなる。

「…具体的に、いくらかかるの」

 男は意外そうな顔をした後、デスクの棚から、初めてカルテらしき紙を出してきた。その紙には、人の体の模式図が薄く印刷されている。男はその人体のいろいろな場所にボールペンで丸をつけた。鼻、目、頬、眉、口、顎、胸元にも印がついていく。

「八百万くらいじゃねえの」

 男が他人事のように言った金額は、相場と比較して高いのか安いのか分からなかった。私が持っている金額は百万ほどしかない。払えるわけがなかった。辻村だって、そんな大金は持っていないはずだ。

 素直に金がないことを言うと、男は声をたてて笑った。

「分かってるよ、そんなもん。聞きたいのは、やるつもりがあるかどうかだ」

 男は立ち上がって、椅子に座った私を見下ろした。

 またあの、冷たい、何の人間的感情を含まない目だ。この男は、人の顔を見ているのではなく、内側の魂そのものを見透かしているようだ。

「やるなら、すぐ稼げる仕事を紹介してやる。死ぬほどきついかもしれないけどな。あんたの場合、今の状態が一番稼げる顔だ。手を加えれば加えるほど価値が下がるから、短期間で死にもの狂いで稼ぐんだな」

 死にもの狂いになってまで顔を変えないといけない理由を、この男は薄々感付いているのだと思った。ここは、そういう人間が来る場所なのだろう。

 自分であることを捨てたいと、願う人間が集まる場所なのだ。

「やります。…顔を変えてください」


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