9段目 カサブランカ

「周囲には誰もいないみたいだな」

「いてたまるかよ」


 イェルノの言葉にロウはしかめっつらで答えた。

 視界を塞ぐ巨大な白い壁は、蔦に覆われ表面が荒れてはいるが建材は古めかしいものではない。たぶん数年~十数年というレベルではないだろうか。

 だが、周囲に広がる草原は、ロウ達以外の誰かが通った跡はない。崩れ落ちる程には古くはないが、草に埋もれてしまう程度には放置されている、というところか。


 ぐるりと周囲を見たが、特になにもない。

 後は中に入るしかないと肝を据えて、ロウは入り口の隙間をくぐった。


 くぐった先は思っていたよりも明るい。どうも外部の自然光が差し込んできた。もとよりそれを意図した構造なのか、劣化によるものかは分からないが。

 積み上がった埃と、何だか良く分からない機械屑スクラップが床に巻き散らばっている。手を伸ばして拾い上げれば、汎宇宙共用語による部品番号の刻印が入っていた。

 やはりこの建物は、かつてここをテラフォーミングしていた人類によって建てられたものらしい。


「ただの廃墟じゃなきゃいいけど」

「使える機材があれば僥倖だな」

「もしかしたら、ここから出て行く方法も見つかるかも知れないし」


 わかっているのかいないのか、イェルノと手を繋いでいるアマルテアがくすくす笑っている。

 どうも先ほどから小馬鹿にされているような気がして、反射的に声を尖らせて答える。


「なにがおかしい」

「ろう、おびえてる」

「怯えてねぇ」

「こわいの?」

「ふざけんな、怖くねぇっつってんだろが!」

「ロウ、止めろ。アマルテアは自分がなにを言っているのか分かってないよ。そもそういうものはアルキュミアが……」

「アルキュミアがなにをしたって?」


 問い詰めるようなロウの語調に少しだけ躊躇した後、イェルノは小さく首を振りながら答えた。


「アマルテアの言語学習を行っているのは、アルキュミアだから」

「意味が分かってねぇのは、そのせいだって?」

「いや、俺の名前を呼べるようにもなったし、ある程度は分かってるんだろうけど。俺に対してもアマルテアは怯えなくていいのよ、なんて時々言うよ。特にそういう状況じゃなくても、さ。意味を取り違えて覚えてるか、しっかりと覚えていない単語がいくつかあるんじゃないだろうか」


 自分に関する話だと言うのに聞いているのかいないのか、アマルテアはロウとイェルノを面白そうに眺めているだけだ。

 その様子を見れば、イェルノの言う通り自分の発言を理解していない、というのは確かにあり得る話に聞こえた。

 アマルテアは二人を交互に見つめた後、最終的にイェルノに向けて微笑みかけた。


「ねえ、いぇるのは、ろうのおかあさん、に、なる?」

「ならないよ。俺がロウの母親になることは――少なくとも生物学上は、出来ない」

「じゃあ、あまるてあを、おかあさんにして」


 イェルノはさして本気にした風でもなく苦笑して、アマルテアの髪を優しく梳いた。


「それは……もう少し先だな。あなたはまだ母親になるには小さ過ぎるし」


 指先に絡めた髪の端に口づけを落としてから、ロウの方に視線を戻す。


「ほらね。きっと『おかあさん』もなにかと間違っておぼえているんだと思うんだ。だからさ、あなたからアルキュミアに言っておいて。まだ幼いから間違うのは当たり前だろうけど、ちゃんと復習まで見てやってくれって」

「……あんたが自分で言えば良いだろうが」

「アルキュミアは俺に命令権を認めていない。俺の言葉は、基本的に彼女の意識において周辺環境音としか聞こえてないと思うよ」


 うっすらとした苦笑いの理由を、ロウはようやく明確に理解した。

 人工知能には人工知能の指揮権はない。

 アルキュミアのイェルノに関する認知は――ロウ以上に――機械独特の正確性をもってシビアなのだろう。

 本気で、疑うことすらなく積荷としてしか判断していない。


「今度、アルキュミアの言語学習の様子を自分で見てみるといいよ。アマルテアにはもっとじっくり教育してやらなきゃいけないはずだ。……まだ、こんなに小さいんだから」


 手を伸ばしてアマルテアの肩を抱く仕草は、未分化の癖にどこか男臭く見える。

 額に口付けるイェルノを、くすぐったそうに笑いながらアマルテアは上目遣いで見上げた。

 成長しきっていない二人のじゃれ合う姿は、まるで甘酸っぱい少年少女の恋愛を覗き見てるみたいだ。背徳に近く官能に遠い甘さ。

 イェルノ以外でも、未分化の存在とはこうも危ういものなのだろうか。くるくると形が入れ替わっていく。

 今朝まではあまりにも女で、母親で。ロウを年下の男の子のように扱って、優しく導く何かであったような気さえしたのに。

 今は、まるでアマルテアとお似合いの一対だ。だってほら、体格だって――


「――いや、待て」

「どうした?」

「ろう、おびえてる」

「うるせぇよ。……それどこじゃねぇぞ、イェルノ。こいつ明らかにでかくなってるだろ」

「身長? 一緒に暮らし出してから……大体50センチくらいは大きくなってるかな」


 イェルノはなんでもないことのように答えたが、ロウには看過できない。

 ぎょっと目を向いた。

 50センチ!? 数日で!?

 成長期の子どもだって、そんなに大きくなるには5年やそれくらいの時間が必要なのではないだろうか。


「おい、おかしいと思わないのか!」

「おかしいの? ごめん、俺にはその手の比較データはないから」

「常識だろうが!」

「俺は未成年に販売されることを想定されてないもの。要らない知識学習に時間をかける必要はない」


 答えに詰まった。

 さっきまでどこか神聖にすら見えた身体ボディが、途端に生々しい肉を帯びて商品と化す。

 所詮は人工物だ。

 ロウとは違う常識しか持たないのだ、と――ため息とともに深く刻みつけた。

 馬鹿みたいな憧れや幻想は、この状況で無駄にしかならない。


「ろう、いぇるの! こっち!」


 いつの間にかイェルノの腕から抜け出したアマルテアが、先を塞ぐ巨大な壁の前で立ち止まっている。


「アマルテア、どうした?」


 慌ててそちらへ向かうイェルノの背を、ロウもまた追った。

 イェルノの指先を掠めて、楽しそうに笑うアマルテアは身を翻す。その手のひらが壁に触れた瞬間、機械的な動作音とともに壁の一部が下にスライドした。

 明らかに人の入ることを想定した自動扉だ。


「扉が……まだ作動してる?」

「今、あいつわかってて開けたな。ここの構造知ってやがるってことか」

「さあ、どうかな。この惑星に住んでた期間は彼女の方が長いワケだから、知っていてもおかしくはないけど」

「……罠でもあるんじゃないだろうな」


 壁に這っていた蔦が、名残惜しげにカーテンのように垂れ下がる。それを両手でかき分け、アマルテアは悠々とくぐっていった。


「こっちよ」


 ためらいのないアマルテアの笑い声が、内側から反響して聞こえてくる。


「アマルテア、一人で先に行っちゃだめだよ」

「おい、ついてくつもりか」


 躊躇なく追おうとしたイェルノの腕を、ロウは引いた。

 碧い瞳が不思議そうに見返してくる。


「アマルテアが中に行ってしまったんだもの。連れ戻さなきゃ」

「放っておけよ。それより、アルキュミアを問いたださにゃならん。あいつはオレ達を外に出す前に、周辺環境について調査をしたはずだ。情報自体をあいつが一番持ってるはずなのに、この建物の詳細を報告しなかった。アマルテアの存在にしてもそうだし、何だってあいつ、主人マスタに隠し事してやがるんだ……?」


 ここは地球化開発テラフォーミング後に放棄された惑星だろうと、見当はついていた。

 それにしても、どんな人間が住んでいて、何故放棄されたのか、は重要な情報だ。

 手がかりになるかもしれない異常を見つけたはずなのに、何故その報告をよこさないのか。

 イライラと足を踏み鳴らすロウを、イェルノが呆れたように睨んだ。


「そんなの決まってる。あなたが、アルキュミアに報告しなくていい、って言ったからだろ」

「はあ? オレがいつ、そんなの言ったよ?」

「不時着したその日に。報告中のアルキュミアに対して――えっと、確か『もういい』って」


 ロウにそんな記憶はないが、そう言われれば確かに自分が言いそうな言葉ではある。……が、そんな軽口を本気に取られてはかなわない。


「……マジかよ」

「大体あなた、人の話を最後まで聞かないからね。二言目には『うるせぇ』『黙れ』。それで報告がないと叱られるなんて、俺がアルキュミアだったら食事の中に下剤でも混ぜてやるところだけど」

「地味な嫌がらせは止めろ」

「とにかく。俺はアマルテアを追うから。あなた、心配ならそこで待ってて」

「馬鹿、そんなワケいかねぇだろ」

「何故?」


 何故、と言われて言葉に詰まった。

 答えれば、ロウの中に今までなかった答えを出すことになりそうな気がして。


「あんたが行くなら、オレも行かにゃならんからだ」


 だから、明確な答えを出すことを避けた。

 答えにもなってない答えだが、イェルノは笑ってそれを受け入れている。


「そう? じゃあ、行こうか」


 笑顔が優しく感じられて、どこか息苦しくなる気がした。

 まるで何もかも見透かされてるみたいに。


 偶像と生身が何度も入れ替わる。

 人間の標準的な成長速度すら知らないのに、人の心の襞にすんなりと入ってくるのだけはお手の物。


 さすが高級品だ――嘲笑う言葉は口に出せないまま溶けて消えた。

 微笑むイェルノにその言葉をぶつける気にどうしてもなれなかった。


「未知の遺跡探険だ。わくわくするだろ?」


 わくわくだって?

 一丁前に好奇心なんて抱えやがって。なんてアンバランスな人工の生命。

 差し出された手は、壁と同じように白い。

 まるで大振りな百合の花びらのようだ。


 だから、その手を取ってしまうのは当然のことなのかもしれない。花に惹かれる虫のように。

 掴んだ手を引いて、イェルノは先に蔦をくぐって中へ入っていった。

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