☆16

 ストライプ柄のカーテンを開ける。

 窓から見えるのは、向かいに建つコバルトブルーの家。

 前の細い通りを、アンコウ頭の老人がよちよち歩いてゆく。

 ダリアに似た花のペアが、目の前をひらりと横切っていった。

 今朝も、空は一面真っ白だ。

「まず部屋の掃除をしよう。掃除道具とか、買い出しに行かなきゃ」

 朝食は現実世界から持ってきたビスケットとミネラルウォーター。

 アリスは丸いビスケットをかじりながら、ふと思う。

 昨夜食べたピザ。別世界に現実世界と同様のピザが存在することに、アリスは感心した。しかしこうは考えられないだろうか――このビスケットのように、ピザも現実世界から持ち込まれたものなのだ、と。アリス以外の現実世界から来た何者かが持ち込んだのだ、と。

 あるいは逆に別世界の住人が現実世界へ行って、別世界に持ち帰った……その可能性もある。

(現実世界と別世界を自由に行き来できるスポットが、どこかにあるのかも……)

 朝食が済み、アリスは水色ギンガムチェックのジャンパースカートに着替えた。

 テディベアのぬいぐるみポシェットにお金を詰めこむ。

 チチカカに書いてもらった市場やお店への道順を示した地図を手に、いざ買い出しへ。

 外出しようとしたタイミングで、玄関のドアをノックする音。

 訪問者はハートのJだった。

「アリス、早速だが、仕事を依頼したい。描いてほしいのは『フシギノクニの歴史』だ。資料を持ってきたから、目を通しておくように」

 三冊のぶ厚い本。その重さに、アリスはとまどう。

「納期はとくに定めていない。ただ、あまり遅いと君が困ることになる。唯一の収入源だからね。君が手にした五万キャロルなんて、生活費と税金ですぐに底をつくだろう。それに次回の作品がまた五万キャロルで売れるという保証はない。場合によっては、大女王様に描き直しを命じられるかもしれない」

「はい。わかりました。がんばります」

「アリス、大女王様は君に期待している。裏切ることのないように。それと」

 ハートのJは一旦言葉を切った。

「それと本日、宮殿前広場で公開裁判が行われる。特別な理由がない限り、フシギノクニの全住民が傍聴しなければならない。とりわけ君は初めてなので、必ず出席すること。いいね?」

 アリスは話がよく飲み込めないまま、はいと返事をした。


 宮殿前広場を大勢の民衆が埋めつくしていた。タコ男。エビ女。ヒトデ、ウツボ、フグ、クラゲ、ヒラメ、イワシ……あらゆる海洋生物の頭部をもつ者たちが、開廷を待っている。

 遅れてやって来たチチカカとアリスは人混みを縫って、中程へと進んだ。

「公開裁判イコール公開処刑だからさ」出掛に、チチカカは言った。「裁判なんて名ばかりで、判決は有罪の死刑と決まっているんだ。大女王が裁判官になって判決を下すんだけど、いつも最後にはこれさ」

 チチカカは手刀をオウムガイ頭の下に当て、横に引いた。

「軽い罪でも、ですか?」

「窃盗だろうが詐欺だろうが、関係ない。大女王の怒りを買っただけで処刑されたりもする」

「そうなんですか……いい方なのに」

 アリスは複雑な気持ちになった。

「恐怖心を植え付けて支配するつもりだろ。みんな見慣れちまったけどな」

 キープの入口に続く階段を背に、舞台が設えてある。舞台上には相撲取りが二人並んで座れそうな大きな椅子。中央に、十字架を連想させる杭が立っている。

 前後二名ずつのトランプ兵にガードされ、トランプ大女王が登場した。舞台に上り、椅子に腰をおろし、烈しく鼻息を吹き出す。

 続いて被告人。縄で手首を縛られているのは、トランプ守備隊の一人、ダイヤの4だった。

「この男はわたくしの悪口を言っていました」大女王の声は怒りに震えている。「容姿について。性格について。行動について。政治のやり方について」

 ブオーッ! 熱のこもった凄まじい鼻息が噴出された。

 ダイヤの4はぼろぼろ涙をこぼし、

「酒を飲んでいたんです。ひどく酔っぱらっていたんです。どうかお許しを」

「酔って心の扉が開いただけでしょう。ふだん扉は閉まっていても、わたくしに対する邪な思いは確かにあった」

 大女王はダイヤの4を指差して、

「思うだけで罪です」

「そうだ! 大女王様の言うとおり!」アリスの斜め前に立つハリセンボン頭の男が、声を張り上げた。

 観念。ダイヤの4はすとんと、舞台にへたり込んだ。

「罪を認めますね?」

「……はい」

 大女王は立ち上がり、民衆に向かって、

「判決。被告人を斬首刑に処す」

 ざわめき。観衆の視線がキープの出入口に集中する。

(何が始まるのかしら)

 現れ出た大柄の男。メカジキの頭部。上半身裸。ゴツゴツした大胸筋。黒のロングタイツ。ぱっと見、覆面レスラーを思わせた。

 その手には、赤黒い血のこびりついたチェーンソーが握られている。

「首切り役人、サンソンだ」チチカカがアリスに耳打ちする。

 サンソンは頭上にチェーンソーを掲げ、腰をくねらせて奇妙なダンスを舞う。次に長い吻を突き立て、上空へ甲高い雄叫びを放った。

 階段を駆け降り、舞台に飛び乗る。チェーンソーを始動させ、刀のように振り回す。

 ダイヤの4は、舞台中央に据えられた杭に、立ったまま鎖で固定された。

 正面にサンソン。八双の構え。長い吻の剣先が、罪人の目に向けられる。

 吠えるチェーンソー。荒っぽく振り回された。かっ飛ばされる頭部。くるくると回転しながら、生首は観客席の只中へ飛んでいく。

 ロングパスを受けようとするサッカー選手のように、アリスは飛来する生首をじっと見つめ、立ちつくしていた。

 周りの観衆は一斉に逃げ、ぽっかりあいた空間にアリス一人取り残された。

 チチカカが慌ててアリスの腕を引く。直後。アリスの立っていた地点に、ダイヤの4の首がぼとりと降ってきた。

 生首は真っ赤な血の筋を引きながら石畳の上を転がる。最後に切断面をアリスのほうへ向けて、止まった。

 チチカカにもたれかかり、アリスは震えを抑えられない。生々しい切断面からなかなか目を離すことができず、ついに泣き出してしまった。

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