寅の巻 伍(完)

 明くる日


 降り続けていた雪は嘘のように止み、柔らかな日差しが照りつけている。積もった雪がぎらぎらと目につく輝きを見せているが、それでも吹雪の闇夜と比べればなんとも気持ちのいい朝であった。


 簡単に朝餉を済ませた後、繚華りょうか慈照じしょうは村中に横たう遺体の後始末を行った。今、この村に残っているのは老人達と子ども達、そして重傷の若者だけだ。村長である老婆は申し訳なさそうにしていたが、


「生きたもんを治すより、死んだもんに経を読む方が得意でね。ま、餅は餅屋の適材適所でいきましょうや」


 慈照に諭されたのか、老婆は若者達の手当に向かった。そして、佐助を中心とした多くの子ども達が手伝ってくれた。


 遺体を墓場に埋葬し、慈照が簡単に供養を行った。へらへらとした慈照の態度に、最初はうさんくさそうな目で見ていた村人達も、一心に経を読む慈照を見ている内に、そのうさんくささも飛んでいった。


 帰らぬ親に涙を流す子ども、無念の死を遂げた同胞にせめてもの安らぎを祈って経に続く若者、戦いに出れず辛い目を合わせてしまったことを悔いる老人――思い思いに、亡くなった者達への祈りを捧げている。


 繚華も、慈照の経を聞きながら、黙祷を続けていた。



 簡単な葬儀が終わると、老婆は深く感謝の言葉を重ねた後に、僅かながらも礼となる金銭を恵んでくれた。その上で、「ぼたん鍋をごちそうします」と申し出てきた。一瞬顔を輝かせた繚華であったが――すぐにその輝きを潜めて、慈照と共に首を横に振った。


「お心遣いに感謝する。しかし、根無し草に気遣いは無用だ」

「繚華の言うとおり、おれ達にはこの銭にしても過ぎたるもんだ。それに、生臭とは言え、坊主は坊主。経を読んだその日、その村でぐらいは五戒を守るさ」


 葬儀を行っていた慈照の姿はどこへやら。へらへらと、冗談めかしながら断りを入れる。繚華は、神妙な面持ちで頷きながらも、腹の音が鳴らぬように懸命に堪えていた。


 村人達は申し訳なさそうに、何度も何度も感謝の念を伝えていた。

 ただ感謝をしてくれることが、この二人には何よりも嬉しいものだった。


 身支度を調えた慈照と繚華は、多くの村人から見送られる中で村を後にする。


 山道を下ろうと足を踏み出したとき、小さな声に呼び止められた。


「あの、その……ありがとう、慈照さんと――」


 それは佐助の声だった。感謝の意を伝えるべく、わざわざ来てくれたのであろう。


 しかし、中々繚華の名前を出せずにいるようだった。複雑な気持ちが混ざった色を顔に浮かべている。

 その意図に気づいた慈照が擁護の声を掛けようとする。しかし、それより早くに繚華は佐助の元に歩み寄った。


「……わたしが怖いか?」

「え、いや、あの……」


 隠すことのない直球の問いかけ。

 言い当てられた佐助は戸惑っている。


 腹芸も何もない。馬鹿正直なやりとりに対して、慈照は「やれやれ」と溜息を漏らしながらも二人の様子を見守った。

 

 佐助の恐怖も無理もない。なにせ、この子は結界内部の戦闘を目の当たりにしているのだ。当然、繚華の正体にも気づいているのだろう。


 多くの種族が存在し、様々な理由で争闘が沸き起こる世界。それが修羅道である。

 一方で、ヒトと異種族が共存している町や国も多く存在する。


 その中にあって、オニの存在は特異な物である。


 修羅道にあって尚、目立つ残虐性。他の種族どころか、同族すらも蹂躙の対象としてしか見ていない。

 特殊な得物を片手に、多くの戦場に現れては周囲を鏖殺、陵辱していく戦闘種族として恐れられている。

 かくいう繚華もその血を濃く引きついでいる。戦闘そのものを生きがいとする本能には抗えない。


「いいよ。その扱いにはなれている」

「……」

「礼もいらない。ただ、それでもわたしは君に伝えたいことがある」


 顔をそらしていた佐助が顔を上げる。あどけなさが残る、可愛らしい顔つき。同時に、精悍さが僅かに見え隠れする凜々しい顔つきでもあった。


「なんて言ったかな。……慈照、あの言葉だ。ほら、村に来る前に教えてくれた」

「"虎穴に入らずんば虎児を得ず"、か? ったく、ぼたん鍋よかそっちを覚えとけ」

「そう、それだ! 虎穴に入らずんば虎児を得ず。よくぞ、あの"白虎"に果敢に立ち向かったな」


 見えぬ不安を和らげるように、努めて繚華は明るい声を出す。


「君のような者がいれば、きっとこの村はまた再興できる」

「……っ!」

「そんな、君に対するだ」


 そう言って繚華が差し出したのは、濃桃色のうとうしょくの花。

 四方に向かって規則正しく着いた四角錐の花が、稲穂のように咲いている。


 その花の名は、花虎はなとら


 奇妙なことに、根っこが剥き出しになりながら、真っ直ぐに茎を生やしている。凛と咲くその花に、佐助は息をのんでいた。


「綺麗だ――」

「だろう? かの""


 伸ばした佐助の手が、思わず引っ込んでしまう。


 強力な魔術を扱う"魔性"の体内には、魔力が塊となって残ることがある。"宝玉"と呼ばれるその塊は高濃度の魔力の塊であり、オニにとっては珍味とされている。


 オニとして生きるにあたり、最初に教わったのはこの"宝玉"の取り方であったか。本来、内臓器官にも似た魔力の塊であるのだが、繚華はそれを毎回"花に変えている"。

 そして、その花を食べるのだ。


 繚華にとっては貴重な食料。そして、佐助にとっては忌々しき怨敵の遺物である。

 それを分かっていて、それでも繚華はこの花を贈りたかったのだ。


「忌々しい物かも知れないが、かの"白虎"の魔力だ。この花は君が大人になるまで咲き続けるし、村に"魔性"が近づくことを妨げてくれるはずだ」


 佐助達が悲しみを癒やし、力をつけるには充分すぎる時間をもたらすであろう。


「この花を見て、いつでも立ち向かった勇気を思い出すといい。そして、花が枯れる頃に、またわたし達は顔を出そう。その時は、きっと美味しいぼたん鍋をごちそうして欲しいな」


 目の前の花にも負けぬ程の華やかな笑顔を浮かべる。

 綻んだ笑顔は、どんな天女にも劣らぬ端正な物だった。

 

「お、おう! 言われなくてもやってやるよ!」


 その笑顔に僅かに赤面しながら、佐助は花虎の尾を手に取る。

 白い歯を剥き出しにして、腕白坊主らしい豪快な笑顔を見せてくれた。


「色々ありがとう、オニのお姉ちゃん!」


 ***


「――本当によかったのか? "宝玉"なんざ、久しぶりだったろ?」

「あぁ。あれはあの村の"希望"たり得る佐助にこそふさわしいしな」


  わたしはオニ。

  生まれ落ちたるその時から、歩める道は修羅の道。


「まったく。食い意地はったお姫様が、よくぞ我慢してあれを渡したもんだ」

「……正直、よだれを垂らさないように必死だったぞ」


  修羅に染まるは我が運命さだめなら、

  刃を振るうは我が宿業しゅくごうなら、

 

「そうか。お預けを覚えた褒美だ。麓の村では、山菜やきのこが有名なんだとよ。今回の件で貰った金で、鱈腹たらふく食わせてやるよ」

「なに、たらが食えるのか!?」


  せめてわたしは花でありたい。


  逆らえぬ本能を孕みながらも、ヒトのために刃を振るいたい。

  嘆きを弔い、ヒトを癒やす花でありたい。


「言ってねぇ言ってねぇ。よーし、まずは賭場を探す所からだな」

「だめだ、どうせなくなる! それなら、鱈を食べてからがいい!」


  いずれは報いを受けるだろう。

  人知れず、見窄らしく枯れゆくだろう。


「だから山里に鱈はねぇっつーの! 本当、話を聞かねぇなぁ!?」

「あっはは! 置いていくぞ慈照!」


  それでも、生きるその限り。

  咲かせて見せよう、百の華。

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