第24話

 3限目。一番お腹が空く時間である。

 今回はクラス内で分かれてのチーム戦で行うバスケだった。ソラとカイは赤のチーム、リクのみ白のチームとなった。ナツは退院したてということもあり過激な運動はしてはならない。というのもあの母親から禁止されているのだそうだ。彼女がモンスターペアレントであるものだから、この学校の教師共もナツの意向よりも母親の言うことに従わざるを得ないと見た。

 ナツは、とくに羨ましそうでもない、変な感情で試合を見ていた。かと思えば外に視線を逸らしてぼうっと眺めていたり。何も考えていない。無、の表情だった。

 3対3のミニゲームが始まる。リクは小学3年生から中学の3年間、ソラと同じバスケ部だったということもあり、ソラ以外の他のチームメイトは彼のスキルに追いつかない。

 カイを除いては。


「もーリっくん速い! 待ってよー!」


「これ、待つゲームじゃないし……! よし」


 リクはカイから抜かれることなく、1本シュートを決めた。見事なスリーポイントだった。シュートをあれだけ綺麗に決められてしまうとこちらとしてはやる気を失う。


「決められたー! 悔しいからもう1本!」


「いや、そういうゲームでもないだろ」


「ソラちん、次は絶対抜いてみせるよ!」


 にこっと満面の笑顔を見せられると不思議とこちらも頑張れる気がしてくるのは何故だろう。仕方がない。ソラはもう少しだけ付き合ってやろうと気合いを入れ直す。ゲームセットまで残り2分だった。


「よーし、来いリっくん!」


 この試合はほぼカイとリクのワンオンワンに持ち込まれた。リクがシュートを決めれば続いてカイが奪い返すように決める。その繰り返し。彼らの持久力にソラは感心した。ふと、ナツのことを確認する。ナツは暑いのか、白い肌から雫を数滴垂らしていた。


「あ、ソラちん危ない」


 ナツにばかり気を取られていた為、しまった、と思った瞬間にはもう手遅れだった。カイが送ったパスがソラの鼻頭に命中し、そのまま体育館の床に後頭部を打ちつけた。

 遠くでピピーと笛の音が聞こえた気がしたが、そのまま視界が暗くなり意識が落ちたのは言うまでもない。


「大丈夫かい?」


 ナツの、心配する顔が覗き込んでいた。カイとリクも近くにいた。ゆっくりと頭を上げるとたらっと何か生温いものが鼻から出ている感覚があった。……27歳にもなって鼻血を出すなんて。しかもあんなマンガみたいな展開で、とソラは溜息を吐いた。


「大丈夫……だけど、鼻がキモいな」


「だろうね」


「ごめんねソラちん。今、リっくんが氷もらってきてるから」


「試合は?」


「ソラが倒れちゃって、休憩に入ったよ」


「ま、そうだよな」


 後頭部が少し痛み、手を当てる。のようなものが出来ているようでそれにまた幻滅した。


「……ねえ、僕の顔に何かついてた?」


「え?」


 不意にナツがソラに話しかけた。予想外の言葉に脳の処理が遅れる。


「いや、だって。試合中何回か見られてるなと思って」


「いや……別に見てねえけど……」


「そう」


 本当はめちゃくちゃ見てた、なんて言ったら気持ち悪いだろ。昨日の今日でまた倒れられてもハラハラするしと、ソラは今日一日気が気でなかったのだ。ナツは聡いやつだ。きっとそんなこと分かっていることだろう。ソラは余計に恥ずかしくなった。


「まったく。よそ見なんてしてるからだ。……ほら、氷」


「さんきゅー」


 27歳、5年振りの鼻血を出す。ソラの中では二番目くらいに恥ずかしい出来事だ。受け取った氷を後頭部に当てる。ひんやりと気持ちがいい。袋の外に水滴がついていて、それが地味にくすぐったかった。

 少しして血も止まった。カイとリクは休憩時間だというのに、またミニゲームを始めていた。まったくもって若いとはいいなあとソラはしみじみと見ていた。


「……君って、たまに老けてるよね」


「いや、あいつらがクソ元気なの。俺は普通」


「それもそうかな」


 クスクスとナツが笑っている。今更だが、本当に今彼は“生きている”んだとソラは思った。じっと見ていたのを不思議がられたのかナツが首をかしげてこちらを窺った。


「……?」


「ちょっとだけ、シュートだけでもやってみれば」


 その時、ソラは特に何も考えずにそんなことを口走っていた。


 ――病み上がりに対して俺は何を言ってるんだ。


 ただ、彼は本能で言葉を発していたのかもしれない。この過去から出る為のカギは恐らくナツだ。そして、きっとナツがやり残したことをソラたちが叶えることによってそれは成立するのではないか、と推測していた。

 ナツは運動が出来ない。自分では興味が無いと言いながらも少し憧れているようにも見える。だからソラは無意識にそんなことを言った。そして、言うまでもなくナツは驚いた顔をしていた。


「…………。なんで?」


「え……。やりたそうに、時々見てたな、と思って」


「……。そう……だね。確かに、運動は7年以上してないからね。やってみたいとは思うけど。また病院送りになるだろうから羨ましくてもやらないよ」


 そう言ってナツは遊んでいるカイたちの方を眺める。見ているだけじゃつまらないだろうと、そんな軽い気持ちで振り掛けた話だった。ソラはいつの間にか、変なところをつついてしまったらしい。


「……なぁ、ナツ。あのさ――」


 ナツに無神経なことを言ったので、ソラはなんとなく謝ろうとしたその時だった。カイたちが遊んでいたバスケットボールが、休憩していた彼らの方へ向かってきた。手が滑ったのだろう。ボールは割と勢いよく飛んできた。ソラに来るならまだしも、そのボールはナツの方へと飛んできた。


「危ねえっ」


 咄嗟に手を伸ばして守ろうとしたがそれは失敗に終わり、今度は後頭部を思い切り打った。言葉にならない痛みが脳内を走る。


「いっ……てぇー!」


「ご、ごめんソラちん!」


「ナツくんは大丈夫だった?」


「う、うん。僕は大丈夫……」


「カ・イ、てめぇ……!」


「怖いよ!」


「あ、また鼻血」


 ポタポタとソラの鼻から血が垂れる。フローリングの床がまた少し赤く汚れる。

 ぎゃーぎゃーと騒いでいたら体育の教師が休憩から戻り「放課後、体育館の掃除‼」と叫ばれた。

 まさか27にもなってこんな罰ゲームみたいなことをさせられるなんて……。本当に自分に幻滅しない他なかった。


 そのままソラは二度目の気絶を果たし、保健室へ運ばれたことは言うまでもない。

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