ピンク頭と黒い疑惑

 とりあえずエステルを連れて用務員室に行き、ちょっとした事故で制服が汚れてしまったので予備の制服を貸してほしいと願い出ると、人の好い用務員の老人は快く着替えを用意してくれた。しかも汚れた服を預かってクリーニングしておいてくれるという。

 服が汚れた経緯を知っているだけに、善意からの親切に心が少しだけ痛むのだが、エステルはさも当然と言わんばかりの態度でさっさと着替えてくると「これよろしく」と汚れた制服を放り出した。


 僕は笑顔でエステルの機嫌を取りつつ、じっくり観察する。

 ふとした拍子にすぐ抱き着いてきたり、胸を押し付けてきたりと言ったボディタッチが実に多い。女性と接するのに慣れていない僕は、以前はついドギマギしてしまったりもしたのだが、冷静に観察すると男はとりあえずベタベタ触ってやれば喜ぶだろうと言わんばかりの態度が鼻につく。

 僕は本来こういったむやみに性的なアプローチをかけられるのは生理的嫌悪感を覚えるほどに苦手だったはずなのに、なぜそれを無邪気で可愛いと思い込むことができたんだろう。


 何故か触れられた時に一瞬頭の中にもやがかかるような感覚があって、のぼせたように思考がぼやけるのが妙に引っかかる。幸いなことに、今はそれらは一瞬のことで、すぐに生理的な嫌悪感の方が先に立つのだけれども。


 甘ったるい舌っ足らずの話し方も、故意にやっているのだと意識すると、とたんに気持ち悪く思えてきた。愛らしさを際立たせていた大きな瞳も、よく見ると開き気味の瞳孔には人を弄び好きなように操る愉悦が満ちていて、可愛いというよりは恐ろしい。


 僕はどれだけ見る目がなかったのだろう。まるで夢でも見ていたようだ。

 もうエステルに僕を見てほしいとか、自分だけのものにしたいという気持ちは微塵もない。

 ほんのちょっとの時間でここまで自分の心が変わってしまったのが不思議ではあるが、悪い夢から醒めたかのように、今ではエステルを好ましく思っていた時の気持ちが思い出せなくなっている。

 むしろ彼女に触れられた時の頭の芯がしびれるような感覚やのぼせたようにいう事を聞かなくなる身体があまりに不自然で不気味に思えるのだ。何かがおかしい。


 汚れた制服を脱いで新しいものに着替えると、エステルはもう用はないとばかりにさっさと帰って行った。

 いや、一緒に下町に行って何か買ってほしいと遠回しに言われたのだが、騎士団の方で仕事が入っていると断ると、急に機嫌を損ねて足音も荒々しくドタドタと帰って行ったのだ。


 その勇ましいと言うか、粗暴な後ろ姿を見送りつつ、僕は今までのエステルの言動を思い起こした。

 今までさんざん訴えてきていたイジメについても、存在そのものがあやしいと思う。もし誰かに何かされていたとしても、エステルが被害者というよりは先ほどのように意味不明の言いがかりをつけて執拗に絡んでやり返されただけかもしれない。


 少なくともさっきのアレはエステルによるアハシュロス公女に対するイジメだ。

 あんな訳の分からない絡まれ方をして毎日のように「処刑されろ」なんて迫られたらさしもの公女だって嫌になってやり返そうとするかもしれない。

 エステルはそれを狙って彼女を陥れるつもりなんだろう。


 エステルの目的がよくわからないが、とにかくアハシュロス公女を処刑させて何かを起こすつもりのようだ。

 無実の人に罪を着せ、処刑させようなんて企みは放ってはおけない。

  ましてアハシュロス公女は隣国ダルマチアの王妃の縁戚だ。万が一の事があれば、国際問題に発展しかねない。

 六年前に僕自身が経験したダルマチアとの国境争いを思い出す。

 王都にいた人々にとってはよくあるちょっとした小競り合い程度のものだっただろうが、それでも僕の師匠や兄弟子はあの戦いで戦死した。二人の無残な死に様は、何年経っても忘れられない。僕一人が生き延びてしまった罪悪感も。

 できればあんな思いはもうしたくないものだ。

 当分の間はエステルの機嫌を取りつつ監視して、機会をうかがうことに専念しよう。


 とはいえ、いきなりエステルの本性が……などと訴えてもクセルクセス殿下をはじめエステルに夢中になっている男どもの誰一人として素直に信じないだろう。

 僕自身がこうして目の当たりにするまでは彼女に対する嫌がらせ自体は疑っていなかったもの。

 やはり地道に証拠を集め、エステルの悪行もしくはアハシュロス公女の無実を疑いようのない状況を作るのが何より大事だろうと思う。

 ちょうど殿下から「エステルへのイジメの証拠集め」を命じられているのだ。それを利用して彼女の言動を記録して「疑いようのない証拠」を残すことが手っ取り早い。


 ふと、以前エステルたちとの会話が脳裏をよぎった。


『そんなにイジメがあるならきちんと証拠を集めてアミィを訴えた方が良いな』


『そんなっ!訴えるなんて!あたしはただ謝ってくれればいいだけなんですっ。それに訴えたって、相手は公爵令嬢ですよ?警邏隊も裁判所も相手にしてくれるわけないですっ』


『大丈夫。記録球で現場を撮れば言い逃れできないから』


『教科書やノートを買いなおすお金も馬鹿にならないし、この間なんて一着しかないドレスを破かれたんだろう?』


『あたしは大事にしたくないんですっ。恨まれて仕返しとか怖いですしっ』


 不自然なまでに証拠を残すことに拒否感を訴えていたエステル。

 あの時はアハシュロス公女に怯えているんだと思っていたけど、現場を押さえられたら自分が困るだけだったんだな。


 問題は記録球をどうやって手に入れるか。記録球は高価なだけではなく極めて貴重で、お金を出せばいくらでも手に入るようなものではない。

 万が一にもエステルに気取られないよう、内密に用意しなくては。


 うん、ここは殿下の名前を出して、学内で協力してくれそうな人にお願いしてみる他ないだろう。

 明日登校したら、さっそく心当たりを回ってみることにするか。

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