第三十二話 冒険者の家・2

 家に戻ると、リスティは言っていた通りに料理を始めた。俺も手伝おうとしたが、まず家の中を見るようにと言われ、ナナセに案内されている。


「ここが寝室です。凄いですよね、前の宿より良いベッドですよ」

「家具まで一式ついてるのはありがたいな」

「はい、本当に……まだマイトさんと同室の人は決まってないので、後で話し合います」

「まあ、俺は寝るときも音を出さないからそこは心配ないと言っておくよ」

「私は時々寝言を言っちゃってるみたいですけど、同室になっても気にしないでくださいね。隣の寝室とはベランダが繋がってるので、そっちからも移動できますよ」


 ナナセはベランダに出てから戻ってくる。やはり宿より落ち着くというか、定住できる拠点ができて嬉しいのだろう。


「二階の部屋はもう一つあるんですけど、小さな部屋なので、物置きになりそうです」

「そうなのか。屋根裏もあるみたいだな」

「えっ……屋根裏なんて、どうやって行くんですか?」

「廊下に仕掛けがある。えーと、罠がかかってるってわけでもないから……これか」

「きゃぁっ……!」


 廊下の突き当たりにある仕掛けを動かすと、梯子が上から降りてきた。少し埃が立ってしまう――屋根裏を作ったはいいが、前の住人が使っていなかったのだろうか。


「こ、ここは後で見てみた方が良さそうですね……」

「悪い、埃をかぶったな……風呂に入ったほうがいいか」

「そうですね、お家のお風呂の準備をしておかないと。魔道具でお湯を沸かすんですけど、マイトさんは使えますか?」


 盗賊ギルドを訪問した時、メイベルが湯を沸かす魔道具を手に入れたと言っていたが――思った以上に、この家の設備は充実しているようだ。


「使えるかどうか、一度見てみるよ。駄目だったら今日のところは風呂屋に行くか」

「はい、分かりましたっ」


 ナナセは弾むような返事をすると、一階に降りて俺を浴室まで案内してくれる。一度庭に出ると、浴室の外側の壁に魔道具が埋め込まれていた。


「この壁の向こうにお風呂があって、水は溜めてあります。魔道具を使って水を温めるって、説明の覚え書きがありました」

「ああ、分かった。ナナセは中に入って、水がどうなってるか見ててくれるか」

「かしこまりました!」


 ナナセはそう言って、パタパタと走って家の中に入っていく。


「さて……」


 魔道具には赤い魔石がついている。これに魔力を流すと効果が発動するとかそういうことなのだろう。


(……手をかざして魔力を流す感じか?)


「――動け!」


 掛け声とともに手をかざしてみたが、魔道具は応えてはくれない。これは結構恥ずかしい。


 メイベル姉さんに使い方を聞いておけば良かったと、詮無きことを考えかけたとき。


 ――『ロックアイI』によって『温熱の魔道具』のロックを発見――


 生物・無生物に対して『ロック』を一つ発見する、その技能が魔道具に対しても働く――表面に、錠前が見える。


(ここに鍵を挿せば動かせるのか? 正規の使用法が分かるに越したことはないけど、便利といえば便利か)


 俺は自らの魔力で鍵を生成し、鍵穴に差し込んでみる。錠前が消えるということはなく、魔力が吸われる感覚がある――そして。


『ふぁっ……マイトさん、お水が温かくなってきてます!』


 壁の向こうの浴室内から、ナナセの声が聞こえる。無事に魔道具が起動しているようだ――温度の加減の仕方も理解できている。


『マイトさん、ちょうどいい湯加減になりました。凄いです、こんなに早く……っ』


 ナナセが喜ぶ声が聞こえたその時、身体の内側から、今までになかったような力が溢れてくる。


 ――『マイト』のレベルが2に上昇 新たな特技を習得――


 レベルが上がるタイミングは幾つかあるが、賢者の場合は魔力を使うこと自体が経験を積むことになるのかもしれない。これは思わぬ収穫だった。


「上手くいったみたいだな」


『はい、大成功です! ご飯ももうできてますけど、どっちを先にします?』


「食事の後がいいか。湯が冷めたらまた温め直すよ」


 魔道具を使うことは良い訓練になる。それだけでまたレベルが上がることはないかもしれないが、やれるだけのことはやっておきたい。


   ◆◇◆


 リスティが作ってくれたスープは、家でこれが食べられるのかと感嘆するような味だった。市場で買った材料は特別なものではないのに、一口目でこれはと思い、気づいたら皿が空になっていた。


「いや……驚いた。リスティ、本当に料理が上手いんだな」

「そうだろう、リスティは花よ……ではなく、料理が趣味でよく練習をしていたからな」

「ん? プラチナ、今なんて……」

「ほ、ほら、マイト、食後のデザートもあるわよ」


 リスティが二つに切った果物を出してくれる。切る前から甘い匂いがしていたが、割ると橙色の果肉がとろっとしていて、さらに濃密な香りがする。


「種はもう取り除いてあるから、そのままスプーンですくって食べてみて」

「ああ。ん……旨いな。甘みがちょうどいい」

「この果物を食べると、魔力の回復が早くなるみたいですね。これを材料にして新しいお薬が作れるかもしれないです」

「ならば、マイトが多く食べた方がいいか。私の分はまた別の日に食べるといい」

「俺は大丈夫、一個でも十分回復してる感じはするから」


 そんなことなら買えるだけ買っておけばよかったかと思うが、出ている在庫は四つだけだったので、またあの女店主を見かけたら入荷状況を聞きたいところだ。


(……しかし回復はしてるが、ちょっと身体が熱いな。気にならない程度だが)


「マイトがそう言ってくれてるし、私たちも食べてみましょう」

 

 リスティたちもデザートの果物を食べ始める。俺も皮の部分だけ残して食べ終え、片付けを始める――盗賊ギルドの仕事で飯場の雑用として潜り込んだときのことを思い出す。


「マイト、ありがとう」

「洗い物は途中までで良いから、先に入浴すると良い」

「アムも食べますか? 美味しいですよ」


 ナナセが呼ぶと、スライム形態のアムがぽよんぽよんと跳ねてくる。『ご飯』というのは魔力だけではなく、普通の食事もできるようだ――ナナセが止めるのも聞かず、果物の皮も食べていたが。


   ◆◇◆


 浴室に入ると、洗い場に小さな鏡が置いてあった。自分の姿を映してみて再確認する――転職前は身体のそこかしこにあった傷が消えている。


(これじゃファリナたちには俺が俺だと分からないかもな……)


 レベルを上げ、再びファリナたちと同じレベル帯になれば、絶対に会えないということはない。しかし俺はまだレベル2で、ファリナたちは99だ。この差を埋めるにはどれだけの時間を必要とするだろう。


 会うだけなら、できなくはない。ファリナたちがフォーチュンを訪問してくれたなら――だが、そんな動機が彼女たちに生じるとは思えない。


 偶然を待ったままでいるわけにはいかない。俺がするべきことは、一から冒険者として実績を積んで、『賢者』として一人前になることだ。


 湯を桶ですくい、頭からかぶる。今は考えるのを止めようと、そう考えた矢先――浴室の戸が空く音がした。


「……え?」


 どう反応していいのか分からず、間が抜けた反応をする――俺が入っていることに気づかなかったのか、もちろんそんなわけもない。


「……マイト、私たちも一緒に入っていいだろうか?」

「い、一緒に……って、それは色々と問題が……っ」

「いいのよ、私たちはパーティの仲間なんだから」


 プラチナだけでなくリスティも入ってきた――そしてナナセも。身体はタオルで隠しているが、それだけで隠しきれるものではない。そもそも直視している場合ではないと気付き、光の速さで下を向く。


「湯の節約とかなら、俺がいくらでも沸かし直すし、別々に入った方がだな……っ」

「そんなことは気にする必要はない」

「へ……?」

「私たちが気にしないでいいって言っているんだから、マイトも気にしないでいいと思うわ」


 おかしい――明らかに何かが変だ。三人の中では比較的真面目というか、しっかりしているはずのリスティがそんなことを言うなんて、急転直下が過ぎる。


「マイトさん、まだ身体は洗ってないんですよね。お背中お流ししましょうか……?」

「い、いや、それは自分で……」

「遠慮することはない、私たちも後でお互いにそうするのだからな」


 混乱しきった頭を無理矢理に回し、考える――なぜこんなことになっているのか。


 ここに至るまでに何があったかを思い出そうとして、存外すぐに思い当たる。


 ――そうねえ……二人くらい若いなら、これでも大丈夫かしらね。


 ――ムーランの実って言うんだけど、二つに割って中の柔らかいところを食べるの。


(あれはそういう意味か……そういう効能のある実を、普通に売るのはどうなんだ……っ)


「……さっきから、身体が熱くて仕方がない。この火照り、どうやって鎮めれば……」

「お風呂に入ってさっぱりすれば……そう思ったけど……」

「あれ……さっきから、マイトさんが二人に見えるんですけど……お背中二人分流さないとですね……」


 俺だけがムーランの実を食べても少し酔ったようになっただけで済んだのは、盗賊時代の訓練の賜物なのだろうか。


 今は仲間たちが素面しらふに戻ったときにショックを与えないように、どうこの場を丸く収めるかを全力で考えるしかない――新しい家での一日目を無事に終えるために。


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