第35話

 約束の日となり、ソラは時間までどうしようかと悩んでいた。集合予定の1時間も前に着いてしまった。なんだか胸がざわついていつもよりも早く行動してしまっている。

 山代大花火さいはこの山代町で一番大きな花火祭りだ。山代神社にまつられている神様へ豊作を願う為の祭りでもある。カイの実家は神様への余興として舞を舞う『踊り子』の一族であり、毎年『豊作の舞』を舞っている。

 22時からおよそ2時間掛けて約5万発もの花火が打ち上がる。それがこの祭りの醍醐味でもあった。

 現在19時。何をして時間を潰そうか。屋台は既に始まっていた。


「……ラムネでも買うかな」


 近くの屋台でラムネが100円で売られている。ラムネを買うことも、この祭りに来るのも久し振りだ。いつ以来だっただろうと記憶を探る。


「……あー。母さんが死んだ年以来か」


 もう胸は痛むことはないけれど、でもなんだか心が空しく感じる。


「そういえばあの時のお兄さん、今も元気かな……」


「ソラってお兄さんいたっけ?」


「うおっ! びっくりしたー……。なんだ、カイか」


「よーっす。何してんの、こんなとこで。集合時間まで1時間あるよ?」


「早く来たもんだからどう時間を潰そうかと。ラムネを買いに……てか、お前こそこんなとこにいていいのか? もうすぐだろ出番」


 カイは既に舞の為の衣装を身に纏っていた。その姿はさながら巫女のようだ。カイは女家系に生まれている所為かおかげか、可愛い顔をしている為、カイのこの姿は女性にしか見えない。


「んー。あと30分あるし抜けてきた!」


「いいのか? お姉さんたち今頃お前のこと探してるんじゃないの?」


「まあ……いいんじゃない?」


 ――いいのか。


「それよりもさラムネ、ぼくの分も買って!」


「は?」


「買って! 買ってくれたら頑張るから!」


 その目は真剣なもののように見えた。ソラはカイのこういう“おねだり”に昔から弱かった。


「……ま、やる時はやるしな。1本だけだぞ」


「! ありがとう!」


 カイはパァッと一瞬で笑顔になるとなんの嫌がらせなのかニヤリと表情を変え、ソラの右頬にキスをした。


「――⁉」


「ごちそうさま、ソ・ラ」


「……こん、のっ、ふざけんなカイー‼」


 舌をべえ、としてカイはそのまま戻って行った。ソラは買ったラムネを落としそうになる。怒りなのか恥ずかしいのか分からない。とにかく大勢の前でキスをされたことに対して感情が揺らいでいた。……いやいや、新婚なんだ。揺らいでなんかいない。


「……ソラ、彼女、いたの?」


 その声が聞こえた瞬間、ソラは人生が終わったと思った。見られたくないやつらに見られてしまったのだから。


「ご、ごめんソラ。まさかあれがカイくんだなんて思わなくて」


「大丈夫。初めは誰でもそう思うよ。ねぇ、ソラ」


「頼むから今はあれについては触れないでくれ……」


 魚波空、27歳。彼女いない歴=年齢だった頃の10年前、嫌がらせのキスをリクだけでなくナツにまで見られたことは一生黒歴史として後世まで語り継がれることだろう。


 ――死ぬ。死ねる……!


「なんか、凄く今にも死にそうな顔してるんだけど」


「大丈夫だよナツくん。ほっぺにキスされたのが堪えてるだけだから」


「そんなにハッキリ言わんでくれ」


「カイくん、可愛かったね。何かの催しものだったりするの?」


「ああ。『豊作の舞』を舞うんだ。……もうそろそろ始まるころだな」


「そうだね。どうする? カイのこと見に行く?」


「……ナツが決めればいい。今日はナツが楽しむ日だから」


「――! 行きたい!」


 ナツが何かを自分から口にするなんて初めてなんじゃないのか? とソラは目を見開いた。少し嬉しくなる。


「分かった。屋台も見がてら、神台しんだいの方に向かうかー」


「神台?」


「カイの家はね、代々この神社の守り神である神様に来年の豊作祈願をする踊りを舞うんだ。それを行うのが神社の前にある舞台の神台」


「へぇー」


「いつもと違うカイが見られて面白いと思うぞ」


「楽しみだな~。こういうの初めてだから、わくわくするよ」


「……」


「? 僕、何か変なこと言ったかな?」


 ――「ああ、いや。本当に楽しんでるなと思って」なんて、とてもではないけれどソラは言えなかった。


「いや?」


 そうこうしているうちにソラたちは神台の下に着いた。既に周りには観客が多くいた。


「あ、そろそろ始まりそうだよ、ナツくん」


 20時。神台の奥から鈴の音が鳴り始める。

 シャリン・シャリン。シャラン・シャラン。

 ソラは沙世子の言葉を不意に思い出す。この舞台はとても神聖なものであると。鈴の音が止まると、次に白いベールのようなものに顔を隠した巫女が3名舞台へ上がる。鈴を鳴らしていた女性2人が、後から入台してきた巫女のベールを1人ずつ取っていく。


「ねぇ、ソラ。カイくんはどの子?」


 ナツがこそりとソラに耳打ちをする。別に普通の声量で喋ってもいいとは思うのだが。ソラは目線を神台へ向ける。


「多分あれ。真ん中の奴がカイだよ」


 真ん中の人に指を指した時、同じタイミングでベールが挙がる。カイだった。化粧をしたカイは、両隣の姉たちに負けず劣らず綺麗だった。


『山~代のぉ~、とよもりに~、かしこみかしこみもうす……』


「何……このうたみたいなの」


みことのり。余興として踊りの前に神様に聞いてもらう詩のことだよ」


「へえ。リクくんなんでも知ってるんだね。その道のマニアだったりするの?」


「いや。小学校の教科書に載ってたから」


「地域性があって面白いね」


『山~代の~、豊~守に~、かしこみかしこみもうす……』


 2回目の詔が終わると、真ん中にいたカイが神台の奥に行き、鈴を2つ持った。そして観覧しているナツたちに向かい、神台へと上がる。その目は閉じられていた。


「……カイくん」


 その声が聞こえたのか、閉じていた目を見開いた瞬間、周りの空気が一変しピリッと痛いものに変わる。シャラン‼ と、大きい鈴の音がしたかと思えば、カイが舞い始める。

 いつもと違うカイを見るのは久し振りだった。その舞はいつ見ても美しくて切ない。見ていて、何かが解かれていく感覚になる。


「……ソラ?」


「え?」


「大丈夫かい?」


 ナツの一言でやっと、自分が涙を流していることに気が付いた。理由は分からない。だが、ふと、本当に一瞬、母親のことを思い出したのが理由だったのかもしれない。最近の自分は涙もろくて嫌になる。ソラは濡れた頬をこするようにして拭った。


「ああ、ごめん。少し昔のこと思い出しただけだから」


「……奇遇だね。僕も昔のことを思い出してたよ。なんだか温かい気分になって心がじんわりした。……凄いね、『豊作の舞』。感動だよ」


 ナツはそう言うと笑顔で振り向いた。

 その笑顔は涼しげで吹っ切れた気持ちのいいものに見えた。

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