第44話:消失

「では、向かいましょう」

 コイトマがマルガリータに声をかけたものの、やはり反応はなかった。


 数分の議論の末、私とコイトマは、ひとまずマルガリータを女王のもとに連れていくことで合意していた。自分たちだけで判断するには問題が重要すぎる、というのがその理由だけれど、それが本心である自信はない。決断の責任を回避したかっただけではないか、という疑念もある。


「失礼いたします」

 コイトマは再び王女に声をかけ、わきを抱えるようにしてベッドから立ち上がらせた。言葉を発さず表情も変えないマルガリータはしかし、一応ゆるゆると足を運んでいる。


 私は寝室のドアと開けて二人を通し、ドアを閉めた後で、空いている王女の左わきを抱えた。そのまま両脇を抱える形で外に向かう。


「あちらです」

 廊下に出たところで、コイトマが前方を示した。ホールを囲う回廊のちょうど向かい側、巨大なシャンデリアの奥に、扉が見える。おそらく執務室のような場所なのだろう。


 スーツを着ているので、マルガリータの重みは気にならなかったものの、王女の背に合わせて体をかがめているため、腰のあたりに痛みを感じ始めていた。長い回廊の踏破とうはに自分の体が耐えられるか不安がよぎり、なるべく腰に意識が向かないよう、体勢の調整を試みる。


 が、突然、肩に感じていた重みが消えた。

 まるで重りを取り除いた天秤のように、体がバランスを失う。

 何が起きた?

 と、そんな疑問がわくのと同時に、叫び声が耳をつんざく。


 そして、腕に衝撃。視界が傾いた。

 頬に柔らかな絨毯じゅうたんの繊維を感じ、遅れて、自分が倒れたことを認識。

 右手に視線を送ると、コイトマも横倒しになっている。

 大丈夫ですか、という問いかけに、彼女はうなずきを返した。


 私は床を強く押して立ち上がり、ホールに面した胸ほどの高さの壁まで走った。壁から下をのぞくと、踊り場からホールに伸びた階段を駆け下りる、マルガリータの姿を認めた。ホールに降りた彼女はすぐにきびすを返し、手前へ足を進める。その姿は階段の下に消え、直後、扉の閉まる音がした。


「追います」

 コイトマに一声かけ、左手の階段に走る。


 踊り場に向け、右に弧を描くように曲がる階段を駆け下りたところで、スーツを着ていることを思い出す。ほとんど反射的に、ホールへ飛んでいた。

 大理石めいた床に着地し、体制を整えた後で、右手に旋回する。階段の下に扉を認め、そちらへ向かう。


 立派な木製の扉を押し開け、急いで部屋の中を確認。

 しかし、そこにあるはずだったマルガリータの姿は、どこにもなかった。

 思わず「えっ」と声が漏れる。


 混乱する脳を落ち着けようと、深く息を吸い、吐いた。それからもう一度、今度は丁寧に部屋の中を見渡してみる。


 左右に細長く伸びた部屋には、家具などの構造物は見当たらない。奥の壁は、上部と下部に細長いガラス張りの部分があり、壁の部分には何点か絵画が飾られている。ほとんどは風景画だ。右手の壁も、ガラス張りの部分が無いこと以外は同様。一方、部屋の左手の壁には、扉が設けられている。位置的には、おそらく食堂へつながっているはずだ。


 私は女王たちが日々歩いているだろう紅色の絨毯を踏みしめ、その扉へ向かう。部屋の中央付近を左右に横断している絨毯は、ホールに面した二つの入り口へも、足を延ばしていた。


 扉の前に立ち、左右のノブをひねってみたものの、重厚な木製のそれはびくともしなかった。私が来る前に、マルガリータが素早く食堂へ抜け、鍵を閉めたのだろうか。こちらが王家のプライベートスペースである都合上、普通は、鍵もこちらからかけるような仕組みになっていると思うのだけれど。


 疑問が頭の中をさまよい、それにつられて体も部屋の中をさまよう。足の運びが、頭の中の迷走をそのまま表していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る