第2話 寺院

アイドル専用特別車が山道を走り、工事現場に偽装されたヘリポートで停止した後、私達は迎えに来たステルスヘリにコンテナごと運ばれる。

 目的地は、山奥に作られた事務所所有の寺院だ。通常のルートでは辿りつけない寺院のさらに先の奥の院。そこが大晦日に行われる儀式のための場所だ。この徹底した厳重さが、アイドルの秘密の重要さと、そのアイドルを擁護する組織の強大さを表している。私は自分がアイドルになるまで信じられなかったけど、アイドルは国家事業に近いものになっている。

 でも、最近では、複数の反アイドル武装組織が活動していて、そのセキュリティの厳重さは大げさなものでなくなっている。今のところ、組織は過激なファングループから、アイドルを擁護する組織の政敵や、アイドルに関する技術や金を欲する海外のテロリストなど様々だ。もちろん、それぞれの目的も違う。寺山さん達は私に何も言わないけれど、年々、私達につくSPの数が増えているのがその脅威を現しているような気がする。

 

 暗闇にぼんやりと浮かぶ寺院は、本当に大きかった。京都のどんなお寺より大きいと思う。今現在の日本最大の木造建築は、きっとどこかのアイドル事務所の寺院だろう。

 大きな門をくぐり、中に入ると、その威容に圧倒される。何時代風なのかわからないけれど、優雅な彫刻が施された屋根があり、壁に描かれた絵は寝そべった天女だ。

 私達はヘリから移されたアイドル専用特別車で、中に入っていく。

 そして、私は寺山さん達と別れ、一人控室に案内される。

 控え室には既に二人のアイドルが待っていた。墨染すみぞめ柚子ゆずと伍代トーチ。柚子さんは、五十畳くらいある和室の端に正座していて、手には筆を持ち、目の前の半紙をにらみつけている。柚子さんから少し離れたところでトーチが飛んだり跳ねたりしている。多分、格闘技のトレーニングだろう。

 柚子さんは二つ上で、トーチは一つ下。二人とも事務所で最も仲の良い二人だ。少し緊張していた気持ちがかなりリラックスする。

「おはようございます」

 私は入り口で挨拶し、トーチの練習の邪魔をしないように柚子さん側の畳の上に座る。

「さくらさん、疲れてるみたいね」

 私ははっとして、柚子さんを見るが、柚子さんは半紙に向かったままだ。柚子さんは、この事務所においては最も芸歴が長い。子役時代からずっとトップアイドルとして活躍する、事務所の顔と言ってもいい。艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、凛とした美しい顔立ち。純和風アイドルの筆頭はこの人しかいないと思う。さらに茶道・華道・書道・香道の四道を修め、日本芸道界においても注目される才女だ。性格は外向けも内向けもほとんど同じ、生真面目で、物静か。今は、長い黒髪は簡単に後ろに束ね、背筋を美しくぴんと伸ばして、年明けに行われるであろう書初めの練習をしている。

「柚子さんこそ、疲れてないですか?」

 アイドルとしての活動以外もある柚子さんの仕事量は私の十倍くらいにはなるだろう。しかし、柚子さんは事もなげに言った。

「疲れてるよ。でも動けないほどじゃないから疲れてないということなのかも」

「……そんなこと言ったら、私達、疲れてるなんて言えないですよ」

「そうですよ! ちょっとは弱音吐いてくださいよ」

 いつの間にか、トーチが側にいて座っている。さっきまで暴れていたので少し呼吸が荒いが、みるみる内に収まってくる。そういえば、彼女が疲れたというのも見たことがない。

 伍代トーチは、茶髪のショートカットで十二月だというのにショートパンツにフリースという理解しがたい恰好で畳の上にあぐらをかいている。ラグナロクと呼ばれる格闘技イベントにおいて、「大物食い」と称される、現在ランキング急上昇中のルーキーだ。

 柚子さんは、はらいを綺麗に伸ばしながら言った。

「弱音ってね、一つ吐くと、芋づる式にいっぱい吐き出しちゃうような気がするから、むやみに吐かないようにしてるの」

「はあ、ゲロみたいなものっスか」

「トーチ、それ禁止用語」

「はっ、また」

 トーチは口を手で押さえると、すぐに腕立て伏せを開始した。

「まだやってるのね。それ」

 アイドルにはいくつかの禁止事項があり、国語辞典のような分厚さの本にまとめられている。普通は歌やダンスと同様に、デビュー前に徹底的に教育される。しかし、地方の田舎の山奥で育ったトーチは一般常識や標準語があやふやところがあり、さらに天然な性格も相まって、今でもたまに禁止事項に抵触してしまう場合がある。そのため、トーチは禁止事項をやってしまったときに即座に筋トレを行うという罰を自分に課している。

「で、何回やるの」

「三百回ッス。禁止用語発言は百五十回で、この言葉を言ったのは二回目なので倍にしてます」

 そう言いながら特に辛そうでもなく、むしろ喜んでる節もあるので、この方法は逆効果なのかもしれない。

「できた」

 ぼんやりとトーチを眺めている内に柚子さんが満足のいくものが書けたようだ。柚子さんは、筆を置き、両手で半紙の上を持って、書いたものを眺めている。そこには、達筆で「オーバーテクノロジー」と書かれている。

「さくらさん、これ、どうかしら?」

「どう……でしょう」

 てっきり、書道協会絡みの仕事かと思っていたが、バラエティ番組か何かだろうか。

「何だか、謙虚な気持ちになります……」

 柚子さんは自分でも何か納得したらしく、片づけを始めた。私はなんとなくそれを手伝う。

「ありがとう」

 柚子さんからお礼を言われると何か嬉しくなる。何だろう、この感覚。硯から墨汁をふき取ってしまい、練習用半紙をいくつか残して片付ける。控室には私達以外誰もいない。トップアイドルがこんなことをしているのがなんだかおかしい。

 すべてを片付けた後、柚子さんが言った。

「さて。何か聞きたいことがあるんじゃない?」

 この人はいろいろ完璧すぎる。この事務所にはエスパーがたくさんいる。


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