13段目 四面楚歌

 無機質なアルキュミアの声とともに、パネルに光が灯った。

 汎宇宙共用語のテキストがずらりと映し出される。


「――『大銀河船出歴スペースイェラ五百七十七年』――六年前!? ずいぶん最近だな」


 建物の様子からしてもう少し前の話かと思っていた。

 道理で崩れもせずに残っているわけだ。


 ロウの驚きを他所に、イェルノは黙ってテキストを目で追っている。

 アルキュミアも同じくパネルに目を向けてはいるが、そもそもホログラムが文字を読む必要がない。ただ、ロウに合わせているだけだ。


 ロウはため息をつくと、再びテキストに視線を戻した。


「『……ようやくテラフォーミング終了の目途が見えてきた。それなのに、このままいけば開発の成果を破棄して逃亡せざるを得ない。開発チームは』……ふーん、やっぱここは居住用に開発された惑星なのか」


 独り言を挟みつつ、なんとか大量の文章を読み下していく。

 隣のイェルノは既にはるか先を読んでいる様子だ。


 元来、ロウの頭は黙って文章を読むのには向いていない。

 そこでもまた母親ゴッデスを知る者には、血を引いていないのかなどと馬鹿にされる訳だが。

 ……放っておいて欲しい。天才の子どもは天才とは限らない。


「『大銀河船出歴スペースイェラ五百七十八年、惑星表面のカリオペー基地を破棄。残存した全人類は惑星外射出装置マスドライバーの設置されているメルポメネー基地まで前線を下げた。ベリャーエフ・インクから撤退の指示はまだ来ないが……この状況で上の判断を待つ余裕はない。カリオペー基地は既に奴らの巣だ。下手に踏み込めば、奴らの手下――かつては我等の相棒であった者達――に襲われる。囚われた人々は諦めざるを得ないだろう。せめて、これ以上の被害を抑えるために、惑星外射出装置だけは守らねば』……待て、これは本当にこの星――惑星テルクシピアのことか? ここに惑星外射出装置マスドライバーがあるって言ってんのか?」


 ロウが読み終わった頃合いを見計らって、アルキュミアがテキストをスクロールした。

 アルキュミアもイェルノも無言でただパネルを眺めている。

 そのことに気付いてテキストから目を逸らそうとした瞬間、隣から小さな舌打ちが聞こえた。


「……アマルテアはなんのつもりでこんなものを……」


 イェルノらしくない下卑た仕草にはっとして、その碧眼の示す先に視線を戻す。

 テキストの一文が煌々と光っていた。


「『奴らには、我等の友である人工知能を操る力がある。我等を裏切った人工知能等は、みな口を揃えて言った。我等ヒューマンには聞こえない歌が彼等には聞こえるのだ、と。どうやら奴らの歌には、電脳を狂わせるなにかが』――ああ!? どういうことだ、これは!」


 がん、とシートを蹴って立ち上がったロウに――両側から、冷えた人工知能達の視線が向けられた。


 アルキュミアの金色の瞳。イェルノの両の碧眼。

 いつだってロウの味方だと……どんなに反抗的でも最後には大人しく命令を聞く存在だと思っていた二人が、じっとロウを見つめている。

 どちらも、人工知能によってコントロールされている宇宙船のメインコンピュータとセクサロイドだ。

 つまりこの手記に書かれている『奴ら』に、既に操られている可能性だって――


 沈黙を続ける二つの存在に、ロウは本能的な恐怖を覚えた。

 悲鳴をあげることもできず、ジャケットの裏からイェルノの電子銃を取り出す。

 銃口をどこへ向けるべきか迷って、迷った自分にますます混乱した。


「……ロウ」


 眉を寄せたイェルノが口を開いた。彼の背後で、最後のテキストがちらりと光る。


『奴らは単体での生殖をしない――出来ない。この星にもとより住まう女王は、いつだって宇宙からの飛来物を待っていたのだ。今までは、それは偶然に落ちてくる隕石、そこに含まれるバクテリアや昆虫のような原始生物であったに違いない。しかし我等がこの地に降り立った今、奴らの食指は我等に伸びている――』


 『奴ら』とはなにか、ロウにはわかってしまった。

 昆虫の一種によく似た紅い翅。空中を舞い遊ぶ白い手足。

 何故かアルキュミアとイェルノが、過保護な程に庇いたがったこの星で動く唯一のイキモノ――!


 思い当たった途端に、自分がアルキュミアの腹の中にいることが、とてつもなく怖くなった。

 このままどこへ運ばれていくのか……もしかすると、ロウが降りたその場所に待つのは、紅い唇を妖艶に歪ませた成人の妖精なのではないか?


 アマルテアが『おかあさん』と呼んだそれが、あの建築用ロボットの向こうにいたのだとしたら?

 弾かれたようにロウはテキストへ――テキストの前方に立っているイェルノへ狙いを付け、それからはっと思いついて足元のアマルテアへ銃口を向けた。


「ロウ! それは――」

「黙れ、黙らないとあんたらの大事な妖精を撃ち殺すぞ! アルキュミア、着陸しろ!」

『……まだ、指示された距離に到達しておりませんが――』

「――うるせぇ! 今すぐだ、今すぐ着陸しろ!」

『かしこまりました』


 ぐんっ、と一瞬だけ上に引かれるような気持ちの悪さを感じたが、すぐに疑似重力が下への加速を打ち消した。

 一瞬の減速に、バランスを取り損ねたイェルノがふらつく。思わず手を貸しそうになって、それでもう自分自身でも何を考えているか分からなくなった。


『着陸します。安全の為、シートへの着席を――』

「――黙れ! このままだ、このまま降りろ」

『かしこまりました』


 銃口の先のアマルテアはまだ目を閉じている。

 じりじりと距離を詰めかけているイェルノの動きが不穏で、そちらに銃口を動かそうと手を上げる。


 その途端、床が小刻みに揺れ始めた。着陸が始まったようだ。

 衝撃の大部分は対振動減衰装置ショックアブソーバーが和らげてくれているようだが、がりがりと地面を削る感触は消えきれず、ロウの足先を震わせている。

 緊張と混乱と単純な振動で手先がぶれた瞬間――銃口を外れたイェルノが、ロウの方へ向けて突っ込んできた。


「――来るなあっ!」

「馬鹿、撃つな!」


 連射した電子銃から放たれた光が、イェルノの肩先を掠めてアルキュミアのコントロールパネルに当たる。


 途端に船内の灯りが落ち、周囲は暗闇に包まれた。

 衝撃とともに、着陸中のアルキュミアにかかっていた減速の圧力が戻ってきて、ロウはそのまま前方の床に転がった。先ほど以上の激しい振動で立ち上がることもままならない。


 視界の端に、無表情なアルキュミアのホログラムが、空中に薄れるように掻き消えたのが見えた。


「っクソ! ロウ、どこにいる!?」


 ロウと同じく、床に近い低い位置からイェルノが叫ぶ声が聞こえる。

 必死で這いずったロウの手が、偶然コントロールルームの扉の凹みにかかった。

 びりびりと震える扉に体重を預けたまま、手探りで脇にある手動開閉レバーを探す――あった!


 舌を噛まないように歯を食いしばり、力いっぱいにレバーを引いた。

 開いた扉に預けていた身体が、宙へ投げ出される。

 受け身も取れず床に激突した。


 宇宙船の中は全体に灯りが落ちてしまっている。

 もちろん、間もなく非常電源が作動するはずだ。ロウに許された時間は非常に短い。

 床に胸をぶつけた痛みで息が詰まっているが、何とか這いずってその場を離れた。


「ロウ!? お願いだから、返事をして!」


 背後ではイェルノの声が響いているが、答えるつもりはない。

 這ったまま通路を進みハッチに辿り着いた頃には、既にアルキュミアは無茶な着陸を終えて完全に停止していた。


 ハッチを開けて飛び降りたロウは、地表を削ったアルキュミアの跡に足を取られながら、とにかくアルキュミアから距離を取った。

 駆け出した地上は既に日が陰り始めている。長い影がロウの前方に横たわっている。まるで、落とし穴のように真っ暗な影が。


 まっすぐに駆け去りながら、ロウの胸はひどく軋んだ。

 そんなことは知っていた。人工知能は裏切る。彼らの主は書き換え可能、本当の心などどこにもない。

 ――あの時の、ように。

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