第21話 夢みたいな時間

「知恵って言われても……。俺のアイデアなんか所詮ワナビレベルだし、ナナセ先生の助けになんか……」


 俺がおずおずと言うと、藤谷ふじたにさんは真剣な目をしたまま「そんなことないよ」と被せてきた。


「あんなに短期間で色んなタイプの作品を量産できる人、私、他に見たことないもん」


 まっすぐ目を合わせて発せられるその言葉は、奇しくも、小説サイト時代に俺が多くの作者仲間から掛けられてきた褒め言葉と同じだった。

 ……確かに、昔ながらの異能バトル系のラノベから、ネットでかじった程度の知識による職業・推理もの、流行りの異世界チートものまで、色々なジャンルに節操なく手を出してきたのは事実だ。だけど、それらの作品の末路がどうなったのかは、目の前の彼女だってもう十分に知っているはずなのに。


「だからそれは、粗製乱造って言うんだって。現に一つも書籍化してないの知ってるじゃん」


 彼女の瞳から視線をそらし、マスクの下で口を尖らせて俺が言うと、彼女は「ううん」と小さく首を横に振った。


「巡り合わせが良くなかっただけだよ。尾上くんは、私にない力をたくさん持ってるよ」


 マスク越しに控えめな微笑をたたえ、美少女作家がまたも俺の目を覗き込んでくる。

 ……抵抗は無駄か、と観念して、俺は小さく息を吐いた。


「そこまで言うなら、考えてはみるけど……」


 彼女に頼られている嬉しさとか、小さなちゃぶ台一つ挟んだ距離の近さへのドキドキ感よりも、今はとにかく困惑の方が強いけど……。

 やったぁ、と声を弾ませてたちまち笑顔になる彼女を前に、結局、俺はその望み通りにするしかなくなっていた。


「……とりあえずさ、担当さんはオルフェウスの続刊を望んでて、でもナナセ先生的には、ケントの生死をハッキリさせたくないって点がネックなんだろ」


 火照った頭でひとまず状況を整理すると、彼女は「うん」と可愛く頷いた。……ずるいな、もう。そんな表情で期待されたら真面目に考えるしかないじゃないか。


「じゃあさ……なんかこう、一巻とは違うパラレルワールド的な舞台で、別の戦いを描くとかさ」


 いくらなんでもそれは無いだろうな、と思いながらも、ひとまずパッと考えついたことを口にすると、彼女は一瞬キョトンとした顔になってから、「ふえっ」とチカみたいな声を上げた。


「すごっ。一発目からそんなの思いつく?」

「いや、別に、それほどのものじゃ……」

「それほどのものだよ! 私の頭じゃゼッタイ出てこない発想だもん!」


 ちゃぶ台の上に身を乗り出して、彼女はきらきらと輝く瞳を俺のすぐ目の前まで接近させてくる。


「距離が近い、距離がっ!」


 正座のまま咄嗟に後ずさろうとしたせいで、じぃんと足の痺れが俺を襲ってくる。やばっ、と思った瞬間、卓上に乗せられた白ニット越しの膨らみが目に入って、俺は必死に自分の顔の前で片手を振った。

 俺の内心を知ってか知らずか、彼女はくすっと笑って姿勢を直し、「でも」と真面目モードの声色になって言う。


「さすがにそれは、担当さんが許してくれないかなー」

「やっぱそう?」

「でもでも、そういう方向性でもっと意見聞かせてよっ」


 正直、あのくらいのアイデアで大袈裟に喜びすぎな気がするけど……。

 痺れる足をさすりながら、俺は座布団の上にあぐらで座り直して、再び彼女と向き合った。


「じゃあ、もうちょいシンプルに、世代交代ってのは? ちょっと未来の時代を舞台にしてさ」


 思いつくままに言うと、ペンを取ろうとしていた彼女の手がぴくりと反応した。


「世代交代……そっか、そういう手も……」

「ほら、ケントのその後は伏せとくとしても、レイラの子供とかなら出せるじゃん。あの彼とくっついたんなら、子供は新人類と人間のハーフだし、生まれながらに特殊な力を持ってるとかさ」

「でも、レイラは一巻のエピローグで死んじゃって――」


 言いかけて、彼女は「あっそうか」と閃いたような顔になって。


「実はあの人の子供を宿してたことにしたらいいのかっ」

「そうそう。レイラのむくろから赤ん坊だけ生きて生まれるくらいは、まあ世界観的に有りでしょ。ユリ達が引き取って育てる展開にすればいいし」

「えっ、なに、尾上くんって天才なの!?」


 ぱぁっと表情を輝かせて、彼女はほとんど無意識にといった感じで俺の手に片手を伸ばしてくる。俺はすんでのところで手を引っ込め、脈打つ胸を押さえつつ、「いやいや」と首を振った。


「例えばだって、例えば。そういう感じなら、ケント抜きでも続編作れるかなって話」

「すごいよ、こんな一瞬で。あっ、実は前から考えてくれてた?」


 くうを切った手をそのまま俺の前でぷらぷらさせながら、彼女はマスク越しに底なしの笑顔を向けてくる。

 俺が「いや……」と答えたところで、彼女は「あっ、でも」と、ふいに冷静さを取り戻したような声になった。


「主人公の交代って、ラノベのシリーズものだとあんまり受け入れられないかな……」

「……まあ、そうかも?」


 言われてみれば、世代交代なんてのは、それなりに長く続いて完結した作品が、仕切り直しでやることという気もするな……。

 ほら、所詮、俺のアイデアなんてワナビの域を出ないんだって――と言おうとしたところで、「……それに」と作者のぽつりとした声。


「ケント以外の主人公を立てるっていうのは、私としてはちょっと微妙かも」

「……いや、でも、ケントのその後は書きたくないんじゃ?」

「そうなのだよぉ……だから困っちゃってるんだよ」


 オーバーに頭を抱えるジェスチャーをして、彼女は艶やかな髪を僅かにふるふると振り乱した。

 そういう反則級に可愛い動きのレパートリーをいくつ持ってるんだろう、なんて思いながらも、俺はひとまず真面目に話を続ける。


「やっぱ、聞いてる限りさ、ケントに凄い思い入れがあるんだよね」


 俺が言うと、彼女は「わかりますぅ?」と、骨董品の価値を言い当てられたコレクターのような目で俺を見てきた。


「ちょっと尾上くんに寄せてるキャラだし、そりゃあ書いてる内に愛着も湧くってものですよー」

「いや、だから、時系列バグってるって。俺と知り合ったのはつい最近じゃん。その前からキミの中にケントは居ただろ」

「……まあねー。このキャラが生まれたから、この作品は本当の意味で完成したんだしね」


 俺のマジレスに答えながら、美少女作家はなぜか顔を赤くしていた。……まあ、自作のキャラが好きで好きでたまらなくなるタイプの創作者って、特に女性には多い気もするし?

 美少女作家の意外な一面を見てしまったかな……と思っていると、彼女はふうっと小さく息をついて、結局何も書いていないままのペンをぱたんと横たえた。


「やっぱり、オルフェウスはこのまま綺麗に終わらせておいて、新作考えるしかないのかなー。でも、正直言っちゃうと、別のお話なんて全然思いつかないんだよね」

「いや、そんなことないでしょ。新作のネタくらい、ナナセ先生ならいくらでもあるんじゃないの」


 俺は本心から言ったが、彼女は「ダメダメ」と諦めるようなトーンで首を振り、上目遣いにこちらを見てくる。


「実は私、生まれてこの方、この作品しか……って言うかね、この作品の原形になった話しか書いたことないし」

「はぁ?」


 あまりに信じがたい発言に、思わず疑うような声が出てしまった。


「いやいや、またまた、意味不明な謙遜を……。処女作でいきなりこのレベルはないでしょ」


 何の気なしに「処女作」と言ってから、女子の前で口にするにはちょっとはばかられるワードだったかな、と俺が若干の気まずさを押し込めていると、


「もちろん、最初からこの形だったわけじゃないよ。ブラッシュアップにブラッシュアップを重ねてこうなったの。初めて書いた時は、主人公もこんなキャラじゃなかったし、絶滅生物の能力を受け継いでる設定もなかったし、当然ウイルスもなかったしね」


 そう言って、美少女は顔の横に人差し指を立てて――


「だから、実はぜんぜん処女じゃないのでした。残念だったね?」


 聞き慣れたイタズラっぽい声で、俺を弄ぶように言ってきたのだった。


「いや、キミ、冗談でもそんなこと……」

「……ごめん、さすがに今のは自分でも恥ずかしかったかも」


 直前の爆弾発言からの、小さくうつむいて恥ずかしがる姿のコンボ攻撃。あまりの威力に俺の頭がオーバーヒートしそうになったところで、からっと引き戸が開いて、おばさんが顔を覗かせた。


「いま、処女じゃないとか何とか聴こえたけど……」

「さ、作品の話ですから!」


 慌てて声を上げながら見れば、おばさんはお盆に急須と二人ぶんの湯呑みを携えてきてくれていた。

 ありがとう、とまだ赤い顔で告げる藤谷さんに続いて、俺も咄嗟に正座に直って頭を下げる。卓上に急須と湯呑みを置いたおばさんは、ふっと笑って俺達を見渡し、


「あんまり生き急がなくてもいいのよ、まだ若いんだから」


 そんな言葉を置いて、また部屋を後にした。

 藤谷さんと二人、顔を見合わせ、どちらからともなく笑って湯呑みに手を伸ばす。さっき紅茶をたっぷり頂いたばかりなのに、なんだか無性に喉が乾いている気がした。


「……そういや、ウイルスに助けられたって言ってたっけ」


 マスクを外して、熱いほうじ茶を一口飲んだあと、先程の彼女の「ウイルスもなかったしね」という言葉を思い出して俺は言った。初めてラインの通話で話した時にも、彼女は確か、「ウイルス禍に助けられてたまたま今年デビューできただけ」とか何とか言っていた気がする……。


「そうそう。正直、この時代じゃなかったら受賞してなかったかもねー」


 同じくお茶に口をつけてから、彼女は直前の恥ずかしさを塗り潰すかのように、饒舌になって語った。


「だって、現代で全世界レベルの疫病が猛威を振るうなんて、新型ウイルス以前はまずその時点で虚構だったでしょ? その上で新人類との戦いだもん。虚構に虚構を重ねると、途端に話が宙に浮いちゃうんだよね」

「……まあ、わかるかも」

「だからね、ウイルス禍が現実を塗り替えてくれたおかげで、初めてこの作品は編集部に選んでもらえるステージに立てたんだよ。病気が流行って喜んじゃいけないけど、私にはラッキーだったのは間違いないかな」


 顔の横で小さくピースサインを作ってみせる彼女に、俺は「いや……」と返しかけて、ふと。

 疫禍がなくたってキミの才能は世に出てたでしょ、という真っ当なフォローよりも、なぜか、自然に心に浮かんだ言葉こそを優先して口に出したくなった。


「虚構に虚構を重ねると、か……。正直、俺にとっては、今この状況がそんな感じなんだけど」


 眼前には、湯気を上げる湯呑みを両手で包み込んだまま、「ん?」と可愛く首をかしげてくる彼女。

 話題の美少女転校生と親しく話せるだけでも、それまでの俺には考えられなかったことなのに。その上、外でお茶したり、彼氏のふりをしたり、一緒に映画を観たり、何度も手を握られたり、家にまで招かれたり……。


「……正直、長い夢を見てるみたいで、未だに実感が湧かないっていうか」


 気恥ずかしさに目を伏せて言うと、彼女のふわりとした声が降ってきた。


「それは、私も同じだよ?」

「……なに、作家になれたのが?」

「ううん。尾上くんとこうして話してるのが」


 吸い寄せられるように視線を上げると、そこには心の底から嬉しそうな藤谷さんの笑顔。


「昔の私に教えてあげたいくらい。この先、夢みたいな出会いが待ってるから、めげずに頑張ってー、って」

「……いや、俺なんかそんな、大したものじゃないって……」


 顔から蒸気が噴き出すような照れくささを感じながらも、俺はその瞳に魅入られたように、視線を外すことができなかった。

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