第45話

 電話を掛けてから3コール目で雅治が出る。


『どうした? お前から連絡なんて珍しい』


 後ろの方から色んな人の声や電子音などが聞こえる。


「……今、忙しいか?」


『いや、今から局に戻るところだ。それよりもどうした?』


「あ、うん。大したことじゃないんだけど、さ……」


 ソラはいつもとは違う父親の話し方に少しだけ戸惑う。以前、まともに話をしたのはいつだったか。


「今夜7時くらいに病院の屋上を貸してほしいんだ。高い場所なら空き部屋でもいい」


『……そうだな。息子の頼みだ。だが屋上は厳しいだろう。空き部屋なら借りることが可能だろう。探してみよう』


「ありがとう……父さん」


 直接はまだ言えない。まだ、あの時のことをソラ自身消化しきれていない。けれど、彼は雅治をずっと許したかったのだと今になって思うのだ。


『――また連絡する』


 ピッと通話が切れる。同時にソラに掛かっていた謎の緊張も緩んだ。大きな溜め息が部屋に満たされる。手が震えていた。


「はあ……」


 大人になったと思っていたが、案外、そうでもなかったらしい。


「ソラ?」


「ソラちん大丈夫?」


 二人が作業を止めて、ソラを窺う。心配そうな顔をしていた。


「……大丈夫。時間が無い。急ぐよ」


 ――大丈夫だ。俺はひとりじゃない。


 ソラは両頬を自分で叩き気合いを入れた。


 午後6時半。残り30分で、の時間だ。


「終わったー‼」


「こっちも終わった!」


 カイとリクがスクリーンとなるものを同時に完成させた。スクリーンというには遠く及ばないけれど、それでもこの状況は打開できるはずだ。

 丁度いいタイミングで携帯が鳴る。相手は雅治だった。


「もしもし」


『ソラ、まだ大丈夫か?』


「まだ大丈夫。今からそっちに向かうよ」


『分かった。母さん家から来るとして、自転車で約30分というところか』


「ああ」


『……待ってるからな』


「…………どうして、そんなに協力してくれるんだよ……?」


 その一手はソラの胸中にも刺さった。そのむず痒い感覚はなんなのかは分からない。ただ純粋に疑問が口から洩れた。

 雅治は一呼吸置いて呟いた。


『――大切な妻の、大切な息子だからな』


 そこで会話が切れる。恥ずかしいからなのか速攻通話を切られたようだった。たとえその言葉が雅治の吐いた優しい嘘だったとしても、今のソラにとっては少しだけ救われる『嘘』だった。

 病院へは自転車で30分で行くことが出来る。新しく買い替えた自転車のカゴにプロジェクターを入れ、後ろにスクリーンを乗せる。持ち運びやすいようにカイたちが気を利かせて折り畳み式にしてくれたおかげでスムーズに走ることができた。家を出て30分後、予定通りに病院に着くと「ソラ!」と病院の入り口で雅治が待っていた。


 ――あ。


 今日、もしかしたら本当に、初めて雅治の顔を真正面からちゃんと見たかもしれないとソラは一瞬ドキリとした。


「どうした?」


「……あ、いや。なんでもない。それで」


「4階の3号室が空いている。プロジェクターの接続も可能だろう。使ってくれて構わない」


「……」


「どうした?」


 父親というものを、今まで理解してこなかった人生だったからだろうか。雅治の行動が全て自分の為に動いていることに不思議でたまらない。いや、今までもこうして影ながら支えてきてくれていたのかもしれない。母親のことがあってからずっと、距離を置いてきた。まともに雅治のことを見ていなかったが、自分のやってきたことを見守ってくれていたのかもしれない。


「……どうして今になってこんなこと……」


 ソラは聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟いた。雅治の耳には聞こえなかったようで、心配そうな顔を向けていた。


「大丈夫か、ソラ」


「あ、……ああ。なんでもない」


「ソラちん! 時間が」


 カイが肩を叩く。


「ごめん、急ごう。リクはプロジェクターの準備を。俺とカイはスクリーンの準備を。作戦を開始するぞ」


「分かった」


「うん、了解っ!」


 4階の3号室。3階の3号室はナツの病室だった。


 ――もしこれが父さんの計算であれば……。


「……よくもまあ、仕組んだなあ」


 まったくもって頭が上がらないとはこのことを指すのだろう。

 もしも自分が同じ立場にあったなら、きっと雅治と同じことをしたことだろう。血のつながりとはこれほど厄介だったろうか。


 ――これじゃあ、和解しなくてはならなくなるじゃないか……。


 長年の“心のもや”が解かれた感覚になる。


「…………父さん」


「ん?」


、一緒に飲みに行きたいな」


「……あ、ああ。そうだな」


 少し訳が分からないといった表情ではあったがあまり詮索しないようにと思ったのか、雅治は静かに頷いた。

 10年後の父親との約束をさせてくれたのは、ナツのおかげだ。だから、なんとしてでもソラはナツにこの動画を届けたいと強く思った。


 リクはその頃、ちょうど4階に辿り着いていた。周りは静かで――というか静かすぎる――、本当に人が入院しているのか? と不安になりつつ少しだけ不気味に思った。


「……3号室。3号室。ここか」


 3号室を見つけドアを開ける。恐る恐る入室し、天井にあるプロジェクターの接続部分を確認する。そこへ端子などをつなげる。


 ――これをナツくんに見せたら。


 見せてしまったら。

 元の世界へ戻るのだろうか?

 それは嬉しいことであるはずなのに、待ち望んでいたことのはずなのに、どこか寂しいと思う。


「……そう思うのは、あの時、ナツくんを救えなかったからだな」


 呟いた声が心の空いた穴にすっぽりと、はまった気がした。

 不意にスマートフォンが鳴る。ロック画面にはソラの番号が表示されていた。


「もしもし」


『お、もう部屋には着いたっぽいな』


「ああ。今端子をつなげ終わった」


『そっか。こっちも準備ができた。そこから見えるか?』


 ソラの言われた通り窓の外を確認すると、先程まで作成していたプロジェクター用のスクリーンをカイが支えていた。そこにソラもいる。


「見えるよ。……いよいよだな」


『……なんだかんだ言って、長いようで短い3か月だったな』


「そうだな。あと少しだ」


『…………ありがとうな、リク』


「……こちらこそ」


 さあ、これで終わろう。

 これがたとえ長い長い夢だったとしても、彼らを救えるのなら……。

 リクは「ふっ……」と笑みを零し、プロジェクターのスイッチを押した。


「……。カイ、もうすぐリクがスイッチを入れるからこっちも準備しよう」


「うん。……ねえソラちん、ナツくんは気付いてくれるかな」


 カイは珍しく自信がなさそうだった。

 今日は“あの日”とは別の10年前になる。緊張しているのだろう。


「気付くかな、じゃなくて、気付かせなきゃ意味ないんだよ」


「そっか。そうだよね! ソラちんの動画だもの。絶対にナツくん気付いてくれるよ!」


 未だかつてカイが頼もしく見えたことはない。思わずソラは吹いてしまった。


「ああ、ありがとう。――さあ、そろそろだ。始めようか」


 パソコンの電源を入れ、作成した動画を起動させる。瞬間、プロジェクターからスクリーンに動画が映し出された。

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