第46話 八年、という人生

 後悔にも似た未練をやり過ごしていると、伊織が話を展開させた。


「御堂さんが来なくなって、正式に管理者となって……。いよいよ足留めが行われると、家族の罵倒と阿りは激しさを増すようになりました。私は毎日家族を日光に当てながら、罵詈雑言を聞いて、愛を騙る言葉を聞いて、死にたくないと嘆く声を聞き続けました。家族の辿る運命はいずれ私が進む過程でもあります。どんどん人間から離れていく姿を見るのは恐ろしかった。やがて耐えられなくなって、ある夜、ガソリンを撒いて家に火をつけたんです」


 八年前の火事が自分の手によりものだと告白して、伊織は一度息を吐いた。


「家も家族ももういらない。全部なかったことにして一緒に死にたい。そう思ったはずなのに、気がついたら私は燃え盛る家から逃げて、生き延びていました。親を殺して、妹たちを殺して、なのに私は、死ぬのが怖くなった」


 卑怯だ、と伊織が呟く。それは自身を苛む呪いのような言葉だった。


「逃げて、逃げて、遠い街で、裸足の私は保護されました。少し火傷もしていたので病院に入って、いつも通り無言でいたら勝手に記憶喪失ということにされたんです。全てのことを無かったことできる。それは私にとってあまりにも魅力的な誤解でした。このまま新しい人生を手に入れられるかもしれないと、そう期待して──だけどそんな風にうまくいくはずがなかった」」


 その後、施設に入った伊織は、養父母となる志摩夫婦と引き合わされたそうだ。

 里親となる親と子は試験的な交流を何度か重ねて委託を決める。

 委託には双方の同意が必要なのだが、志摩夫妻はとても優しかったという。


「養母の方にまだらぼけがあることは引き取られる前から知っていました。養父は周囲に隠していましたが、長時間一緒に過ごせば気がつきます。それでも、養父と協力しながら十分生活できると踏んだので、私も養母のことは事前に誰にも打ち明けませんでした」


 ところが、志摩家に入るなり事態は一変した。

 優しかった養父は気難しい君主となり、家事も養母の面倒も伊織一人に押し付けられた。

 自分は養母の介護を兼任する使用人として貰われたのだ。その真意に気がついた時、伊織はこれこそが報いなのだと運命に服従したそうだ。

 過重な労働と、罵倒。それでも学校には通わせてもらえたし、食事は同じものを摂ることができた。

 養母と一緒とはいえ、寝室の布団で眠ることもできた。

 最初の家より随分マシ。そもそも歳のいった自分が引き取ってもらえたのだって幸運なのだと、伊織は自分なりにその境遇を受け入れた。


「ただ、養母の状態は日に日に悪くなって、呼応するように養父の機嫌も悪い日が続くようになりました。ある日、失敗した養母を養父が突き飛ばすのを見て、この人は私たちを守る存在ではない、と思ってしまった」


「思ってしまった?」


 言い回しが気になって、龍生は眉を潜めた。

 頷いて、しかしそれには直接答えず伊織が話を進める。


「養父が発芽したのはその後です。養母は、養父の体の変化を怖がって、近寄ることもなくなりました。代わりに親切な他人を家に引き上げるようになったんです」


「まさか、それが真木か」


 はい、と伊織が頷いた。


「彼の訪問のタイミングはいつも巧みで、私も、家にいたはずの養父でさえ、しばらく出入りに気づきませんでした。ある時見慣れない封筒を見つけて中を見ると、札束が入っていて。どうしたの、と養母に問うと親切な人が困っているからさしあげるというのです。もしやと思って通帳を調べると、すでに何度か引出された形跡がありました。生活費のために毎月下ろして引き出しに入れていたお金には手をつけず、預金からの引き出しを求める。おかげで発見が遅れました」


 養父は烈火の如く怒り狂い、養母は泣きながら数日間部屋に引き篭もったという。

 しかし彼女は真木を引き入れることをやめなかった。


「予定が潰れて戻った家で初めて真木と鉢合わせた時は、怒りよりも失望に震えました。こんなに必死にお世話をしているのに、養母にとっては私より、真木の方が大事なのかと……悲しくて、虚しくて、生まれて初めて大声を出して人を追い払いました。警察にも届けて巡回も増えたので、さすがに真木の足も遠のいたようです」


 詐欺師を遠ざけることには成功したが、養母には恨まれたと伊織が苦笑する。


「親切にしてくれた人に、なんてことをしてくれたんだと叱られました。あなたのせいであの人はもう来てくれない。私のお金をどうしたって自由なはずなのに、まさか遺産を狙っているのか。だとしても血も繋がっていないあなたなんかに残す金はない、とまあそんな感で。すぐに忘れてしまいましたけどね。だけど私は、この人も私の家族にはならないのかと、そう思ってしまった」


 再び気になる言い回しを使うと、伊織が真っ直ぐに龍生を見つめた。


「養母が発芽したのは、そのすぐ後のことでした」


「──何だって」


 伊織の養父が嘘花となったことは周知の事実である。しかし養母までもが発芽していたというのは初耳だ。

 もしかしたら、保健所も特事課も把握していないことかもしれない。

 龍生の疑問は続く伊織の言葉で図らずも肯定された。


「養母が発芽したことを知っているのは私と本人だけです。気味悪がっていた養父と同じ体になってしまったことにショックを受けて、養母は家を飛び出しました。たぶん、迷子になったのでしょう。帰り方が分からずうろうろするうちに都県境を超えて……何かのはずみで側溝に落ちてしまった。側溝自体は浅いものですが、打ち所が悪くて起き上がれず、やがて衰弱死したようです」


 養母の発芽について、伊織は誰にも何も言わなかったという。

 保健所が把握する前に死亡したこともあり、このごく珍しい集団発芽は見過ごされてしまったのだ。

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