第29話 鍵を握る者



「帰ってくれ」


 向井家の玄関先で龍生達をそう拒絶したのは紗良の父親であった。

 電話の後耐えきれなくなった母親が会社から呼び戻したようで、真っ青になった彼女を背に続ける。


「紗良のことは警察に通報した。あんた達に用はない」


「警察に? 何故」


 思わず咎めるような口調になると、父親が紗良によく似た目元を歪めた。


「何故? それが管理者の義務だからだ。嘘花の行方を追えなくなるなんて重大な過失、黙っていていいはずがない。万が一、どこかで増殖でもしたらどうするんだ」


「増殖を恐れるのは時期尚早です。紗良さんはまだ【中期】段階に入ったばかりですよ。探す時間はあります」


「ことが大きくなって、紫乃の生活に影響が出たらどうする!」


 声を荒げた父親が本音を漏らした。

 母親だけではない。父親もまた、嘘花となった紗良を切り捨てて紫乃の生活を守ろうとしている。

 苦い思いに私情が混じるのを自覚しながら、龍生は言った。


「警察に通報するということは、葬儀屋が動くということです。嘘花を追う葬儀屋には武装が許されている。見つけ次第、即時処分するためです。葬儀屋に見つかったら、紗良さんは殺されてしまいますよ。本当にそれでいいのですか」


 ぎくり、と母親の体が強張る。やがてがたがたと震えだすと夫に縋り付いた。


「やっぱり……やっぱり紗良を探しましょうよ」


「何を言ってるんだ。野放しになる時間が長くなればなるほど目撃者だって増えるんだぞ。うちから嘘花が出たとご近所に知られたら、紫乃の生活が危ういと言ったのはお前じゃないか」


「でも……でも……」


「しっかりしてくれ。散々話し合っただろう。どんなに頑張っても紗良の命は二年が限界だ。徐々に人ではなくなり、情を残せば残すほど、きっと辛くなる。それに比べて紫乃の人生はこれからなんだ。俺たちは紫乃を守らなきゃ」


「でも紗良だって私の子よ!」


 母親が悲痛な叫びで父親の論を振り払う。


「紫乃が大事よ……紫乃を守る。だけど紗良だって、私がお腹を痛めて産んだ子なのよ……! 生意気で反抗的で、すっかり可愛い子どもではなくなってしまったけど、それでもやっぱりあなたと私の子なんだわ……!」


 ぐすぐすと泣き出した母親に狼狽た様子で、父親が及び腰になる。

 間隙を突いて、龍生は畳み掛けた。


「葬儀屋より早く紗良さんを保護できれば、思い違いだったと言い逃れることもできるでしょう。実際紗良さんがどういうつもりで家を抜け出したのかは分かっていません。彼女の言い分も聞くべきだ。とにかく今は、どこに行ったのか探りませんか」


 決断できない時は先送る。上司の悪癖を逆手にとった龍生の言に、両親はようやく二人の特事課を家の中に迎え入れた。

 開け放たれた紗良の部屋に踏み込むと、龍生と伊織は辺りを物色し始めた。

 女の子の部屋、ということで引き出しの中やクローゼットの中は伊織が担当する。龍生は机の上や本棚を見回し、紗良の思考を追おうとした。


「紗良さんが行きそうな場所に心当たりはないですか」


 尋ねてすぐに、「すみません」と謝る。

 心当たりがないから通報したのだ。詮無いことを聞いたなと、龍生は肩を竦めた。


「年頃になってからはあまり自分のことは話さなくなったので……細かいことは私達より友達の方が知っているんじゃないかしら。四六時中ライアを見ていたし」


 母親の言葉に天啓を受けて、龍生は部屋中を見回した。


「携帯の位置情報は追えませんか」


 今はアプリをインストールしたり携帯自体に追跡機能がついていたりするものもある。

 子どもの見守り用だけでなく紛失した際の保険に使う人もいるので、紗良がこの機能を使っていても不思議はなかった。

 携帯を所持したまま移動しているなら、あるいは。

 しかしその希望は父親によってすぐに打ち砕かれることになる。


「確かに位置情報アプリはインストールしていますが……その、スマホは昨日取り上げたばかりなんです。それが嘘を重ねるツールになっていると知ったので」


 そのことに言及したのは自分たちだ。

 歯噛みする思いで頷くと、龍生は他の手を考えた。

 警察から葬儀屋に連絡が入り、彼らが動き出すまではそう時間がかからない。何か一つでも先んじて手がかりを得なければ。

 焦る気持ちを抑えながら、周囲を観察する。

 チェストに取りかかった伊織はまだ何も見つけられないようだった。

 ふと、開け放たれたドアに目が止まる。

 木製だがしっかりした作りのドアに真新しい鍵。サムターンは解錠の位置で止まっていて、無理やり開けた形跡はなかった。

 異変がなかったからこそ、誰も注視しなかったのだが……まさか。


「紫乃君は、学校に行ったんですか」


 閃きが思考と繋がる。

 鍵に傷がついていないということは、外側から開けられたということだ。そんなことができる人物は限られていた。

 戸惑うように母親が答える。


「いつも通り登校しましたけど……まさか紫乃が鍵を開けたって言うんですか」


 あり得ない、と母親が首を振った。


「だって紫乃は嘘花のことを知りません。昨日のことだって、皮膚病という私たちの説明に納得しました。隔離の必要があることも、感染症だからという説明を信じています」


「紫乃君だとは言ってません。でも彼は家の合鍵を持っているのではありませんか」


「え……」


 ええ、と頷く母親を見て、確信を得る。


「うまく言いくるめて合鍵を預かることができれば、家に入ることは簡単です。外側からこの扉を開けることも、紗良さんを連れて逃げることもできる」


 伊織を呼び寄せると、龍生はその人物の名を口にした。


「鍵を開けて紗良さんを連れ出したのは、おそらく敦君です」

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