第4話 造られた天使

 事務所に所属するアイドル達が揃ったころ、それぞれのマネージャーが呼びに来て、私達は控え室を出る。私達は、そこで分かれて別室に連れて行かれる。連れて行かれた先は和室ではなく、病院の診察室そのもので、机の前に白衣を着た怪しいお医者さんが待っている。

「やあ」

 私の主治医である三崎先生は四十歳くらいの渋い中年で、私にいくつか体調に関する質問をした後、私に薬を渡す。私はその場でそれを飲み、その部屋にあるベッドの上で休む。三崎先生は机に向かってカルテのようなものを書いていて、ベッドの脇には寺山さんが私を優しく見てくれている。

 普通なら、こんなところで眠れないところだけど、薬のせいで、目を開けられなくなる。目を瞑ると、暗い闇の中に残像のような光が浮かび、それが葉のない木のような形に広がって、ぐにゃぐにゃと形を変え始める。私の意識がそれを捉えようと、記憶の中をひっくりかえしている内に私は眠る。夢の中で私はアイドルではなくなっている。野暮ったい服を着て、うっとうしい髪の毛を当たり前にまとい、何が嬉しくて何を喜ぶべきかわからなかったころに戻っている。



 蒼木イデア。十八歳のその少女が登場して、日本のアイドルシーンは変わった――そんな言葉をテレビや雑誌やインターネット、至るところで見たような気がする。でも、私はそれ以上の、人類史における歴史的事件であるとさえ思っている。

 蒼木イデアの笑顔は万人に安らぎを与え、その歌声は万人をとろかして、その姿をみた人を尽く魅了した。誇張なく、そうだったのだ。彼女が初めて登場した深夜番組が放送された夜、インターネット上には蒼木イデアの検索ワードが飛び交い、テレビ局への問い合わせも殺到した。慎重にそれらを計測すれば、本当の視聴率がわかったことだろう。

 彼女の何がそうさせたのか。彼女の何が違ったのか。私が思うに、彼女は何も違わなかったのだ。彼女は可愛らしく、美しく、みずみずしい若さと壊れそうなもろさを併せ持ち、ひたすらに純粋だった。心も身体も、彼女は「少女」そのものだった。宇宙の果てにある少女の鋳型。つまり、彼女こそが本当のアイドルだったのだ。

 私は、彼女を初めて見たとき、涙を流した。何の変哲もない平日の夜、お母さんがご飯を作っていて、お父さんがまだ帰っていなくて、弟がソファに寝転んでDSをやってるその横で、何気なく見たテレビの音楽番組だった。それは何の前触れもなく私の日常に入り込み揺さぶった。私は自分が泣いていることに気付き、同時に初めて経験する胸の熱さと、頭がぼんやりとして自分の身体が制御不能になってしまったことに気付いた。私は混乱する。私はどうしたんだろう。この涙は何なんだろう。

 蒼木イデアがアイドルとして活動した短い期間、私はずっと彼女を追い続けて、涙を流し続けて、ようやくその答えがわかってくる。


 人は、本当に美しいものに出会うと涙を流す。


 喜び、悲しみ、懐かしさ、切なさ、様々な感情が美によって駆動される。感情の動きの結果として、涙が流れる。美そのものが人を揺るがすのだ。それが私の人生に目的を与えてくれた。

 何の目的も無しに生まれてきた私。苦しい思いもしたくないし、自分がとても恵まれていることもわかったつもりで、でもやっぱり自分が何をしたいか、何をすべきかがわからない。全てが空虚で意味がなかった。嫌いじゃないけれど好きでもない。あってもいいけどなくてもいい、そんなもので世の中はあふれているように思えた。

 私は蒼木イデアに出会って変わった。蒼木イデアを見ているとき、私はいつも穏やかな気持ちでいて、同時に激しく心を震わせていた。生まれてきて良かった。私はそう初めて思った。人間は美を感じることができる。美は魂を震わせる。そのためにすべてがある。

 そして蒼木イデアが死んだとき、私はショックを受け、悲しくて泣いたけれど、絶望はしなかった。それを容易に受け入れることができた。蒼木イデアは死さえも完成されていて、美しかったからだ。本当の蒼木イデアがどういう女性だったか私は知ることはできない。けれど、少なくとも私にとって蒼木イデアは完璧で完全なただ一人のアイドルだった。

 そして私は高校に進学せずにアイドルになった。



 目が覚めると私は別の部屋の布団で寝ていて、服もさっきまで着ていたものではなく、真っ白な長襦袢に替わっている。左を向くと寺山さんがいて、私の顔に手をやって、涙をふいてくれる。

「また泣いてたの?」

 何で泣いているのかわからない。見ていた夢のせいだと思うけれど、思い出せない。何も答えないでいると、寺山さんは何も言わず私の手をにぎってくれる。広い部屋の照明は消されているが、寺山さんと反対側から光がもれていて、遠くからたくさんの人の声や歩く音が聞こえてくる。

「もうすぐよ。準備は終わったわ」

 私は天井を見上げる。寺山さんに何か言いたいが、薬のせいで頭がぼんやりとして言葉が出てこない。

 しばらくすると、黒いスーツの人達がやってきて、私を布団のままタンカに載せて運んだ。

 長い迷路のような廊下を抜けて、本堂に到着する。

「はぁ」

 ため息が漏れた。薬でぼんやりとした頭でも、その光景はやはり壮観だった。本堂のつくりは木造で、そんなに古い建築物ではないはずだが、木の感じは古くて歴史を感じさせる色合いをしている。そして驚くべきはその広さだ。いくつかの巨木をそのまま削り出したような柱が数十本立っていて、観客の入っていない日本武道館はこんな感じなのだろうかというくらい広い。これをつくるために小さな森がなくなってしまいそうだ。

 本堂には仏さまは一体も置かれていないけど、直径二メートル・高さ五メートルの大きな樽が十三個、二列で等間隔で並べられている。この樽の上には私達が座る椅子がある。初めてこれを見た私に「これは玉座だ」と社長は言った。選ばれた者だけが座ることができるのだと。

 でも、と私は思う。蒼木イデアはここには座らなかった。蒼木イデアは普通の女の子で、きっとうんこもしたのだろう。そう思うと、キュッと胸の奥が痛む。でも、そうなのだ。アイドル信仰者達が、天使に会い、天使に似せて作ったのが私達……それは私も納得している。私は……。



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