百華繚乱

白カギ

寅の巻 壱

 降りしきる白雪は、勢いを落とすことを知らない。僅かな灯りに照らされ、舞い散る雪は、なるほど端から見れば綺麗なのかも知れない。しかし、墜ちた天女が俗世に混じれば凡人へと墜ちるように、雪もまた地面に積もれば害となる。ふもとの町でもらった深靴はただでさえ歩きにくいのに、足に纏わり付く雪は重しとなって上げる足を妨害する。

 

 くしゅん、と後ろを歩く影が小さくくしゃみを漏らした。


 ここは山奥にある村への一本道。舗装された、とは言いがたい道があるとは聞いてはいたが……降り積もった雪が道のすべてを覆い隠している。ただでさえ敬遠しがちな険しい山道だが、道が見えぬとなれば、地元の物ですら歩こうとしない。しかし、この吹雪の中を二人の影が歩んでいる。頼りない、たった一つの灯りを頼りにしながら、ゆっくりと山道を登っている。


 その一つが、ふと足を止めると、空を仰ぎ見た。


 真っ黒な夜空に降りしきる雪。ぼんやりと眺めるその相貌は、紛れもなく女、それも特段の美女の物であった。


 女の名は繚華りょうか。訳あって諸国行脚をしている、根無し草の旅人である。


 顔を上げたのは僅かな時間だが、長い睫毛まつげには雪が積もり始めている。溜息交じりに吐き出した白い息すら、既に生暖かさを失いつつある。


 大きく見開かれた目は、綺麗な茶色の瞳。無感情を彩りながらも、硝子玉のごとく透き通っている。

 白い吐息を吐き出す唇は、あでやかな肉つき。僅かに塗った口紅が、その色っぽさを更に増している。

 日に当たっていないのか、絹を思わせる純白の白い肌。頬には、寒さ故の紅潮がはっきりと見て取れる。

 

 羞花閉月しゅうかへいげつを絵に描いたような相貌。女性にしては長身だが、女性らしい細身の体つきを着物で覆っている佳人だが、今は茣蓙帽子の下に隠れている。


るなぁ、慈照じしょう。とても寒い」


 漏れ出た声は迦陵頻伽かりょうびんがの響き。吹雪の中でも凛と通るその声に、灯りを持って先ゆく男――慈照じしょうとは歩みを止める。振り返る拍子に持ち上げた菅笠が、積もった雪を下ろす。

 年の頃は三十代か四十代か。精悍せいかんさと剽軽ひょうきんさのちょうど中間に位置する、迫力があるのかないのかよく分からない顔つき。肩まで伸びる髪を後ろで束ね、顎には伸ばした髭を蓄えている。世捨て人と見えなくもないその相貌だが、その笑顔は柔和で人なつこさに溢れている。道を外せば、一息に遭難するこの雪の中でも、その笑顔は変わらない。


「前者にゃ同感だ。しっかし、後者にゃ同意しかねる。見ろよ、この外套がいとう。こんな見た目だが、中々に暖かいぜ?」

慈照じしょうの癖に、どうしてわたしより足取りが軽いのかと、ずっと気になっていたが、そのせいか」

「こいつのお陰よぉ。ほら、こないだの港町で一騒動あったろ? そん時の戦利品さ」


 慈照が得意げに見せるのは、無地の黒い外套だった。繚華には与り知らぬ事ではあるが、ここから遠く離れた諸外国で流行っている「サックコート」と言われる物であった。繚華が纏う茣蓙帽子ござぼうしと比べて軽装に見える。見ているだけで寒く見えるのだが、どうもそうではないらしい。


 何も言わずに睥睨する繚華。その訝しむ目に、慈照は「あらら?」と表情を崩しながら話を続ける。


「おれだって金さえあれば、正々堂々と買うよ? だがよぉ、あんときゃ手持ちは素寒貧」

「丁半博打で全部すってたもんな」

やかましい! しかし、諸外国のおあにぃ様なんて、これから先いつ目にかかるか分からない。会えたとて、外国の物を持ってきてくれるかもわからねぇと来た。となりゃ、虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ」

「こけ……なんだって?」

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。簡単に言やぁ、危険を冒さなければ、大きな成功にはならないっつー意味だよ。まぁ、別口でお前さんがあいつらと横で、おれも激戦を繰り広げてたのさ」

「そうか。難しい言葉だが、ためになるたとえ話だな」

「そりゃ重畳」


 にへら、と表情筋がないかのような朗らかな微笑みの後、慈照は前を向いて歩み始める。


「まぁ、これ着てても寒いもんは寒い。おれの体内時計を信じるならば、もうじき村に着く。さぁ、一踏ん張り頑張ろうぜ」

「あぁ。なんと言ったか、あの料理……もみじ、じゃなくて、はぎ、でもなくて……」

呵々かかっ! はぎ はいい線言ってるよ。ほら、あと一息だ」

「そうだ、ぼたん鍋だ」

「ご名答。猪鹿蝶いのしかちょう、揃った訳だが、こいこいするかい?」

「それは、な!!」


 それまでの無表情な顔つきに、喜色の色が灯る。彼女の胸の裡に呼応するように、その足取りは弾んでいる。


「ぼたん、ぼたん、ぼたん鍋。桃色? 白色? 何色だろう!」


 高く綺麗な声色。即興ながらも一流の遊女顔負けの美声で紡がれるその歌は、舞台も相まって雪女の誘惑とも取れるかも知れない。その内容は童歌にも劣る幼稚さであるが……。

 高揚しながら進む繚華は、気づくと慈照の先を行く。口から漏れるは白い吐息と、ぼたん鍋の歌を歌いながら。先とは打って変わって、楽しそうに雪と闇夜あんやで見えぬ暗い道のりを闊歩する。


「つったく。食いしん坊なお嬢様だこと。あー、おれも酒が恋しいや。猪肉ってのはなんの酒が合うのかねぇ」


 雪兎の如くとび跳ねる彼女を追いかけながら慈照もまた独り言つ。それぞれの独り言は、豪風に掻き消されて届かない。


 それでも、声を出すことがそれぞれの命綱のように、呟き続ける二人旅。


 やがて、先頭を歩く繚華の目には、舞い散る雪の中に僅かながらな灯りが届く。どうやら、件の村が近づいてきたみたいであった。


「ぼたん、ぼたん、ぼたん鍋。紫? 黄色? それとも――」


 軽い足取りで進んでいた繚華の歌が止まる。

 は、彼女の嗅覚に直接訴えかけてきた。


 急に立ち止まった繚華の肩を、慈照が優しく叩く。息を僅かに切らして、


「それとも、なんだ? 牡丹ぼたんの代表的な色を言ってねぇだろ? 花札にもなってる、あの色をよ――っと」


 繚華の見つめる先に灯りを点した慈照は、鼻を覆い隠しながらその軽口を潜める。


 降りしきる雪が覆い隠すは無惨な死体。腕だけ、脚だけが見えているのは果たして雪が隠しているからか、はたまた本当にそれだけしか残っていないのか……。

 雪の積もり具合から察するに、事切れてから相応の時間は経っている。顔が残った死骸を見れば、その表情は恐怖や苦悶に染まっていた。見開かれた目が怨嗟えんさの色を込めながら、何も言わずに二人を迎え入れている。

 そして、合掌造りの茅葺きの家の壁。所々には切り裂かれたような切り裂かれた後が残り、塗料をまき散らしたかのように、真白の壁に塗りたくられた色は――


「――赤色?」


 塗料などではない。

 つんと僅かに漂う匂いは鉄の匂い。真っ赤な鮮血に他ならない。


 雪の山すら隠しきれぬ、夥しいまでの血の臭いとヒトだった物の亡骸。

 吹きすさぶ風が雪を飛ばし、倒れ伏す偉丈夫だった姿を映し出す。

 所々には、男達の腹からまろび出た臓物の類いすら横たわっている。乱暴なまでに食い散らかされた臓物からは、消化し切れなかった糞尿の匂いも漏れていて――。


 凍える吹雪と、蹂躙されて物言わぬ身となった男達。

 それはまるで、絵巻物で見た地獄の一つ。八寒地獄そのものだった。


「つったく、三途の川なら渡ってねぇつもりなんだがな?」

「その方が、幾分か気が楽だろうな」

「違いねぇ。地獄の刑罰の方が、まだ慈悲があるってもんさ」


 眉を潜めて二人はぼやく。

 吹きすさぶ雪が、この地獄を覆い隠すまでにはまだまだ時間はかかるであろう。



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