潔癖王子と婚約者

メグ

【1】

 高校の昼休みは騒がしい。それも男女ともに人気のあるシバの周りはなおさらだ。今回もひとり、人気のない体育館裏でのんびりと食事をしようと思っていたところを、女子生徒に見つかってしまって厄介事に巻き込まれている。


「俺に触るな!」


 シバは大きく腕を振って、絡みつく相手の手を振り払った。短く切りそろえられた黒髪が乱れるのも気にしない。


 シバは自分に近づく人間が気持ち悪くてならなかった。


 アルファ、ベータ、オメガ、男女以外にヒトを分類するもうひとつの性が生まれてからもう大分経つ。オオカミの群れの序列を基に、名付けられたものらしい。


 シバは序列の最高位であるアルファに生まれた。アルファは総じて優秀だ。だからそれは名誉あることらしい。だが、シバにとってはそれは足枷でしかない。なぜならシバは重度の潔癖症だからである。シバは、アルファの努めの一つである優秀な遺伝子を残すことに戸惑いを感じていた。何人もの男女を侍らせることも可能だというのに、シバはキスすらもしたくなかった。誰かの唾液が自らのそれと混じり合うのは、シバにとって恐怖でしかない。


 シバがアルファだと知ると、皆こぞって言いよってくる。アルファと番になれば、一生遊んで暮らせるとおもっているのだろう。その様変わりがなおさら気持ち悪かった。


 シバにとっては、自分の部屋という聖域と僅かな友人だけが心休まる場所だった。


 だが二次性徴が始まるとそうも言っていられなくなる。発情期を迎えたオメガのフェロモンが、アルファにどんな影響をもたらすのかシバもよく知っていた。


 だからいつも、フェロモンを受けにくくする薬を飲んでいた。それがシバの精神安定剤代わりでもあった。


 泣きながら、走り去る相手の背中に向けてため息をついて、シバはポケットからその薬を取り出した。


 どうやら相手は発情期直前のオメガだったらしい。フェロモンの名残を感じながら、胸のムカつきはなかなか治まらなかった。


 ずるずると壁に背を預け、その場にしゃがみ込む。高校の制服であるブレザーがシワになるのも気にしない。


 はぁ、とシバは再び大きくため息をついた。


「シバ先輩?」


 そのまま目をつぶりかけて、自分を呼ぶ声にシバの意識は浮上する。そこにいたのは、小動物を思わせる小柄な少女だった。シバは彼女をよく知っていた。


「なんだ、シュリか……」


 シュリと呼ばれた少女は、一年前にできたシバの婚約者だった。くるくるとした癖のある茶髪に、黒い大きな瞳が印象的な少女である。アルファであるシバの番にと親が決めたオメガの婚約者が彼女だった。シバは彼女をどう扱っていいかいつも考えあぐねていた。


 不思議と彼女には気持ち悪さを感じないが、だからといって触れられるのが嬉しいとも思えない。触れたいとも思えない。それでも彼女がそばにいるのはここ一年当たり前の毎日だった。


「また、告白されたんですか?」


 少し怒ったようにシュリの語尾が上がる。


「好きで告白されてるわけじゃない。シュリも俺の潔癖症はよく知っているだろう?」


「でも……」


「でも、なんだ?」


「シバ先輩はわたしの婚約者です……」


 はぁ、とシバは再度ため息をついた。彼女の小さな独占欲はシバにとっては理解に苦しむものである。


 シバは返答に困って話をそらすことにした。


「それよりも手に持っているのはなんだ?」


 シバの質問にシュリは嬉しそうに、手にした包を差し出した。


「調理実習で作ったんです」


 だから今日は異様にお菓子を差し出してくる子が多かったのか。シバは合点がいった。シバは手作りが苦手だった。管理された中でプロのコックがつくったものならまだしも、素人が手作りしたものには、何が入っているかわかったものではないからだ。


 婚約者のシュリが作ったのものも例外ではない。それは彼女も知っているはずなのに、懲りずにこうして手作りの品を持ってくる。それはいつかシバが食べてくれると信じているからなのだろう。


「悪いけど、食べないぞ」


「そういうと思ってました。でも、いつか賭けに勝ってみせますよ!」


 シバとシュリは一年前に婚約が決まった頃から一つの賭けをしている。高校卒業までの三年間の間にシバがシュリの作ったものを食べればシュリの勝ち、食べなければシバの勝ちだ。シバが勝てば、シュリとの婚約は解消することになる。限りなくシバに有利な条件であるような気もするが、彼女は諦めることなくシバに挑み続けている。


 諦めないシュリの姿は、普通の男だったら健気に感じられただろうが、シバにはいまいちその感情がわからなかった。


 でも珍しく、なんとなくシュリの頭を撫でてやりたくなって、シバはぐしゃぐしゃとシュリの癖毛をかき回した。シュリが怒ってシバの胸を叩くのも予想済みだ。だから、さっと身体をひねってやり過ごす。


「俺に触るなといってあるだろう?」


「シバ先輩は気まぐれにわたしに触るのにずるいです」


 そうは言ったって潔癖症なのだから仕方ない。こんなわがままな自分のどこがそんなにいいのか、シバ自身よくわからなかった。


 それでも出会ってしばらく経った頃、「シバ先輩は人が苦手なだけで、本当は優しい人ですよ」とシュリが言った言葉が心に残っていた。


 シュリが嫌いなわけではなかったが、シバには好きという気持ちがよくわからなかった。


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