「囲碁の恋」映画化企画書

■タイトル

「囲碁の恋」


■監督・脚本

黒羽 翔

(つまり、筆者自身が希望する。監督経験は無いが、映画を撮らして頂けるだけでも感謝するくらいなので、前払いのギャラは最低限の交通費だけで良い。公開後の興行収入から製作費を回収した後、本の印税のように、興行成績の10%と云った契約をして頂ければ幸いである)


■想定予算

 500万(最低限)~1500万円(希望)

(このうち、筆者へのギャラは交通費だけで良い)


■企画概要

 長編映画 想定尺 約90分~190分

 最低限500万円の予算で製作した場合、約90分

 希望額1500万円の予算で製作した場合、約190分

(映画本編:約90分+休憩10分+囲碁プロレス90分=計190分)


■タ ー ゲ ッ ト ( 見 せ た い 観 客 層 )

 大学生のラブストーリーなので 、 同 年 代 の 1 0 代 ~ 2 0 代 の 若 年 層 。

また 、競技人口約180万人の囲碁ファンの 老若男女。


■登場人物 、 お よ び イ メ ー ジ キ ャ ス ト

 メインキャラクターは以下の四名である。

 ●恋路こいじわたる(19)男性

 ●稲穂いなほ香織かおり(18)女性

 ●仁村にむらみのる(19)男性

 ●仁村にむら博久ひろひさ(51)男性

 順に解説していく。


 ●恋路こいじわたる(19)男性

 イメージキャスト:若手男性俳優、または男性アイドル 10代~20代前半

 大学生一年生。経済学部。「恋路道商事」の社長、恋路こいじ拓郎たくろうの三男。左利き。

 大学で一目惚れした稲穂香織に告白するが、「囲碁が強い人じゃないと無理」とフラれたことを切っ掛けにして囲碁を始める。

 簡単な六路盤さえ真面まともに打てないほど弱い棋力しか無かったが、香織と同じ囲碁のプロ棋士にならなければ、彼女と同じ世界に住めないと考えて、囲碁に真剣に打ち込んだ結果、たった数か月でプロレベルの驚異的な棋力を獲得する。

 囲碁サロン「ニギリ」で出会った日本棋院生・仁村にむらみのるが宿命のライバルとなり、彼の前に立ちはだかる。

<解説>

 一番重要かつ難しいキャスティング。新人と云えども棒読みは許されない。

 ただし亘の左利きと云う設定は、現実の囲碁中継のように黒番を画面の左(下手)に配置すると、右腕を伸ばした際、顔や身体が隠れてしまうのではないか? という絵的な危惧を考慮した設定に過ぎない。しかし実際の囲碁中継を見ていても、黒番の棋士が右利きのせいで顔が見づらくなったことは一度も無いので、役者が右利きなら右利きで良いし、左利きならそのまま左利きで演じれば良い。左利きの役者が無理に右利きを強制されて苦労することが無いように配慮した設定である。

 人間性としては、ダメ出しされたり、何回もリテイクされたりしても、へこたれない根性を持つ者が求められる。何故なら亘自身がそういう奴だからだ。

 オーディションに参加した際には、「囲碁は知っています」と即答出来るくらいの準備をしてくるような人物であって欲しい。そこを怠るような人格ではどんなに魅力的な男性であろうと、筆者は落選させるようにプロデューサーに進言する。

 また、大企業の社長の三男坊ということで、育ちの良さや優しさ、大らかさ、余裕を感じさせられる優男な美青年が求められる。

 当たり前だが、女性ファンも多く取り込めるラブストーリーであるため、絶対的に美男子(イケメン)でなければならず、醜男や太っている男は不合格である。また、ヒロインと比較してあまりに背が低いのもマイナスで最低限165㎝以上は欲しい。

 人権の観点では違うと思うが、映画の世界では「ルッキズムは正義」である。自分の容姿も磨かないのに、可愛い女の子と付き合いたいと云うのは、筆者は男性として矛盾した考えの持ち主と考えるので、ヒロイン役の女優に恥を掻かせないためにも、自分の容姿への洗練や努力を欠かさない男優を求めざるを得ない。

 あまりに無名では興行的勝算は無いが、かと言って下手に有名な俳優を使おうとすれば予算が肥大化してプロジェクトが瓦解するため、慎重な判断が求められる。

 日本の芸能界で蔓延する、バーターキャスティング要求(芸能事務所の押し売り)が行われてしまうと、短期間での撮影や感染対策が不可能になってしまい、善意ある芸能事務所の協力が求められる。


 ●稲穂いなほ香織かおり(18)女性

 イメージキャスト第一希望:稲葉かりん初段/第二希望:小宮山莉渚

 大学一年生。経済学部。小学校時代の友達が亘と同じ高校だったことで知り合う。

 囲碁の女流棋士で、テレビの囲碁番組に出るなど、ファンには有名な女性だった。

 高校2年生でプロになったが、厳しい囲碁界の現実を思い知って、大学にも進学。大学を卒業した後、女子アナになろうか、囲碁棋士を続けようか迷っている。

 亘を一度はフるが、囲碁に興味を持ったことで、彼に囲碁の手解きをしていく。

<解説>

 この作品自体、囲碁の女流棋士の稲葉かりん初段をテレビドラマに出したいと云う考えから作られたので、第一希望は稲葉かりん初段である。

 ただし、NHKのような放送局ならまだしも、低予算映画に出演してくれるのか、或いは俳優としての経験が全く無い状況で演技出来るのかと云った問題もある上に、筆者も作品を膨らませる中で、稲穂香織と云うキャラクターは、稲葉かりん初段とは似ても似つかない人格になってしまった。稲葉かりん初段は高卒らしいが、稲穂香織は女子大生であり、その辺りの考え方や境遇も含めて、演じる本人が稲穂香織に共感することが難しい点や本人の負担も大きいことも鑑みると無理強いは出来ない。

 また、稲葉かりん初段は関西棋院の出身なので、本人の交通費や宿泊費用は勿論、製作側で負担しなければならない。筆者は関東在住なので地理感が無いため、物語の舞台を関東地方に設定したが、稲葉かりん初段の拠点の関西地域で撮影出来るならばもしかしたらそちらの方が安上がりかも分からない。その際、物語の舞台は日本棋院ではなく、関西棋院となるだろう。

 しかし現役のプロ棋士と云うのは、囲碁を主人公に教える意味でも非常に有効で、台詞をより良い形に修正すると云った洗練も出来るだろう。稲葉かりん初段に断れたとしても、可愛らしい囲碁の女流棋士の先生は多いので、そういった女子大生を演じるのに無理が無い女流棋士の先生にアプローチしても面白そうだが、容姿は兎も角、演技力に期待は出来ないため、一長一短である。

 少なくとも女子大生を無理なく演じられる女優さんが求められるが、囲碁の理解が一定程度あると云う意味では、「囲碁フォーカス」や「新春囲碁スペシャル 人気チームでリレーgoバトル!」に出演していた俳優の小宮山莉渚さんが適任と思われる。容姿も美しく、主人公が一目惚れするのにも説得力があり、囲碁も出来るからだ。

 勿論、本人や芸能事務所から許諾を得られなければそれまでだが、男の子が一目惚れするのも分かる程度は容姿端麗で、なおかつ囲碁が分かる人物が求められる。

 恋路亘役と同じく、オーディションまでに囲碁のルールをマスターしているくらいの努力は怠らないで欲しい。


 ●仁村にむらみのる(19)男性

 イメージキャスト:若手男性俳優、または男性アイドル 10代~20代前半

 大学生一年生。亘や香織と同じ大学だが、学部は違うため、交流は少ない。

 プロ棋士の候補生・日本棋院院生で、プロ棋士の仁村にむら博久ひろひさの息子。

 銀色に髪を染めており、白い服を好んで着る。

 棋力そのものは既にプロ棋士のレベルに達しているのだが、壁にぶつかって17歳までの年齢制限に引っ掛かり、プロ棋士の仁村の息子と云うことで院生で居られる期間を2年延長してもらったが、それでもBクラスに落ちるなど低迷に焦っている。

 プロ棋士や囲碁へのリスペクトやプライドが高く、自身が中々プロ棋士になれない焦りもあって、香織に惚れたことで囲碁を始めたと言う亘があまりに軽薄に感じられてしまい、初心者の亘を囲碁で叩きのめしたり、激怒したりと何かと目の敵にする。

 院生時代の香織に一度も負けたことが無かったり、香織に告白してフラれていたりと云った複雑な過去や事情を多く抱えており、それが彼自身の人格を歪めている。

 冬季棋士試験の合同予選でも亘を叩きのめして全勝で勝ち上がり、本予選でも一敗したのみで順調に勝ち進が、同じく一敗で勝ち進んだ亘と最後の棋士の席を巡って、直接対決をすることになる。

<解説>

 NHKに応募した際は中卒だったが、因縁を深めるために大学生に設定変更。

 亘の最大のライバル役となるため、亘役と同時にオーディションすることになる。

 やや悪役だが、非常に重要なキャラクターであり、キャスティングは難しい。

 また、彼はこの話ではプロ棋士になれずに敗北してしまうが、もしこの映画が成功して、例えば「囲碁の恋2」のような続編が製作出来ることになれば、彼を主人公にして続編映画を撮りたいと考えている。

 筆者の「囲碁の恋」も一度落選した作品である。だから、この作品では負けるが、次回作でプロ棋士の夢を叶える彼を描いてみたい。

 それ故に、このキャラクターも主役級を演じられる俳優が求められるし、この話の仁村実は嫌なキャラクターかもしれないが、演じる役者は人格者であって欲しい。


 ●仁村にむら博久ひろひさ(51)男性

 イメージキャスト:三村みむら智保ともやす九段/第二希望:40代後半~50代後半の男優

 囲碁棋士で最高段位の九段。囲碁サロン「ニギリ」の経営者で、仁村実は息子。

 囲碁を覚えにやってきた亘にサロンを提供するなど、目立たない形で彼を支えた。

 息子の実が激怒したことに対して亘に謝罪するが、あくまでも怒鳴ったことを謝罪しただけで、短期間で棋力を上げてプロ棋士になろうとしている亘に全く良い印象を持っていなかったことを打ち明ける。

 急遽、実況中継されることになった亘と実の棋戦を香織と共に解説する。

 亘に敗北してもなお負けを認めない実を見て、仲裁に入る。

<解説>

 NHKに応募した際は、名前が仁村智保だった。

 作品の規模によって、求められるキャスティングが大きく異なる。

 例えば90分の低予算映画として仕上げるのであれば、プロの俳優で構わないし、むしろ演技経験の無い囲碁棋士の先生を雇うより適切なキャスティングと思われる。

 しかし、■企画意図の最後に紹介する「囲碁プロレス」を含めた大長編映画に出来るのであれば、NHK杯などで解説の経験があり、プロ棋士としても囲碁を技術的に解説出来る、本物の棋士の先生の方が囲碁を解説する上で非常に有利なことは間違い無い。通常の俳優さんでは逆に負担が大きくなってしまうだろう。

 ここでは個人的に好きだった三村智保九段を引き合いに出したが、このような映画企画があればぜひ出演してみたいと云った同年代の囲碁棋士の先生が居るなら、ぜひ出演して頂きたいと考えている。

 上記の息子役の解説で「囲碁の恋2」の構想があることを話したが、万が一にでも続編映画が撮れるとしたら、そちらにも参加して頂きたい。


■企画意図

 主に以下の3つの意図から本企画を提出する。


●最低限の予算で、最大限の興行収入を得られる「囲碁映画」の可能性

●「囲碁映画」の提言、映画と囲碁の相性の良さ

●国内市場だけでなく、海外輸出や海外展開への可能性


 この三つの本企画意図を順に説明していく。


●最低限の予算で、最大限の興行収入を得られる「囲碁映画」の可能性

 我が国の実写映画は苦境に立たされていると考える。

 我が国は「鬼滅の刃」や「エヴァンゲリオン」など、アニメ映画の大健闘や台頭が著しい中、実写映画はさまざまな面から見ても非常に厳しいものとなったと考えざるを得ない。興行収入ランキングで上位を占めるのはほとんどがアニメ映画であって、

歴代の興収を調べても日本の実写映画で100億円を超えたのは『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(2003)』『ラスト・サムライ(2003)』『南極物語(1983)』『踊る大捜査線(1999)』の四本のみである。『ラスト・サムライ』は日本が舞台で日本人俳優も多く出演しているがハリウッド資本の映画であり、『踊る大捜査線』の1と2もテレビドラマの映画化で、『南極物語』もフジテレビが主導して制作した映画であり、配給会社は角川(日本ヘラルド映画)だが、テレビの宣伝力によってヒットしたことは否めず、時代の違いを考慮するとインターネットがこれだけ普及した現代において、いくらテレビの力を以ってしても100億円超の興行収入を叩き出す実写映画が登場して来る可能性は非常に低いと思われる。


 第7回カクヨムWeb小説コンテストは「映画・映像化賞」が目玉とされている。

 もし『囲碁の恋』がアニメ映画として制作される場合は話が違ってくるが、これが実写映画として制作される以上、いくら大企業のKADOKAWAと云えどリスクを極限まで削らなければ映画化のゴーサインを出すのが難しいのではないかと考える。出版の売上から補填するにしても余裕は無いだろうし、外部から制作資金を調達するにしても、コロナ禍の現在において容易なことではない。

 予算が増えると云うことは、それだけ多額の制作資金が必要になり、我が国特有の製作委員会方式で製作された場合、それだけ多くの企業が権利関係を保有する構造にならざるを得ない。すると、権利を持ったすべての企業の承諾が必要となって、二次利用や海外展開が出来ず、収益を得ることが難しくなってくる。権利保有する企業がなるべく少なくなるのが理想であり、そのために制作資金の高騰を抑えると云うのは必要条件になってくる。

 また、この企画書を執筆している2022年1月現在、新型コロナウイルスのオミクロン株が驚異的なペースで広がっている。実写化にあたり、出演者やスタッフ達の感染リスク低減のためにも、短期間での撮影完了が求められ、少人数での撮影を慣行出来るプロジェクトにしなければならない。映画の規模が大きくなれば、それだけ動員されるスタッフの人数も増加し、感染リスクは倍増することになる。


 よって、

・制作資金調達の容易化(同時に興行失敗リスクの低減)

・短期間での撮影完了

・出演者やスタッフの新型コロナ感染リスクの回避

 これらのことからも「最低限の予算による製作」を提言する。


 しかしリスクを避けてばかりでは、リターンを得ることも出来ない。

 そこで「囲碁映画」の提言を行う次第である。


 囲碁の競技人口は最新の「レジャー白書」によると180万人である。これは減少してこの数字になったものだが、仮にこの180万人全員が囲碁映画を見に来れば、

最大約32億4000万円(180万×入場料1800円)の興行収入が得られる計算になる。

 勿論、そのような景気の良い話は無いが、興行的勝算はある。

 映画は(制作・配給・映画館)が1/3ずつ持っていく商売になるため、製作費として掛けられる予算の最大値も興行収入の1/3までである。その後、ソフト販売やCS放送や動画配信などで収益を稼げるとしても、製作費の1/3以上の金を掛けることはリスクが高過ぎて不可能である。

 約32億4000万円の興行収入が求められるなら製作費はその1/3、10億8000万円まで掛けられることを意味する。つまり製作費10億円が上限となるが、先程も述べた通り、興行的リスクが高過ぎて賛成出来ない。

 一方、この企画で提言する制作予算500~1500万円ならば求められる興行収入は、

興行収入1500万円(500万円で制作した場合)~4500万円(1500万円で制作)から黒字化を達成することが可能であり、1500万円の興行収入は割引で入る観客を想定しても約1万人の動員があれば良く、1500万円を掛けられるにしても約3万人動員で黒字化を達成することが可能である。

 映画の興行収入は億単位で稼いで初めて儲かるイメージがあるが、実際のところは飲食業や製造業と同じく、コストを削って、リスクを低減して確実に稼いだ方が経営判断として適切である。銀行や信用調査会社にしても、数十億円のヒットを飛ばして赤字を出した会社より、数千万円の興収に留まっても黒字を確保した方が確実に社会的信用は後者の方が上であると答えるのは間違いない。

 1万人は囲碁の競技人口180万人の丁度1/180、3万人を目指すにしても約1/60の割合で済み、既に囲碁に興味を持つ人達だけを相手にしても黒字化の見込みは十分に立てられるのである。


 しかし、将棋の藤井聡太が人気である一方で、囲碁棋士の知名度が一般に高いとは言えないのも事実である。

 将棋の競技人口は囲碁を遥かに上回る530万人(レジャー白書2021)であり、この数字だけを見れば、「囲碁映画」を企画するより「将棋映画」を企画した方が、一見すると興行的な期待が見込めそうである。実際に「聖の青春」と云う、実在した村山聖追贈九段の伝記映画が製作されたこともある。


 では、同じテーブルゲームであっても、何故「将棋」ではなく「囲碁」でなければいけないのか?

 それが次の企画意図からなる理由に由るものである。


●映画と囲碁の相性の良さ

 何故「囲碁映画」に可能性があるのかと云うと、それは競技の特性に由来する。


 我が国の競技人口で云えば、囲碁よりも将棋の方が人数が多いことは事実であり、このことから、筆者も「将棋映画」を考えたことがある。

 筆者は、2021年9月末までに締め切られた「TOEI VIDEO NEW CINEMA FACTORY 」において、「ドラゴン将棋」と云う将棋映画を提案したが、選考には受からなかった経験を持つ。

 しかし、「将棋」の映画を考えていく上で、筆者は将棋及びその他のスポーツ競技全般が抱える「致命的な問題点=映画との相性の悪さ」を見出すに至った。


 元プロ野球選手で中日ドラゴンズで監督も務めた落合博満氏は、自身の映画評論集「戦士の休息(岩波書店)」で、プロ野球選手としての経験から野球映画の問題点を挙げている。人物設定からストーリーだけでなく、選手の動作がプロ選手と俳優とでまったく違うことを指摘しているのだ。

 落合氏は自身が幸か不幸かプロ野球選手だったから、野球映画にリアリティを感じられないんだと弁明していたが、野球をプレイするのは素人でも、目の肥えた野球のファンである筆者も、落合氏と同じような違和感を野球映画に感じてしまった経験は数多くある。

 ハリウッドのような多大な製作費を掛けられた映画作品でも、俳優がユニフォームを着て現れただけで、「野球選手はこんな細くない、小さくない」と思ったり、野球経験がちゃんとある俳優が野球を披露しても、プロ野球の試合を数多く見てきた経験から「フォームが違う」と云った感想を素人でも抱いてしまうのだ。

 野球のように我が国でも人気を誇る超メジャースポーツを題材にした場合、一介の素人からも「リアリティがない」と思われる危険性がスポーツ映画は含んでいる。

 一方、池井戸潤原作の『ノーサイド・ゲーム』というテレビドラマが2019年にTBSで放映された。ラグビーを題材にした作品で、日本の地上波のドラマとしてはかなりの予算を掛けて製作された、非常に見応えのある良作である。

 しかし、ラグビーのような一般にそれほど大衆の目が肥えているとは思えない競技でも、やはりプロ選手と俳優とでは肉体があまりに違い過ぎる点は素人目にも明らかだった。日本の俳優はモデル出身者で細身の体型が多いのに対して、ラグビーはその競技の性質から自然と屈強な体格が増えていくからだ。

 サッカーやテニスなら選手の体型も比較的細いから、例えば「テニスの王子様」の舞台などを見て、「俳優の体型が選手のそれと違い過ぎる」と非難する人は少ない。

 しかし俳優の体型の差異はどうにかなるが、俳優がその肉体を動かすとなると話は変わってきて、やはりその競技を実際に視てきたファンに「プロ選手と動きが違う」「リアリティが無い」と思われてしまうだろう。

「スポーツ映画」と云う分野ジャンルはスポーツそれ自体がショービジネスである関係上、観客の鑑賞に耐え得る映像作品を製作するのが非常に難しく、高い製作費やプロから支援を受けたところで容易に再現出来るものではないのだ。


 しかし、ボードゲームはプロの動きの再現性が、スポーツよりも必然的に高い。

 プロ雀士を題材にして映画を撮って「大三元」を繰り出しても、麻雀のファンに「リアリティが無い」と言って怒る人は少ないし、将棋映画で棒銀を指して勝っても将棋ファンが「棒銀で勝つなんて無理だ」と批判することは無いのだ。


 しかし、麻雀やトランプは運の要素が強いため、プロが強いのか、運が良いのか、映画を見ていても判然としない問題がある。

 例えば麻雀を題材にした映画『咲-Saki-』の主人公・咲の得意な和了あがり嶺上開花リンシャンカイホウだが、「有り得ないだろう」と云うリアリティの無さには目を瞑っても、主人公が強いのか運が良いのかがよく分からない。

 常識だが、あくまでも「運」は「実力の外」を意味する言葉である。だから「運も実力の内」と云うように、“も”の助詞を使うのである。「運」と「実力」が本来同質ならば、最初から違う言葉に別れていない。

 海外ではトランプ(カード)を題材にした映画は多く、『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ(1998)』や「シェイド(2003)」でもポーカーが扱われ、『007/カジノ・ロワイヤル』でもバカラが扱われたが、やはりそのキャラクターが競技に強い(弱い)のか、運が良い(悪い)のか、凄く分かりにくい。

 運の要素が強い麻雀やポーカーで考えなければならないのが「イカサマ」の要素である。これを魅力と考えるか瑕瑾と考えるのか、観客次第であり、感想が見えない。

 例えば長寿麻雀漫画「アカギ」で、麻雀を覚えたばかりのアカギが大三元を出すために、既に捨てられていた牌を他人の目を盗んで自分の牌の中にいつの間にか組み込んでいたというエピソードがあるが、筆者はこのエピソードを見た時点で「この作品を見る価値は無い」と考えて、作品を見切ってしまった。

 人によってはそれも醍醐味と考えるだろうから、「アカギ」は連載が続いているのだろうが、ルールを守らない「イカサマ」を主人公がした時点で観客がどう判断するのかが、筆者には全く読めないのである。

 悪役がイカサマを使ってくるならまだしも、「シェイド」のように主人公がイカサマをして敵を騙したとしても、筆者はちっとも痛快とは思えない。むしろ「遊戯王」のように、イカサマを仕掛けてくる相手にもルールを守った上で勝つ話にした方が、健全で遥かに観客の痛快感も増すと考えるが、人によって価値観は違うだろう。

 運の要素が強いゲームを題材にした場合、「イカサマ」の要素の有無も考えなければならず、映画としての難易度が増してしまう問題点は指摘しなければならない。

 そのため、運の要素が強いゲームの場合、キャラクター性を描くことが難しいので筆者は、映画との相性があまり良くないのではないかと考えている。


 では、何故「将棋映画」は難しいと考えるのか。将棋も囲碁と同じで、運の要素が非常に少ない。

「将棋」も囲碁と同じボードゲームであり、実際に筆者も東映ビデオが提示した予算1500万円以内の製作費を実現出来ると判断して、「ドラゴン将棋」を企画した。

 ところが、この作品は応募前から非常に厳しいだろうと判断していた。

 と云うのは、元々は囲碁よりも将棋の方が指せた筆者だが、これをいざ映画として企画して脚本を書いていた時、将棋には映画化する際「致命的な問題」があることが分かったからである。

 それは「将棋は、ルールが複雑過ぎる」ということである。

 筆者が将棋のルールを覚えたのは、将棋ゲームをプレイして、駒の動きを経験則で体得したからである。将棋の戦法にしても、陣形にしても、人から教えてもらうものではなく、実際に対局して自分の頭と身体で覚えていくものだ。

 将棋を指す力など小学生以下の誰でも出来る、決して難しいものではないのだが、人間は理解しようとするよりも「分からない」と言ってブー垂れた方が圧倒的に楽に思う我儘な生き物なので、理解しようとはしない。

 しかし、もし、将棋の駒の動きを映画の中で「歩はこう動く」「桂馬はこう動く」「飛車は成ったら龍になって、こういった動きをする」と云ったルールを、いちいち説明していったらそれだけで映画が終わってしまう。

 だから、筆者も将棋のルールの説明はしなかった。

 また、将棋だけでなくスポーツ映画全般がそうだが、「ルールが分からない人達にとっては結局のところ、競技映画は何が行われているのか分からない」という問題を抱えている。

 野球のルールが分からない人達は野球映画を見ても面白くないし、将棋のルールを知らない人達はやはり将棋映画を見てもチンプンカンに違いない。実際に将棋映画の「聖の青春」も見たが、映画としては緻密に仕上がっていたものの、「競技映画」の問題点を解消出来てはいなかった。これは決して監督や脚本家が悪いのではなくて、そもそも何かの競技を題材にした作品全般が必然的に内包している問題なのだ。


 このような「一見さんお断り」の作品を創った場合、その競技のファン以外が全く楽しむことが出来ないと云った問題が露わになって、映画を楽しむことも出来ずに、題材にした競技への興味も持たなくなってしまう恐れがある。

 筆者もそれを自分で将棋映画の脚本を書いてみて痛感した。


 ところが、「囲碁」と云うのは難しいと思われる人が多いが、実はルールが非常に少ない。

 これが囲碁の競技としての強みであり、映画と相性が良いと考える理由だ。

『囲碁の恋』を小説として執筆するに当たって、全文を約11万文字でまとめたが、三手目「囲碁のルール」で登場人物達に色々とやり取りをさせながら囲碁のルールを読者に説明していったが、それでも文字数は約6300字弱で済んだ。台詞のやり取りも失くしたら1000字も要らないだろう。

 一本の映画の中で「囲碁のルール」を説明することは容易く、映画を見さえすれば「ルールが分からない」と云った状況を解消することが出来る。


 さらに「囲碁」は、他のスポーツなどと違って、多額の使用料を払わなければ確保出来ない大規模な運動場などは必要なく、撮影に協力して頂ける囲碁サロンや教室を探すだけでロケ場所の確保は出来る。仮に撮影に協力して頂ける場所が無かったら、囲碁の器具だけを用意して予備校や塾のような場所で撮影してもそれらしい雰囲気を出すことは可能である。厳しい制作体制になるので、ロケ現場を柔軟に策定していく努力は必要になるが、金を掛けずに撮影する方法はいくらでもある。

 日本棋院や関西棋院の協力はぜひ必要だが、仮に断られたとしても、将棋と違って囲碁界は椅子対局が中心となっているため、適当な会議室で椅子対局を行い、台詞で「国際化で畳の部屋は少なくなった」と伝えれば作品として成立しないことはない。「日本棋院(関西棋院)の名前を一切出すな」と仮に云われたとしても、実際にありそうな団体名を考え出して、「この映画におけるプロ棋士の機関」と作品内では謳わせても良い。


 以上のことから、囲碁はその単純なルール性から、映画化の可能性が非常に高く、他の競技と違って、撮影の難度も低く、低予算短期間での撮影貫徹も可能ではないかと提案するのである。


●国内市場だけでなく、海外輸出や海外展開への可能性

 筆者は、190分の大長編映画が撮れるのであれば「囲碁プロレス」を撮りたいと考えている。

 最終決戦の対局場に来るまでで90分弱。

 休憩を10分。休憩中5分ぐらい経過した後、囲碁のルールを改めて説明したり、携帯電話やスマホの電源を切るように促したりするCGや字幕を入れると良い。

 そして最後の90分強でNHK杯テレビ囲碁トーナメントや囲碁将棋チャンネルの竜星戦のように、囲碁棋戦を初手から終局まで完全再現したい。

 繰り返しになるが、囲碁の映画的利点は競技の再現性が非常に高いことである。

 それは単に囲碁を題材にして映画を撮りましたというだけでなく、囲碁の競技性を徹底的に描くことで、囲碁の魅力や素晴らしさを大々的にアピールし、新たに囲碁に興味を持ってくれるファンが一人でも増えてくれたら良いと考えるからである。


 脚本には「三幕構成」と云う映画シナリオの定石がある。

 その観点から言えば、この時間配分が滅茶苦茶であるのは承知しているが、筆者は「競技性は三幕構成を超える」と考えている。

 昔「ドラゴンボール」のアニメが地上波のゴールデンタイムで放送されていた時、悟空とフリーザーが何話にも渡って戦っているだけであった。話にはなっていない。しかし、それでも子供達は夢中になって視聴した。

 サッカーはハーフタイムを挟んで90分あり、野球の試合時間は三時間以上に及ぶ場合もある。

 それでも視聴していられるのは、「競技性」はそれだけでショービジネスとしての魅力を有しているからに他ならない。

 90分の「囲碁プロレス」を実現しようと思えば、日本棋院や関西棋院の先生達に棋譜を考えて頂くため、数百万円の開発費を支払うことになるだろう。さらにNHK杯や囲碁将棋チャンネルのように、撮影出来る人材や機材も重なり、予算の高額化は避けられない。

 その価値が「囲碁プロレス」にはあると、筆者は信じている。


 囲碁は将棋の駒や麻雀の牌とは違い、言語の壁が無い。

 そのため、吹き替えをすれば海外にもすぐ提出出来るゲーム性を持っている上に、囲碁自体が世界中で打たれている。

 さらに日本にはアメリカ出身のマイケル・レドモンド九段、台湾出身の張栩九段、韓国出身の趙治勲九段、中国出身の蘇耀国九段などの日本語も堪能な海外出身の囲碁棋士も多く、映画作品を現地の言葉に翻訳したり、作品のひな型を他国に販売したりするのに協力出来る素養を持つ人材が揃う。こういった先生達の協力を得られれば、囲碁映画を海外に輸出したり展開したり出来る可能性を大きく秘めている。


 日本国内だけでも収益を黒字化することは可能だが、それだけでは先の見えない日本経済を考慮しても、ビジネス的な魅力は薄い。

 KADOKAWAで映画化だけでなく書籍化するに当たっても、海外へも出版物を輸出していく動きは必要なのではないかと考える。


 以上の3つの企画意図、

●最低限の予算で、最大限の興行収入を得られる「囲碁映画」の可能性

●「囲碁映画」の提言、映画と囲碁の相性の良さ

●国内市場だけでなく、海外輸出や海外展開への可能性

 この三つの企画意図を以って、本作の映画化企画を提出する旨を表明する。

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