以前のような青さを取り戻すための物語


 懐から通信端末を取り出すも、電波状況が芳しくない。地下ではよくある現象なので、わたしは地上へ戻ろうと男に背を向けた。


「どこに行くんすか!?」


 男が悲痛な叫びで引き止めてくる。足を止めて、耳を後ろに向けてから聞こえるように「ちょっとした連絡を入れてくる」と諭してやった。


「戻ってくるんすか?」


 わたしは先ほどの男の話から、なるほどこの男はのように「わたしが男を見捨てて二度とこの場所へと戻ってこないのではないかと危惧しているのだ」と推理する。太古の〝平成〟の時代のヒトの文明しか知らない男に、この通信端末の仕様をどのように説明すべきか。うまい比喩が思い浮かばない。


「助けてほしいんすよ。ジョン。ここから出して!」


 振り返って、男の顔をライトで照らす。眩しさにしかめっ面になった男は、その表情もまたの子孫たるわたしが知りうる範囲のヒトの中でも美形の分類なのだと再認識した。我々はネコの頭で、ネコの耳があり、ネコの手であり、また、二本足で歩行している。ヒトの肌の色や瞳の色が地域によって異なっていたように我々の毛色や瞳の色も違うが、顔の造形に関してはヒトほど多種多様ではない。


「オレは読み書きそろばんができるし、料理もチョットだけでき――ネギ類とイカは抜くんで」

「ふむ?」


 自らを売り込み始めた。しかし末端であるわたしがこの男の存在をありのままに政府へと伝えようものなら、政府はこの男の身柄を拘束するに違いない。男の所在地がこの地下の研究施設から政府の機関へと変更になるだけだ。

 ところで、イカは海洋生物だが、料理には使わない……あの軟体生物を調理して口に運ぶなど、ゾッとする。ネギ類とはどのような食べ物だろうか。料理というからには食材の一種だとは想像できる。


「この通り日本語は流暢だし、知識は古いけどヒトが生きていた時代の話ができる。白亜紀の話を恐竜から直接聞ける機会すよ」

「ほお……」

方舟アークの場所もなんとなく予想つくんすよね」

「ほう?」


 聞き捨てならない。わたしの尻尾がピンと立った。


「プロジェクトノアについて、ついさっき知ったような顔をしていたが?」


 わたしが意地の悪い質問をすれば、男は「ヒトの格言に『木を隠すなら森の中』っていうのがあるんすけど」とこめかみをトントンと人差し指で叩いてみせる。


「滅亡しそうになってても残したかったものなら、それっぽい場所にと思うんすよね」


 確かに、方舟アークは地表に残された廃墟からは発見されていない。その廃墟の付近に埋められている。という文字を使用するのに蓋のついた箱だ。


「よくわかったな。わたしは方舟アークが掘り起こされるものだとは言っていないのに」

「んまあ、国同士で資源の奪い合いになって戦争が起こってんのに美術館やら博物館やらに保管してたら、建物ごとお陀仏すもんね」


 我々には廃墟の見分けがつかない。一様に破壊されてしまい、時の流れで老朽化している。外からではヒトにとって重要な施設だったのかがわからない。困ったものだ。頑丈な看板でも作ってくれたらよかったのに。わたしの今回の業務のひとつに『廃墟の内部の探索』もあるのだが……単騎足を踏み入れて、瓦礫の下敷きにでもなったら!

 わたしはもとより勇敢な性格ではない。この場所に潜り込み、男と出会えたのには不思議なのようなものを感じる。運命によって引き寄せられたような。


「ジョンって探検家なんすか? 方舟アーク探しをしていたらオレを見つけた、みたいな」

「わたしには彼らのような無謀さはない」

「にしては重装備じゃないすか?」


 服装や装備品は、ヒトの生み出したものをベースにして我々に使いやすいように改良されたものだ。

 わたしは今回の業務に合わせて、男が探検家と勘違いしてしまうような格好をしている。映画『インディジョーンズ』の登場人物と近い。政府から支給されたものだから、似合わなくとも着用しなければならない。


「わたしは政府の下で働いていて、今はトウキョーエリアの警備をしている」

「役人なんすね。そんで、そのってのにオレを引き渡すんだ」


 男はわたしの通信端末を指差して「お仲間を呼ぼうとしてたんすよね? あんたらもヒトみたいにオレを解剖したり拷問したりするんすか?」嘲るように笑い飛ばした。


「違う」


 我々はヒトの失敗を繰り返したりはしない。

 再びこの地球を青く美しい星として復活させ、今度こそは悠久の平和を実現する。


「お前はわたしの家で匿う。方舟アークを発見し、我々で管理するために」


 ヒトとしての知識と記憶に不死の肉体。

 この男をわたしは社会的地位と巨万の富を手に入れ――この二つはわたしの本懐ではないが、この世界でやっていくには必要だ。下っ端のわたしが吠えたところで、弱者の嘆きでしかない。

 わたしはレーザーガンを構え、男の下半身が埋まっているであろう部分に照射した。


「イッテェ!」


 その肉体は分断されても、上半身からヘソから下がニョキニョキと生えてくる。赤い血液が撒き散らされようが、この男にとっては「痛覚はあるんだって言ったじゃないすか! ヒトの心はないんか! いやヒトじゃなかった……ヒトも大概なんだった……」と抗議する程度だ。


「さあ、行こうか」


 床に這いつくばる男の腕を引っ張り上げた。

 よろめきながら立ち上がった男は「なんか、服ないすか服」と訴えてくる。


「わたしの着替えはあるが、小さかろう」

「なら、タオル巻くぐらいはしたいんすけど……」

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