第2話


 空は晴れているが、けだるい。この日も授業は出なかった。


 だけど午後六時になると行かないといけないと思い、準備を始めた。黒いジャケットを羽織り、黒いズボンを履いて、黒いマフラーを巻く。電車に乗って大きな駅の駅ビルの前にやって来た。


 いつもの場所、ビルの明かりが辛うじて届く植え込みの前に陣取る。ギターケースを地面に置いて、ギターを取り出した。


 目の前には帰宅を急ぐ人々が流れていく。


 さぁ、今日も始めようか。俺はすぅっと冷たい空気を吸い込んだ。


 一時間後。植え込みの縁に座って休憩する。ケースの中を覗き込んでも空っぽ。確かにこれじゃアマチュアとも言えないなと自嘲気味に笑う。


「お疲れ!」


「わっ!」


 いきなり冷えた頬に熱が当てられた。振り返ると、以前会ったJKが立っている。


「あんた……」


「来たよ! はい、これ」


 JKが手にしているのは缶コーヒーだ。熱の正体らしい。俺は手で押しのける。


「なんで、JKにおごってもらわないといけないんだよ」


「JK? 風子って名乗ったよね、ルイ」


 しかも呼び捨てにされている。名乗らなければ良かった。


「風の子、風子か」


「あ! なんか馬鹿にした感じ」


「というか、何の用だよ」


「歌を聞きに来たに決まっているじゃん」


 風子は腰に手を当ててふんぞり返った。


 嘘だろ。暇なJKがからかいに来ているに決まっている。とはいえ、聞いていくなら彼女は観客だ。立ち上がってギターを手にする。


「じゃあ、報酬はそれ。リクエストを一曲どうぞ」


「やった!」


 風子は缶コーヒーを押し付けて、ギターケースを挟んだ目の前に座り込んだ。俺は缶コーヒーを置き、ギターの弦に挟んでいたピックを指でつまむ。


「リクエストはね。やっぱりクリスマスソングかな」


「じゃあ、あれだな」


 数年前に流行ったバンドのクリスマスソングのアコースティックバージョンだ。JKなら喜ぶに違いない。


 俺はいつものように果てしない真っ暗な夜の空を目指して声を張り上げた。


 俺のちっぽけな音では、雑踏に紛れて空まで届かないことは分かっている。それでも、大きく口を開けて歌う。


 一番だけ歌い終わり、おそまつさまでしたとお辞儀をした。足を止めていた人が何も言わずに去って行く。目の前の風子だけが拍手をした。じっとこちらを見つめている。


「どうだった」


 拍手以外の反応がないことに焦れて、思わず俺から問いかけた。


「なんか、思っていたのと違った」


「違った?」


 まさか本家のプロと比べてとは言わないだろうな。


「気に入らなかったってことか」


「うーん、そういう訳じゃないよ」


 曖昧な答えだ。だけど、俺の歌で誰かを満足させるなんて出来ないことは分かっている。


 風子は屈伸をするように立ち上がった。早々に立ち去るだろう。俺は缶コーヒーのプルタブを開ける。コーヒーは少しぬるくなっていた。しかもブラックで苦い。


「ねえ、もっと明るいところで歌わないの?」


 風子はライトアップされた像の方を指さす。そこには数組の楽器を持ったグループがいた。目立つそこは場所の取り合いになる。観客もよく聞いてくれる。


 でも、この日はスペースが空いていた。


「俺はここでいいんだよ」


 俺はこの薄暗い、いるかいないか分からないぐらいの場所でいい。


「お前はあっちを聞きに行けよ。思っていたのが聞けるかもよ」


「うーん、いいや。今日はもう帰るね。じゃあ、またね、ルイ」


 背を向ける風子。スキップするように跳ねながら去って行く。


「……変な奴」


 この日の報酬は風子の缶コーヒーと四十五円だった。





 それから風子は毎日のように来るようになった。


 毎回ドリンクやプリンなど、百円ぐらいで買えるものを差し入れてくれる。しかし、リクエストをしたのは最初の一回だけだった。


 あれ以来前には回らず、横に座って俺の歌を聞いている。


「このチキン美味しい!」


 この日はコンビニのチキンを買って来てくれた。風子は自分の分も買ってきていて、砂漠で数日ぶりにありつけた水のように頬張っている。


「チキンぐらいで大げさだな。ほら、衣が口についている」


 唇の端についている茶色いカスを指で拭ってやった。すると、風子は俺をじっと見つめたまま、頬を赤く染める。


「あ、ありがと」


 風子は正面を向いてうつむいてしまった。残りのチキンをすぐには食べようとはしない。


 俺も、それほど鈍くない。


 風子は俺のことが気になって声を掛けてきたのかもしれない。歌っているのを見かけて、一目惚れしたとか言うのはうぬぼれだろうか。


 ……まあ。普通口についているカスを取られたら、誰でも恥ずかしくなるかと思い直す。


「なぁ、JKは友達と遊ばないのか?」


 年上のよく分からない奴と一緒にいるより楽しいだろう。


「学校以外では遊ばないかな」


「お前、寂しいJKだったんだな。派手なのに」


 そんなことない。そう反論されるかと思った。


「前々から思っていたけれど、そのJKって……なに?」


「は?」


 風子は冗談を言っているようではない。


「お前のことだよ、JK。まさか、JCとか言わないよな?」


 さらに首をかしげる風子。通じていないらしい。仕方なく説明する。


「JKは女子高生。JCは女子中学生」


「JK! JK! 中学生のわけないじゃん!」


 風子は少し頬を膨らまして主張した。子供っぽい仕草だ。


「どっちでもいいけどな。じゃあ、JKそこで見ていろ」


 俺はこの日も、空へと歌う。


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