第3話 キミの作品が読みたくて

「え……えぇ!?」


 美少女作家の予想外すぎる言葉に、俺は反射的に裏返った声を上げてしまった。

 俺の作品を読みに来た? 仮にも有名レーベルから商業デビューを果たしている彼女が、俺みたいな素人の作品を?

 ……いや、そもそも、形式だけの文芸部の部長だからって、俺が小説を書いてるかどうかなんて彼女が知ってるはずがないのに。


「そんなにビックリすることだった? 私も著書をあげたんだから、そちらも読ませてくださいよぉ、せんせー」


 冗談めかした口調で顔を近づけてくる彼女に、俺は「いやいやいやいや」と壊れたラジオのように繰り返すのが精一杯だった。

 手を伸ばせば触れられそうな距離に、マスクで隠しきれない可憐さを湛えた女子の顔がある。シトラス系の匂いを漂わせた艶やかな黒髪も、ブレザーとブラウス越しに密かな存在感を主張する膨らみも……。

 ヤバいヤバい、この刺激は、交際経験ゼロの俺には流石にキツすぎる。


「……ちょっと、離れて、一旦離れて。ソーシャルディスタンス守って!」

「守ったら作品見せてくれるのー?」

「な、ないものは見せられないから!」


 彼女が退いてくれないので、俺はほとんど跳ぶような勢いで横に避けて、なんとかその視線から逃れた。

 心拍数の上がりまくった胸を、文庫本を持ったままの手で必死に押さえる。そんな俺の様子を見て、美少女はなおもクスクスと笑っている。

 まさか、ドッキリカメラか何かか……!? いや、でも、クラスの誰も俺の小説のことは知らないはずだし、俺みたいな目立たない陰キャをターゲットにする意味もわからないし、転校生がいきなりそんな計略に乗っかるとも思えないし……?


「……あ、あのさ、何の冗談か知らないけど、俺は小説なんか書いてないの。仮に書いてても、プロ作家様に見せるほどのものじゃねーの!」

「ウソだー。前は書いてたんでしょ? それに、何かが違えば自分もプロになってたのに、って思ってるクチじゃないの?」


 俺の拒絶の言葉をさらりと塗り替えてくるその一言。その瞬間、世界が凍りついたように思えた。

 なんで、今日初めて会ったばかりの彼女が、以外知らないはずの俺の過去をそこまで……。


「……ま、まさか、アイツと話して……?」

「? アイツってだれ? 尾上おがみくんの恋人?」

「ち、違う違う。ただの親戚で、ここの後輩だって。つーか、彼女なんか居ないし!」

「居ないんだ。よかった」

「はぁ!?」


 せっかく避けたのに、いつの間にか彼女はまた俺の眼前に回り込み、星空のようなその瞳でじっと俺を見上げていた。


「軽くカマかけただけなんだけどなー。でも、親戚の女の子がこの部にいるんだね。その子に聞いたら教えてくれるかな?」

「な、何を」

「尾上くんの作品の在処ありかー。どこに隠しちゃったの?」

「だから、そんなの無いって。ていうか、後輩が女子とも言ってないだろ」

「恋人かって聞かれて、自分で『彼女なんか居ない』って言い換えたじゃない。つまり、尾上くんは異性愛者で、後輩ちゃんは女の子なんでしょ。違う?」

「違わないけど……。何なのキミ、こっわ。探偵かよ」

「ただの高校生だよ。キミと同じ、ね」


 そう言うと、彼女は真新しい制服を見せつけるかのように、俺の前で両腕を軽く開き、くるりとターンしてみせた。短すぎず、さりとて長くもないスカートがふわりと舞い上がって……ダメだダメだ、目を奪われてちゃダメだ。


「同じ……なんかじゃないだろ」


 苛立ちめいた気持ちを自分の中から無理やり引っ張り出し、俺は言った。

 運か実力か……とにかく俺以上の何かに恵まれて、作家という狭き門をくぐったヤツに、「同じ」なんて言われたって嫌味にしか思えない。その「同じ」ものになりたくて、俺だって精一杯頑張って……それでも届かなかったのに。

 しかし、続けて何か言ってやろうと思って見た彼女の姿は、先程までとは違う、少しシリアスな目をしていた。


「同じだよ。私も尾上くんも。ちょっとタイミングが前後しただけ。……ほんとは、何も変わらないんだよ」

「……」


 彼女が何か、強者の余裕のようなもので上から言ってるんじゃないことは、どこか切なそうな表情を見ればわかる。クラスの皆の前で、自分なんかまだまだと頬を赤くして謙遜していた姿が、決してウソではないことも。

 それでも……なぜ彼女が会ったばかりの俺にそこまで言うのか、それが俺には理解できなかった。


「……藤谷さんは、俺の何を知ってるつもりなんだよ」

「んー? 何でも知ってるよ。昔は熱心に小説を書いてたこと。真剣にプロを目指してたこと。今はちょっと充電期間に入っちゃってること」


 そう並べ立ててみせる彼女の目は、また楽しそうな探偵ごっこの色に変わっていて。

 なんでわかるのか、と俺が聞き返すより先に、彼女はその理由までも告げていた。


「さっき私が、そういうクチじゃないのって言ったとき、尾上くんは後輩ちゃんを思い浮かべて『まさかアイツと?』って訊いてきたんだよね。それってつまり、私のカマかけは当たってて、その子にだけはその思いを共有してるってことでしょ?」

「……な、何なんだよキミ、鋭すぎてこわいって」

「あと、たぶん、今までも彼女は居たことない。このくらいでドギマギしすぎだもん」

「悪かったな!」


 突然のディスりに俺が吠えると、彼女はまたしてもクスリと笑った。

 ……ダメだ、太刀打ちできない。洞察力も思考スピードも、デリケートな話題にズバズバ切り込んでくる度胸も、何もかも彼女が上手うわてすぎる……。


「でも、それも私と同じだけどね?」


 と、いきなりの上目遣い。


「な、何が」

「だからー、恋人ができたことないってのが」

「いや、流石にウソだろそれは!」


 思わず、これまでで一番大きな声が出てしまった。

 いやいやいやいや……。こんな可愛い子が彼氏いない歴イコール年齢だなんて、そんなラノベみたいな都合のいいことがあるわけ……。


「えー、根拠もなくウソつき扱いはひどいなぁ」

「根拠、って言うなら、その見た目こそが根拠だろ。藤谷さんのスペックなら彼氏の十人や百人くらい……」

「ひどぉい、十人はまだしも百人って。私どんなビッチだと思われてるの?」

「ビッ……」


 美少女がそんな言葉を口にするものじゃないだろ、と俺が絶句するのをよそに、彼女はそんな会話までも楽しんでいるようだった。


「でも、そっかぁー、尾上くんは少なくとも私の容姿が悪くないと思ってくれてるわけだ?」

「……いや、そりゃ、そんだけ顔面偏差値高かったらさ……。自覚してないわけじゃないだろ」

「まあ、両親の遺伝子に感謝はしてるねー」

「……それは結構なことで」

「せっかくだから、素顔も見とく?」

「いやいやいや、遠慮しとくって。か、感染対策は大事だし!?」


 俺が声を裏返らせて固辞しても、彼女はやはり嬉しそうに笑っている。

 マスクの下なんか見なくたってわかる。それだけの美貌があれば、俺みたいなフツメンの陰キャとは見える景色もさぞ違うことだろう。「天は二物を与えず」ってこの世で一番アテにならないことわざだよな、と俺が小さく溜息をついたところで、


「それで、本題なんだけどね」


 顔だけでも受賞できそうな美少女作家様は、グダりかけた掛け合いを強引に当初の話題へと引き戻してきた。


「私、キミの作品が読みたくてここに来たんだけど、見せてくれないの?」

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