第50話 エピローグ(前)

 



 それからどうしたんです、と男が問うと、主人がニヒルな笑みを唇に浮かべた。

 日がだいぶ傾き、逆光の影を脱した端正な顔がよく見える。

 強めの癖毛。下がった眉と目尻。

 一見、苦労知らずの坊々にも見えたが、表情の一つ一つに彼の積み上げた悲劇ともの寂しさが刻まれていた。

 独特の脱力感をともなう喋り方で、主人、御堂龍生が応じた。


「後のことはあなたもご存知の通りですよ、瓜生さん」


 男の空いたカップに冷めたハーブティーをサーブしながら、御堂が続ける。


「長年発芽を抑えてきた反動か、妻の初期段階は駆け上るように進んでしまいました。たった一度の嘘で発芽した芽の数もおびただしかったし、成長も著しかった。嘘花からしたら寄生源は最も安全に種子を残せる肥沃な大地だ。さっさと根を下ろして花を咲かせたかったんでしょう」


 御堂が保健所に志摩伊織の寄生を申告したのは発芽から一週間ほど経ってのことであった。

 保健所が確認した時にはすでに中期段階に移行しつつあったというが、御堂の口ぶりからするとそれはたった一度の嘘がもたらした変化のようだ。


「隠し通す自信もありましたが、妻がどうしてもというので保健所に連絡しました。その頃はまだ、俺を人間の側に置いておきたかったのでしょう。代わりに俺は彼女の管理者となることを承知してもらいました」


 自宅にて志摩を管理し始めた御堂は、その後数ヶ月ほどして秘めやかに彼女と入籍した。

 嘘のないやり取りの中で愛を育んだのか、あるいは洗脳されたのか。それについてはどちらでも良いと御堂は言う。

 自覚できる愛情が全てなのだと。


「入籍の件は磯波さんと小宮山さんにも報告に行っています。磯波さんはおめでとうと言ってくれましたが、小宮山さんは可哀想だと言っていましたね。あの人らしいな。でも可哀想という言葉は、俺が思っていたのとは違う意味で使っていたようです」


「違う意味、ですか」


 他の嘘花達の情報を聞ける機会は貴重だ。

 瓜生はまばらになったサンドイッチに手をつけながら相槌を打った。


「小宮山さんはね、可哀想でいいと言うのです。嘘花となった自分も可哀想。嘘花に魅入られたお前も可哀想。お前なんかのために嘘をついた志摩さんも可哀想。俺たちはみんな可哀想だって。可哀想であることを受け入れていいんだって。そういう考え方をしたことはなかったから、ちょっと新鮮だったな」


 化物同士の傷の舐め合いかと思ったが、瓜生は黙って口の中の野菜を飲み込んだ。

 御堂が続ける。


「一年ほどかけて足留めが必要な段階へ進んだので、俺は仕事を辞めて彼女を連れて逃げました」


 最初に嘘花の申し出をしたことが結果的には各所に油断を与えたといえる。

 保健所や葬儀屋の動きをある程度把握していた御堂の足取りを掴むのは難しく、ようやく手がかりを得ても移居した後と空振りが続いていたちごっこは約三年に及んだ。

 このまま逃げ果せるのではと思われた御堂だが、終末を前に脆くなった妻を動かすことが難しくなったと、何年も前の名刺を頼りに瓜生に接触してきたのは意外なことであった。


「一度根付いた嘘花は、嘘がなくても緩やかに成長します。八年越しの嘘で一気に中期段階まで進んでしまった寄生は止めることができませんでした」


 ああ、と何かに気がついたように、御堂がこちらに向けて微笑む。


「今の情報はあなた達にとって有益な新情報でしたね」


 脱法葬儀屋が根絶されない理由の一つは、保健所や特事課が正攻法で得ることのできない情報を引き出すからだ。

 形ばかりの粛清は行われるが、有用な情報を流せる限り一掃はできない。御堂はそれを揶揄しているのだ。

 微笑みを返して受け流すと、やり合うつもりはなかったのか、御堂があっさり話題を戻した。


「ずいぶん頑張りましたが、妻の体も早晩朽ちるでしょう。ここまで来たら最後は静かに迎えたいですからね……。あなたを頼りました。それから」


 先ほど拾った果実とともに、御堂が小ぶりの風呂敷包みをテーブルの上に置いた。


「俺たちの子どもの一部です。万が一の時のために、あなたにこれを託したい。町外れに自由にできる畑を買ったので、俺達に何かあった時には代わりに植えてください」


「つまり奥様を崩さず移送するお手伝いと、万が一の時に種子を植えるご依頼、ということでよろしいですか」


「うん」


 頷く御堂の隣で、ぎし、ぎし、と嘘花が揺れる。


「ワ、わたし、たちの、子ヲ……どうか、よろシく、お願イ、します」


 ぎゅうう、と傾けた体軀はどうやらお辞儀を意識したようだ。

 無理をするな、と御堂が木肌の彼女を撫でた。

 気持ち悪い光景だな、と瓜生は崩さぬ笑顔の下でその姿を侮蔑する。

 愛おしそうに嘘花を抱いて、御堂が言った。


「本当は、俺が寄生されてやれれば良かったんだけど……。何度も口にはしてみましたが、やはり駄目でしたね。俺では子ども達を育めない」


 だからお願いします、と御堂が頭を下げる。

 わさ、わさ、と嘘花もわずかに傾いた。


「承りました」


 にっこり笑って、瓜生は御堂の願いを受諾した。

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