第8話 ダブレットパソコンの行方

11月8日 火曜日 19時00分

私立祐久高等学校 東門 バス停留場


#Voice :野入のいり 槻尾つきお


 下校時刻を過ぎた校庭を、誰かが走って来た。

 夕暮れの中から走り出てきたのは……


「よお、緋羽…… ん? 名倉とケンカでもしたのか?」

 飯野緋羽だった。スクールバッグの他に、両手で胸元に色鮮やかな紙袋を抱えていた。その緋羽が、泣いている。


「あのバカ、もう、知らない」


 緋羽が不機嫌そうにつぶやいた。俺に答えたというよりも、ひとりごとに近い。

 名倉と緋羽が付き合っているのは、公然の秘密だ。

 当人のふたりは、ごまかしているつもりらしいが、クラスでは周知の事実として認識されている。祐久高校に入学する以前、小学校時代からのお付き合いとなれば、まあ、このふたりは熟年夫婦も同じ。

 緋羽は、明るく可愛らしいが、誰も手を出そうとは思わなかった。


 その緋羽が、痴話げんかの挙句に泣いて、逃げるように学校から出てきた。


 俺としたことが、魔が差した。


 緋羽は、ルックスなら相当に良い方だ。

 そして弓道部。

 真剣な眼差して弓を射る姿は、理想的な美少女のイメージのそれに近い。

 クラスでは幼馴染の名倉の存在と、萩谷はぎや瑠梨るりという完璧な美少女が目立つがゆえに、緋羽はあまり注目されていない。

 緋羽は、二番手の美少女だ。


 そうだ。俺としたことが、本当に魔が差したんだ。


「緋羽、ブランド物なんて珍しいな。それが原因か?」

 俺は、緋羽が両手で大事そうに抱えている色鮮やかな紙袋が気になった。


「そうだよ。葦之あしゆきが、これを籠川さんから預かったって…… あ、でも、中身は萩谷さんのタブレットパソコンだよ」

 緋羽が早口にまくし立てた。


「はぁ? どういう込み入った事情だよ」

 俺は、名倉が何かやらかして、緋羽を泣かせたとは、何となく推察したが…… 正直に言って、話がややこしくて理解できなかった。


「そういえば、木瀬が荒れていたな。萩谷がタブレットをなくしたとか、早く出せとかって」


 昼休みの終わり頃だ。萩谷も昼休みの間に旧校舎に探しに行ったが、見つからずに教室に帰ってきたところだったらしい。お互いに知らないという話になって、木瀬が例の如くキレていた。


 木瀬も、あの暴力的な振舞さえなければ、まあまあの美少女だと思うのだがな。


「そうなの? じゃあ、早く萩谷さんに返さなきゃ……」

「いや、もう、さすがに帰ったぞ。萩谷も県外登校組みだし、あいつ、秀才だから塾通いもしているのじゃないか?」


「そっか…… これ、どうしよう?」 

 

 緋羽が紙袋を抱いて途方に暮れた。

 実のところ、緋羽と萩谷の間柄は、悪くもないし、良くもない。

 緋羽も萩谷も県外登校だが、住んでいる地域も乗る電車もすべて違う。

 しかも、萩谷は木瀬たち虐めグループに絡まれているし、緋羽は名倉とふたりだけの世界を築いているから、このふたりの接点はほぼない。


「私がこれ萩谷さんに返すって言い張って持ってきちゃったけど…… 私、萩谷さんの連絡先知らないし、明日まで預かるっていうのも…… なんか籠川さんが『絶対に見るな』って、葦之に預けたらしいの」

 緋羽が早口に語る事情は、ややこしいがやっと理解できた。


 籠川か。

 籠川のヤツ、名倉をハメたな。

 木瀬と萩谷が揉めるように仕組んで、その責任を名倉に押し付ける企みだろう。

 その企みのネタを、何かの拍子に緋羽が持ってきちゃったというわけだ。


「ああ、お困りなら、俺が預かって、萩谷に返そうか?」

 俺は、このとき魔が差して、こんなことを言った。

 繰り返すが、魔が差したんだ。


 緋羽の困った顔が不思議と可愛らしかった。

 緋羽は、いじめられている萩谷に対しても、自然と気遣いしている。

 惜しむらくは、このふたりの美少女の間に交流がないことだ。


「すみません。お願いします」

 緋羽から俺は、タブレットパソコンが包まれた紙袋を受け取った。


 この瞬間までは、俺は本当に、緋羽に約束したとおり、明日にでも萩谷に紙袋を返すつもりだった。


 俺と萩谷は、水泳部の活動で顔を合わせる機会がある。

 萩谷は、毎週1回だけだが、水泳部の練習に参加していた。自由形なら、かなり良いタイムを出していたはずだ。もっとも特進枠の生徒だけに、部活動は、塾のない日に気分転換で来ている感じだった。

 明日、たぶん、部活動に来る日のはずだ。

 屋内プールに来たところで渡せるタイミングがあるはずだ。


 そう、思っていたんだ。 

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