第23話

 翌朝。朝食後にアレクに呼ばれ部屋に入ると、椅子に掛けたアレクとその前に立つラスフィールがいた。小さく悲鳴を上げたルティナに気付いたラスフィールが振り返ったが、すぐに正面に向き直る。おずおずとラスフィールの隣に並んだルティナは、怯えた瞳でアレクを見た。

「こいつにはさっき伝えたが──今は人手が足りねえ。どうせ罰を与えるなら労働力に還元した方が効率がいい。ってことで強制労働だ。ルティナ、お前はその監視だ」

「え……監視って、逃げないようにってこと?」

 横目でちらりとラスフィールを見るが、今は拘束されていない。何の枷もない状態で逃げようと思えばいくらでも逃げられるし、それを阻止する力はルティナにはない。

 訝しむルティナに、アレクが首を横に振る。

「いや。こいつが死なないように、だ」

 死なないように。それは以前のように自害しないようにということか。あるいは強制労働で倒れてしまわないようにということか。

 腑に落ちないながらもルティナは小さく頷いた。

「で、こいつがその一覧だ。上から順番でも、そうでなくてもどっちでもいい。やることはいくらでもあるからな、一日でやれるだけやって欲しいが間に合わなきゃ明日に繰り越していい。とりあえず日没までにはここに戻って俺に報告。その後はいつもの風呂掃除にそいつを使えばいい。ここまでで何か質問はあるか?」

 細かくびっしりと書き込まれた紙を手渡され、ルティナはそれにちらりと目を通して申し訳なさそうに目を伏せた。

「……ごめんなさい。私、文字が読めなくて……」

「……そうか、悪ぃ。じゃあ──」

 アレクに返そうとした紙をラスフィールが横から覗き込み、

「水汲み、畑仕事、屋根の修理、厩舎の掃除……」

 一覧に書かれている労働内容と住所をひとつひとつ最後まで読み上げる。

「……以上で間違いはないか?」

「おう。全部終わったらまた追加するから安心しろ」

 アレクが頷く。

「場所は分かるか」

 ルティナに問えば、

「うん、通りの名前とか数字は読めるから……」

「ならば問題あるまい。この一覧は君が持っていてくれ。作業中に汚しそうだ」

「え……あ、はい……」

 視線をアレクに戻したラスフィールの横顔を見上げながら、ルティナは曖昧に頷いた。

「指示を確認する。この一覧の作業を順不同でこなすこと。日没までにここへ戻り経過報告、その後に……風呂掃除、でよいだろうか」

「いつもルティナに王宮の大浴場の掃除を頼んでるんだ。それの手伝いだ。食事は食堂で。その後は翌朝まで好きにしろ」

 これは強制労働と言うより──どちらかと言えば奉仕活動だ。独裁王に加担し多くの罪なき民を斬り捨てた罪人に課すには随分と生温い。何か別の思惑があるのかと思いながらもそれを表情に出すことはなく、ラスフィールは踵を返した。

「あ。ちょっと待て。労働場所に着いたらこれを見せろ。それで面倒なやりとりが減る」

 アレクがルティナに渡したのは国王の印とディーンのサインが入った証書だった。この者は国王の命により労働を行うものである──つまりラスフィールは不審者ではなく、歴とした国王の命を受けた者であることを証明するものだ。

「……国王の印をこんなことに……」

 ラスフィールが呆れたように小さくため息をついた。国王の印は本来罪人の身元を証明するために使用するようなものではない。よく解っていないルティナがきょとんとする。

「お守りだ、持っとけ。あとお前に命じる、ルティナを守れ。それが最優先だ」

 自分を守ることが最優先とはどういうことかとルティナが首を傾げるが、アレクはそんな視線にはお構いなしで真っ直ぐにラスフィールを見た。

「……分かった」

 ラスフィールはただ静かに頷いた。

「よし。じゃあこれ持ってけ」

 アレクが放り投げたのは、ラスフィールを捕縛した時に取り上げた彼の剣だった。

「どういうことだ」

 剣を受け取ったラスフィールの声が低くなる。

 彼はもう王の近衛兵である翡翠騎士団の団長ではなく罪人である。その罪人にわざわざ武器を与えるとは。

「どうもこうもねえよ。ルティナを守れっつったろ」

 それ以上の議論は受け付けないとばかりに、アレクはしっしと手で払う。

 死なないように見張れと言われたルティナと。

 監視役を守れと言われたラスフィールと。

 何が何だか解らないまま、二人は部屋を後にした。


   ***


 一覧の一番上にあった水汲みの労働場所に向かう途中だった。

 ラスフィールの足下に何かが飛んできた。確認しようと足を止めると、さらにもうひとつ。

(そういうことか)

 飛んできたのは石だった。足を止めたラスフィールに気付いたルティナが遅れて足を止める。

「どうかしたの」

 見上げたルティナの目の前でラスフィールの肩に石が当たった。

「ざまあみろ」

 どこからか悪意に満ちた声がする。弾かれたようにルティナが周囲を見回しても、そんなに人がいる訳でもないのに声の主らしき人物は見当たらない。

 否──見当たらないのではない。遠巻きにこちらの様子を窺いながら、他の誰かと声を潜めて会話する。こちらがそちらを見れば視線を逸らし、足早に通り過ぎる。全員が該当者になり得るし、全員が心の奥底ではそう思っているのだろう。

 一覧にあった内容は重労働ではあるが強制労働と言うにはあまりに軽く、最優先事項は監視役である少女を守ること──

(晒し刑か)

 翡翠騎士団二代目団長であったラスフィールは著名人だ。女王ロゼーヌの弾圧政治の時期には市中巡察も頻繁に行っていたため顔もよく知られている。かつて自分達を弾圧し、家族や知人を斬り捨てた罪人がふらふらと歩いているのである。報復のひとつもしたくなるだろう。だがジルベール最強の剣士と謳われたラスフィールが帯剣しているのでは、下手に近づけば何をされるか分からない。ならばと足下にあった石を投げつけたのだろう。

 今日はこれが初日だから何の準備もなく、足下の石を投げつけるくらいしかできなかったのだろうが、明日、明後日と同じようにラスフィールが市中を歩いていれば、それなりに報復の準備をしてくるだろう。

 監視役の少女を守れというのは、その巻き添えを食わないように守れということだ。

 ラスフィールの頭部に当たった石ががつりと音を立てて足下に落ちた。握り拳大ほどの大きさの石にぎょっとして顔を上げたルティナが小さく悲鳴を上げる。

 無言で目を伏せたラスフィールのこめかみから血が流れ落ちていた。慌てて回復魔法を使おうと手を伸ばしかけたルティナに、小さく首を横に振る。

「……必要ない」

「でも、アレクさんに」

「この程度では死なない。──君が魔法を使えることを知っているのは?」

「反乱軍の仲間だった人達……」

「ならば魔法を衆目に晒すのはやめたほうがいい。手当も不要だ。私の世話をするような素振りは一切見せるな。君まで罪人扱いされる」

 小さく息を呑んだルティナが伸ばしかけた手を引っ込めて、ぎゅうと握り締めた。

「行こう」

 不安そうに何度も周囲を見回すルティナに小声で促し、ラスフィールは目的地に向かって歩き出した。


   ***


 日没前に王宮に戻ったラスフィールとルティナはそれぞれ個別にアレクに今日の報告をした。水汲みしかこなせていないため一覧に追加されることはなく、明日以降も続けるようにとだけ指示された。

 その後、いつもはルティナがひとりで行っている王宮地下の大浴場の掃除を手伝いながら、ラスフィールは横目でルティナの様子を窺った。

 湯を抜いた浴槽をブラシで黙々と洗う後ろ姿は、元々小柄なせいもあるだろうがやけに小さく見えた。自分だって父親をラスフィールに殺されているのに、監視役として一緒にいるだけで同じ罪人扱いされるかもしれないという現実は、幼い彼女には重すぎるだろう。

 監視役ならばこんな少女である必要は無く、むしろ不適切であるとさえ感じるのだが、アレクには何か考えがあるのかもしれない。監視役の交代を進言したいが今は罪人として罰を受ける身である。もうしばらく様子を見ることにする。

 ルティナが洗った場所をラスフィールが水で流す。先に洗い終えたルティナがブラシを片付けてひとつ伸びをした。

「あー、二人でやると早いわね。助かっちゃった」

 大浴場の掃除は少女ひとりで行うにはなかなかの重労働だ。何故アレクはこれを彼女ひとりに任せているのか。

「ひとりで掃除するにはここは広すぎる。何故君に任されているんだ」

「そりゃ大変だけど、掃除をする代わりに、ここのお風呂に入っていいって言われてるの。ディーンさんはいつも夜遅くにしか入れないから、それまでに上がればいいっていう約束。あなたも一緒に入る?」

「……遠慮する」

「冗談よ。本気にしたの?」

 ルティナの声を背中で受け流して、ラスフィールは浴槽に湯張りする。水栓を開ければ勝手に湯が出てくるので、あとは放置するだけだ。

「……ジルベールでは読み書きはどこで習っているんだ」

 ラスフィールの唐突な質問にルティナが困惑したが、

「えっと……それぞれの区画ごとに教えてくれる人がいて、定期的にみんなでその人のところに集まって教えてもらったりするの。お礼は家で採れた野菜だったり、お金だったりいろいろみたい。私は子供の頃に母親が死んじゃって、家のことを全部私がやっていたからそんな時間がなくて……」

 計算だけは買い物に困らないよう父親が教えてくれたんだけど、と付け加えた。

「その教えてくれる人達同士で教える内容の確認はしているのか?」

「えっ……さあ、そこまでは……」

 ルティナが首を傾げた。

 つまり教える側の知識が間違っていた場合、それを正す機会が無い。あるいは意図的に誤ったことを教えたとしても、それを正す者がいない。

 そのまま沈黙したラスフィールの横顔をなんとなく眺めていたルティナだったが、不意にこちらに向き直られて正面から目が合ってしまい慌てて目を逸らす。

「……もし、よければだが……、君に文字を教えるというのはどうだろうか。もちろんこれで償いになるとは──」

「本当に!? 私に教えてくれるの!?」

 ルティナがぱあっと顔を輝かせた。

「嬉しい! 教えて!! いつ? これから?」

「いや、準備があるから……、明日以降……」

「約束よ!? 絶対だからね!?」

 想定外にはしゃぐ少女の姿を眺めながら、ラスフィールは教材の準備をどうするか考えていた。

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