003 触らせてもらってもいいですか
「それで」俺はふわふわと空中に漂いながら、魔法少女安藤まひるに尋ねた。「俺はいつまでこの格好でいなければならないんだ」
「え」まひるは、今そのことに気が付いたというように、慌てて手を振った。「あの、それは、いつでも元に戻れると思うんですけど」
そうなのか。早く言ってくれ。
「でも」言いにくそうに、まひるは言葉をつないだ。「わたしはどちらかというとそのままでいてもらった方がいいっていうか」
俺は軽くショックを受けつつ、一応平静を装い――というか、犬なので表情の変化なんてどのみちわからないんだろうけど――聞いてみた。
「ま、まあ、別にいいけどね、このままでもね、別にね、ええっと、ちなみに元に戻る方法って……」
「わたしも細かなことはわからないんですけど、ヘルプ機能があるはずです」
そんなのあるんだ。
「え。どれだ」視界の右上の隅に、?マークを四角で囲った小さなアイコンが見つかった。「ああ、これか」
俺はそのアイコンに意識を向ける。小さなウィンドウが開き、『よくある質問』の下に、箇条書きでいくつかの項目が現れた。その中のひとつに、『変態解除(正しい人間への戻り方)』というのがあった。変態って……なんかやだな。あと、正しい人間って表記はどうなんだ、と思いつつ、説明を読む。
『契約した魔法少女と肉体的接触を行いつつ、人間の姿に戻る意思を持てば、変態は即座に解除されます』
肉体的接触って……これもなんかやだな、いや、俺が考えすぎなのか、と思いつつ、そういえばさっきも彼女の手を握ってこうなったんだと納得した。ともかく、俺に触ってもらって、さっさと元に――という俺の思考は、次の文章を読んでフリーズした。
『ただし、変態後、十二時間は元に戻りません』
ちょ、まじかよ。
「ええー」
と声を上げた俺に、まひるが尋ねた。
「どうしたんですか」
「なんか、十二時間経たないと元には戻らないらしい」
今日が金曜日で助かった。
「そ、そうなんですか。へえ。それは、た、大変ですね」
という言葉とは裏腹に、まひるはちょっと嬉しそうに見える。
「あの、安藤さん。ちょっと参考までに聞きたいんだけど」
「はい」
「俺って――つまり、人間の姿の俺って、あんまり見たくない感じなの?」
意味がつかめないといった表情を浮かべていたまひるは、はっとして、ぶんぶんと首を振った。
「違うんです、あの、わたし、あんまり、大人の男の人と喋ったことがなくて、それで……」
そうか。この子はただ単に、大人の男性と喋り慣れてないだけなのか。それはそうか、と俺は納得した。俺がどうこうというわけではなかったのか。でもまあ、軽いショックはなんとなく残ってはいるが。
「あの、ご、ごめんなさい」
そう言って、まひるはうなだれた。
「いやいやいや」俺は努めて明るく――犬だからあんまり効果はないだろうけど――言った。「いや、ぜんぜん構わないよ。気にしなくていいから。なんかごめんね。俺もあんまり若い子と話す機会がなくて」
いや、若い子って。だめだ。なんか、喋れば喋るほど、ドツボにはまっていきそうだ。ふわふわと空中に浮かんでいた俺は、すすすすーと地面に降下していく。
「あのでも」まひるの視線が、俺の体を追いかけてくる。「その姿ならわたし、ぜんぜん大丈夫ですから。ぜんぜんお話できますから」
ああ、うん。それ、ちっともフォローになってないから。
「それとあの、さっき、すごかったです」
「ん?」と、地面に降り立った俺は首をかしげる。
「さっきの戦闘です」まひるは、俺の前にしゃがみこんだ。「初めてで、あそこまで戦える人って、そうそういないと思います」
「そうなの?」
「はい。あのーもしかして、山田さんってゲーマーなんですか」
ゲーマー。
「って、ゲームが上手い人のこと?」
「ですです。最近はプロの人とかもいるじゃないですか」
「いや、さっきも言ったけど、俺、普通の会社員だから。それはまあ、昔はゲームもよくやったけど、俺のゲーム知識はプレステ2で止まってる」
「へー。そうなんですねー」
この子との会話では、なかなか核心にたどり着けない気がして、俺は気になることのひとつを尋ねてみることにした。
「あの、いっこ聞いていいかな」
「はい」
「こういう、なんていうか、今の俺みたいな、君のサポート的な存在、あるじゃない」
「あ、ワンコちゃんですね」
「あ、ワンコちゃんっていうのね」
聞かなきゃよかった。
「その、ワンコちゃんって、俺がこうなる前って、どうなってたの。誰か別の人がやってたの。あと、君みたいな魔法少女って、ほかにもいるの」
んー、と、まひるは唇に指を当てて、思案顔になった。
「そういうこと、言っていいのかどうか、わたしにはわからないので、いっしょに来てもらってもいいですか。偉い人から直接説明してもらったほうがいいと思います」
偉い人。そんな人がいるんだ。
「それは、ぜひそうしてほしい。その人はどこに?」
「わたしが案内します。今からでも大丈夫ですか」
「俺は大丈夫」
「では行きましょう」立ち上がりかけたまひるは、すぐさままたしゃがみこんだ。「その前に、お願いがあるんですけど」
「うん」
言いにくそうに、まひるはしばらくもじもじしたあと、意を決したように、俺に告げた。
「ちょっとだけ、触らせてもらってもいいですか」
触る? ああ、俺の体のことか。
「別にいいけど」
「やった」
まひるの手が伸びて、俺の頭の上にそっと置かれた。
「うち、マンションで、ペット禁止なんですよー」まひるは俺の頭をゆっくりとなでた。「うわー。もふもふー。ふふふ。いいなー」
言うまでもなく、犬になって頭をなでられるなんて、生まれて初めての経験だ。正直、勘弁してくれと思わなくもなかったが、実際やってみるとそれほど悪い気持ちではなかった。それは、今のところ単に、まひるに対して悪い印象を持っていないだけだからかもしれないし、もしかしたら、魔法少女と俺との関係性が影響しているからなのかもしれない。
俺の頭をなでながら、まひるはにこにこと笑っている。
ふん。
まあ、いずれにしろ。
なんていうか、こういうのも、悪くはないかもな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。