第3話

 それはもう夢のような時間だった。


「あら⁉︎ もう2時間⁉︎ まだ20分しか経っていないと思ったのに⁉︎」


 と少女のように目を丸くする母を見て、今回の決断は正しかったな、とユウトは確信した。


 ショウマは一足先に帰っていった。

 マネージャーさんが運転する車に乗り込んで。

 これからWEBラジオ番組にゲスト出演するらしく、移動中に資料レジュメを読み込まないといけないのだとか。


「お兄ちゃん、また連絡するから」


 後部座席の窓が開いて、ショウマが顔をのぞかせた。

 元気よく振られる手にはユウトの連絡先が入ったスマホが握られている。


「おう、俺からも連絡する」


 黒のセダンが夜闇の中へ溶けていく。


 この出会いが吉と出るのか、凶と出るのか、今のユウトには分からないけれども、胸の中にある誇らしい気持ちは本物だった。


 ……。

 …………。


「……という感じで昨夜は無事に終わったよ」


 ここは早朝の交差点である。

 ブレザーのポケットに手を突っ込むユウトの隣には、黒髪ロング&眼鏡の女子がおり、これが例の朝比奈マミだ。


「へぇ〜。ユウトの弟くんが、本当にあの水谷ショウマなんだ」

「本当の本当だよ。……て、あまり驚かないんだな」

「まあね。だって……」


 信号が青に変わったので歩き出す。

 この交差点は待ち時間が長いことで有名で、今日みたいに登校中のマミと合流することが週に1回はあるのだ。


「早瀬ユウトと水谷ショウマは別人でしょう」

「もちろん、そうなる」

「偶然に2人は生き別れた。偶然に水谷ショウマはタレントの道を志望した。それだけの話だから。そのことで騒いだりするのは変じゃないかな」


 マミが小首をかしげると、品のある黒髪が音を立てて流れる。


「正論だな」

「ダメかしら」

「いや、安心した。そういってもらえて」


 マミのいうことは常に一理ある。

 そして『わぁ〜! すご〜い! あのショウマくんと双子なんて! 彼の連絡先を教えてよ!』といった軽薄なリアクションは見せない。


 とっつきにくい、あまり笑わない、しっかり者、普通に美人。

 それが朝比奈マミにつきまとう評価だ。


「むしろ驚いたのは、ユウトがあのイケメン王子様と対等に話せたという事実の方ね。あの人ってトークも上手いでしょう」

「それがさ〜、ショウマって普通にいい奴でさ〜」


 ユウトは体をくねくねさせる。


 昨夜の会食が盛り上がっていた頃。

『お兄ちゃんって、学校で部活とかやっているの?』という質問がショウマの口から飛び出した。


 ユウトは緊張しつつ『日本文化部』に入っていると答えた。


『中学の時はバスケ部に入ったけれども、練習がキツくて半年で辞めちゃって……。それで高校では文化系のクラブを選んだ。日本文化部というのは、書道とか、茶道とか、生け花をやる集まりで、男子部員も俺しかいないのだけれども……』


 笑われるだろうか。

 兄のくせに軟弱だ、と。

 ところがユウトの耳を突き刺したのは『おもしろそう!』という明るい一言だった。


 ほほがかあっと熱を帯びた。

 そして部屋の目立つところにある花器を指さした。


『本当? 生け花っていうのは実は流派があって……。もちろん家元制度だって存在するし、この作品のように自由なスタイルを良しとする流れは……』


 それからはもう、熱弁が止まらなかった。

 相手が友達だと華道のかの字も出さないくせに。

 ショウマの前だと自然に言葉があふれてしまう。


 これが人気者の魅力。

 愛されし男というわけか。


『ショウマは何か部活の経験とかある? あ、仕事が忙しいからそれどころじゃないよね』


『小学生の頃は柔道一筋だったよ』


『柔道⁉︎』


 これまた意外だ。

 てっきりサッカーとかテニスのような人気スポーツを想像していた。

 申し訳ないが、柔道は女子からモテなさそう、というイメージがある。


『どうして柔道に興味を持ったの?』


『いや、最初は強制だったよ。お義父さんが俺を強い男にしたかったらしくて……』


 無理やり道場へ連れていったそうだ。

 初めは嫌がっていたショウマも、すぐにライバルを見つけて熱中し、小学生の大会でいくつか実績を残したのだとか。


 屈託くったくなく笑うショウマのスマホが鳴ったのはその直後だ。


『いけね! マネージャーから電話だ! 次の仕事に向かわないと!』


 惜しまれつつも楽しい時間はフィニッシュ。


 そんなハイライト場面をユウトはマミに話して聞かせた。

 熱中するあまり、2人の顔が近くにあり、朝からドギマギする始末。


「ごめん……なんか一方的に話しすぎた」

「ううん、いいの。でも変なの」

「なんだよ?」


 マミが小さく笑ったので、片眉を持ち上げた。


「ユウトが朝から饒舌じょうぜつだから。こんなに話すの、自己ベストじゃないかしら」

「えっ? そうかな?」

「だと思う」


 ディスられたわけじゃないのに悔しくなったユウトは、反撃の口実を探すためマミの全身を観察する。


「そういうマミだって、登校中に笑うの、何ヶ月ぶりだよ。明日は雪でも降るんじゃねえか」

「はぁ⁉︎」


 高校の建物が近づいてくる。

 同じ制服の生徒が増えてきたので、ユウトとマミは他人のような顔をして歩いた。

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