3段目 惑星テルクシピア

『あなたのアルキュミアは、本惑星の大気組成を報告します。窒素78.1%、酸素21.0%、アルゴン1.0%……ほぼ基準組成と変わりません。人類にとって有毒な物質は感知されませんでした』


 アルキュミアの分析結果を耳にして、ロウは大きく安堵の息をついた。

 隣では、イェルノが天使のような微笑みをたたえて自分の方を見ている。


「よかった。ひとまず目前の死は避けられたってことだね」

「あんたはセクサロイドだ、有毒ガスの中でも死にゃしないだろう」

「バカなこと言わないで。俺のボディは繊細にできてるんだから、大気組成が違えば最悪機能停止するよ」

「それだって、また基準組成の空気内に戻してやれば、再起動できるんだろ」


 イェルノは黙って軽く眉を上げたが、それ以上の反論はなかった。

 ロウの言葉が正しいと認めたか、あるいは言い募っても無駄だと考えたか。

 たぶん後者だと知りつつも、認める気にはならない。ロウは、まだ時々ノイズの走るアルキュミアのホログラムに向き直った。


「周辺の安全はどうだ? ベリャーエフINC.の奴ら、オレたちを追って降りてきたりしないだろうな」

『大気圏外の様子は視認できませんが、外部センサーで探れる範囲に生物の反応はありません』

「……とりあえず、一息つけるってことか」


 再びシートに座りこもうとしたロウに、横からイェルノの声が飛ぶ。


「だけど、永久にこの星でぼんやり暮らすワケにはいかないでしょう。アルキュミア自身は自動修復に任せるとして、あなたと俺が消費する分の水や食料は足りてるの? 何日分くらい――あ、いや、待って。そもそも俺たち、この星からいつ外へ出ていけるの?」

「……アルキュミア、この惑星について、データはあるか?」


 ホログラムが、ぱちりと瞬きした。

 人間が考え込むよりもはるかに短時間で、アルキュミアは目的のデータに突き当たる。


『――船外カメラより、本惑星の地表状況を投影します』


 片手を振ったアルキュミアの正面に、球体の画像ホログラムが浮かび上がる。

 海に囲まれた大陸の一部がぐんと拡大され、その地表にぽつりと置かれているボロボロの宇宙船の姿が映った。


「ひでぇ状態だな」

『本データは全宇宙間通信回線SWW切断前に船内に保管されていたデータおよび、不時着後、安全確認のため調査機器によって周辺調査した結果を総合したものです』


 森林。湖水。

 海洋。河川。

 草原。

 切り替わる映像は、生物が生存するのに十分な資源があることを示している。


『重力はおよそ1G、自転周期はほぼ二十四時間。直前の航行図と観測結果を照合するに、推定される惑星名はテルクシピア。大気は呼吸可能、存在するウイルスや細菌は既知のもの、既に多種の抗体のある本船アルキュミア搭乗員に重大な影響を及ぼす可能性は低いでしょう』

「大気組成と言い、陸上の様子と言い、ずいぶん母星ちきゅうに近いね。人の手が入っているとしか思えないけど」

「無人かと思ってたが、つまりここは、テラフォーミング開発された惑星ってことか? なら、街まで行けばこの惑星の住民に助けを求められるな」


 そう言えば、宇宙空間から落ちて来たときも、人工建造物が見えた気がする。

 白い建物が、確か三か所。あの距離で目視できるのだから、かなり大きなものだ。もしかすると、宇宙港かもしれない。そこまで辿り着けば、金はかかるだろうが、アルキュミアを宇宙へ戻す算段もつくはずだ。

 身を乗り出したロウに対し、アルキュミアは冷ややかに答えた。


『データによると、人類の在住は認められません。惑星テルクシピアは開発途中に破棄された、と記録されています』

「開発途中で破棄ぃ? ここまで切り拓かれててか?」


 重力や自転周期まで地球に合わせて処理フォーミングされているなら、もう後は地表の開拓くらいしかすることはない。すぐにでも移住を開始して、後は住民に任せてもいいほどだ。

 なにかよほどのことがあったのだろうが、アルキュミアの回答は端的だった。


『遺棄の理由については、現在の本船アルキュミア情報データベースにありません』


 ロウは眉をしかめた。全宇宙間通信回線SWWに接続できない以上、新たな情報を入手することは不可能である。


「ああ、クソ。もういい。周辺マップをオレの携帯端末に送ったら、省力のためにホログラムオフ、スリープモードに入れ」

『イエス、マイマスタ。メインコンピュータ:あなたのアルキュミアは、最後に忠告しますが』

「なんだよ」

『あまり遠くへ行かないように。迷子になりますので』


 ぷっとイェルノが吹き出す。

 ロウは、恥ずかしさに任せ、コントロールパネルを拳で叩いた。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 ロウは携帯端末を腕に巻くと、タラップを上り船外ハッチへと向かった。

 真空状態を保つため強固に閉められたハッチレバーに、手をかける。


「外に出るつもり?」


 追って来たイェルノが、下から声をかけてくる。


「迷子になるって、アルキュミアも言ってたじゃない」

「うるせぇ。オレは子どもじゃない」

「まだ十代でしょ、子どもだと思うけど」

「アルキュミアが直ったところで、無人惑星から外に出られない助けも呼べないじゃどうしようもないだろ。開発途中で遺棄されたなら、開発してる間の物資は残ってるかもしれん。なにか、ここから外に出るための手段も見つかるかもだろ」


 力いっぱいにレバーを回すと、ぷしゅ、と気の抜けた音と共にハッチが開いた。

 途端、真上から差し込む日差しがロウの額を照らす。熱された草いきれが外から流れ込んできた。


 ハッチの縁から腕力で身体を引き上げる。両足を船から引き出し上部外壁から周囲を見渡すと、先ほどホログラムで確認したように、辺りを背の高い木々に囲まれた熱帯林だった。青々と茂る葉に、色とりどりの花々が散っている。

 空から滑空して不時着したアルキュミアのせいで、船体の後ろには森を二つに割る直線の空が見えている。恒星の光はそこから差し込んできているものだ。

 恒星はほぼ中天。どうやらこの星は今、真昼らしい。


 膝の横にあるハッチの穴から、イェルノが顔を出す。眼を細めて辺りを見回す瞳は、物珍しさに輝いていた。


「なんだよ、あんた『外』は初めてか? ベリャーエフINC.の秘密工場から出たことはなかったのか」

「なくはない……けど、こういう場所は初めてだな」

「はっ、奇遇だな。オレもだよ」


 ついでに言えば、二ヶ月前に宇宙に出たばかりのアルキュミアにとっても、熱帯林の真ん中は初めての場所だろう。

 つまり、初めてばかりのチームという訳だ。まったく嬉しくない話だが。

 ロウは肩をすくめると、イェルノが外へ出るのに手を貸した。


「ありがと。それで、目的地はあるの?」

「落ちてくる間に、建築物らしきものが見えてた。まずはそこを探ろうと思う」

「そんなものあったっけ。俺はシートにしがみつくのに精いっぱいだったから」


 イェルノはスクリーンを見ていなかったのだろうか。

 ロウは答えを聞かず、アルキュミアの上から滑り降りた。

 何度か跳ねて、足底の間隔を確かめる。


「……なるほど。アルキュミアの調べ通り1G付近だな」


 ふと地面に影が落ちた。

 見上げれば、ロウと同じく飛び降りようとして、ぷるぷると震えているイェルノの姿がある。


「バカ。そこに梯子ラダーがあるから、それで降りて来い」


 丁寧に注意したのは優しさのためではない。

 アルキュミアから、ロウの持つ携帯端末向けに、周辺マップに加えて内密の報告が入っていたからだ。

 用途の限られたセクサロイドであるイェルノは、物理的な強度が高くない。目を離すな、との忠告だ。

 この高さを飛び降りて破損などすれば、この無人星で頼りにできる人手がまた一人分減ることになる。


 梯子を降りてくるイェルノを最後まで待たず、ロウは森の奥へと足を進めた。

 惑星テルクシピア――かつて大開拓時代に、他星系移住の流行に乗ってテラフォーミングされた多くの惑星の一つだろう。

 莫大な金をかけて移住開発に成功したにも拘わらず、様々な理由から打ち棄てられた惑星は、確かに他にもある。交通の便や住民の自然減など穏当な理由もあることはあるが、最も多いのは――開発後に判明した新種の脅威である。

 たとえば、新種の風土病。開発を中断せざるを得ないような大型の磁気嵐。あるいは、未知の原生生物――


「ねえロウ、待ってよ。あなたの足、速すぎる」


 背後からロウを呼ぶ声がした。

 歩調を緩めると、小走りに駆け寄ってきたイェルノが、横から腕を搦めてくる。さして歩いた訳でもないのに、もう息が上がっているようだ。


「あんた、本当に体力ないな。そんなので、その……ベッドで役に立つのか?」

「悪かったな。放っといてよ、あなたのベッドで役立つ予定はないんでしょ」


 むっとした様子のイェルノを、ロウは乱暴に振りほどく。


「なんだよ、じゃあ勝手にしろ」

「短気だな」

「あんたに言われたくない」


 掴んでは振り払われる腕に、イェルノは猫のようにじゃれついている。

 それを横目に歩き続けるうち、生い茂る木々に切れ目が入った。徐々に、その切れ目の先に、小さな四角形の白い建物が見えてくる。

 目的の場所が目視できたことで、少しばかりロウの心にも余裕が生まれた。


 ふと横を見れば、イェルノの足が止まり、脇の木々の奥へ目を向けたまま動きを止めている。

 気付いたロウが視線を追うが、凝視に値するものは見付けられない。


「おい、どうしたよ。こんな寂れた惑星で何か欲しいものでもあるのか? バッグか、靴か、宝石か――」

「――しっ。ふざけてないで。あなたには聞こえないの?」


 耳をすませる。

 風の音。木々が揺れ、葉の擦れる音。

 そして、それに混じって聞こえるのは――


「……ア……ン……カアサ……」


 辿々しく誰かを呼ぶような、泣き声だ。


「――こっちだ」


 思わず固まったロウの腕を引いて、イェルノが歩きだした。

 呆気にとられつつ、彼に従って歩く内に、声ははっきりと聞こえ始める。


「オカアサン、オカアサン……」


 近づくとともに、母親を呼ぶ子どもの声だと頭が理解した。

 哀愁を帯びた声の調子に胸を打たれたか、イェルノの歩みが早くなっている気がする。


 灌木の繁みを越えた先に、声の主はいた。

 ちょこんと草の上に座り込んだ、幼い少女――のように見える生き物だ。


「オカアサン……?」


 繁みを揺らした音のせいだろう。

 紅い瞳が、こちらをまっすぐに見上げてくる。

 立ち上がれば、背丈はロウの腰くらいになるか。燃えるような紅の髪の後ろ、透けるはねを背中に負っている。


 全体で言えば、幼い人間の子どもによく似たそれ、は――ロウが小さい頃に読んだ、お伽話の妖精と同じ姿をしていた。

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