冥護の槍士と十六夜の鬼 ～一寸法師鬼譚・帝都編

第5話 鬼弁慶と盗賊

　まだ夜が明けぬうちから裏庭の鶏（にわとり）がけたたましく朝を告げる。

　―――まだ・・・朝日も昇ってもいない・・・

　・・・ご苦労な奴らだと独り言をつぶやく。

　朝の冷たい空気にブルッと体が震える。

　寒さのあまり体が勝手に布団を手繰り寄せ、また頭から布団をかぶる。体を縮こませながら温もりの残る布団にまた潜り込んだ。

　―――温ったかい・・・

　すぐに意識が薄れ浅い眠りに落ちていった。

「・・・」

「古那（こな）！まだ寝ているの！早く起きなさい！」

　母様のいつもの声が耳元で聞こえる。

「もう・・少し・・・」

　また団子虫（だんごむし）の様に体を縮こませた。

「古那（こな）！」

　温かい布団がはぎとられ、首の襟（えり）を摘（つ）ままれたかと思うとヒョイと摘み上げられた。

「・・・」

　眠い目をこすりながら食卓の上に座らされる。

　目の前には、顔を洗う為の盃（さかずき）が置かれ、少し湯気の立ち昇る盃に張られた湯に、眠たい目を擦（こす）る少年の顔が映った。

　古那は、盃に映る少年の顔を眺める・・・

　―――　あの不思議な夜から、顔立ちが少し変わった気がする・・・

　―――　背も少しだけ伸びた。

　―――　あれは・・・不思議な夜であった。

　―――　白拍子（しらびょうし）の少女が祠（ほこら）の前で不思議な踊りを舞った。

　―――　急に体が熱くなり何かに締（し）め付けられたかと思うと弾け・・・

　―――　体が軽くなった・・・

　―――　目の前に眩（まぶ）しいほどに光る玉が揺（ゆ）れ、何とも言えぬ温かなものが身体中を駆（か）け抜け、体中に力が溢（あふ）れた・・・

　盃（さかずき）に映る自分の顔を確かめる様に掌（てのひら）で撫（な）でた。

「・・・」

「古那、冷めないうちに朝ご飯を食べなさい」

　目の前の母様がニコリと微笑む。

　目の前には、炊き立ての米粒（こめつぶ）が五個積まれ、温かな湯気が立ち昇る。

　隣に煮干しが半切れ。顔程に大きな豆腐が入った味噌汁に野菜。

「さあ、たんとお食べなさい！」

　変わらぬ、いつもの朝。いつもの朝食である。

　◇◆◇◆　白拍子の少女

　朝の手習いを済ませた古那が、空遠く流れていく白い雲を寝そべりながら眺（なが）めていると、ゆっくりと屋敷の裏木戸（うらきど）が開いた。

　薄黄色の生地に花柄の刺繍をあしらった着物を着た、愛らしい少女が戸口（とぐち）から顔を出し、こちらを覗（のぞ）く。

「古那さま・・・」

　その少女は、恥じらう様に・・・空を眺める古那に声をかけた。

　あの夜、出会った白拍子（しらびょうし）の少女。

　白拍子の衣装を纏（まと）い、舞う少女は、幼さの中に妖艶な美しさを秘めていたが、今、目の前に立つ少女は普通の少女である。

　しかし、よく見ると大きな瞳と整った顔立ちは、将来、美しい娘になるかも知れない・・・

　出会った日から、この少女は毎日の様に屋敷に訪れる様になった。

　父様や母様が少女の美しく舞う姿に魅（み）せられたからなのか・・・

　少女の身の上を不憫（ふびん）に思ったのか・・・

　自分の娘の様な可愛がり様である。

「古那さま」

「座っていい？」

　鈴の様な声で話しかける。

　少女は、古那の横にちょこんと座ると、遠く流れる雲を見上げた。

　この白拍子の少女の名は”静香（しずか）”といった。

　幼い頃に両親を亡くし、国々を旅する白拍子の一座に引き取られたらしい。自分の過去の私情を濁（にご）しながら語る少女の言葉に、悲しい影が見え隠（かく）れしていた。

　そしてあの夜、光る何かに導かれ祠（ほこら）にたどり着き、そして、古那と出会い・・・不思議な事が起こった・・・

「古那さま・・・」

　少女の黒い大きな瞳は、薄っすらと涙で濡れていた。

　大きな涙が一粒・・・頬（ほほ）を伝った。

「古那さまは・・・神さま・・・ですか？・・・」

　静香（しずか）の涙に古那は慌（あわ）てた。

「ありがとうございます・・・」

「ありがとうございます・・・」

「私に光を授（さず）けてくれた・・・」

　もう一粒、涙が頬（ほほ）を伝って流れ落ちた。

　◇◆◇◆　盗賊と僧兵

　旅の僧侶（そうりょ）が一人、山林の草木を払い進んでいた。

　長旅で着物は擦（す）り切れほつれ、埃（ほこり）で汚れていた。

　頭髪と髭（ひげ）が見分けがつかない程に伸び、無精髭を生やした顔はまるで熊（くま）が歩いている姿を連想させる。

　首に大玉の数珠（じゅず）を巻いていなければ、すぐに僧侶（そうりょ）とは見分けがつかない。

　右手には黒光りする鉄の六角丈（ろっかくじょう）を握り、地面を踏みしめるドッシリとした足取りは、よほど鍛えられた武芸者の足腰を想像させる。

　旅の僧侶（そうりょ）が山間（やまあい）を抜けた頃、焼けた藁（わら）の煙と古木が焦げる匂いが辺りに漂った。

　僧侶は目を見開き手に持つ六角丈（ろっかくじょう）を握り直すと、山道を覆う草木を素早く払いながら走る様に進んで行った。

　◆

　馬の嘶（いななき）きと共に下品な男たち雄叫びが辺りに響く。

「野郎ども！　役人が来る前に、さっさと食料を奪（うば）って逃げるぞっ！」

「抵抗するヤツは容赦するな！」

　馬に跨（またが）り太刀を振り上げ、獣（けもの）の皮を甲冑の上から纏（まと）った大男が叫ぶ。

　か弱い悲鳴と馬が駆ける音が村のあちこちに散乱する。

「火をつけろ！」

　藁（わら）が燃える匂いと共にパチパチと火の手が上がる。

「御頭（おかしら）！　奪った荷は積み込みましたぜっ」

　歩兵用の軽備な甲冑を着た男が、馬に跨（またが）る大男に声をかける。

「・・・」

　その時、話しかけた甲冑を着た男の背後に大きな影が現れた。

　男が驚いて振り返った瞬間・・・

　甲冑の男の体は、くの字に折れ道端（みちばた）に石ころの様に転がった。

　道端に転がった男は、ピクリとも動かない。

「・・・」

　男が立っていた後ろには、六角丈（ろっかくじょう）を横に薙ぎ払い仁王立ちで立つ僧侶。

　僧侶の目は大きく見開かれ、怒りで肩が大きく上下に動いている。

　熊の様に大きい体、六角丈を握る大きな拳。

　着物の肩口から覗（のぞ）くごつごつと隆起した腕は顔より太い。

「お前っ。何もっ・・・」

「ガコンッ」

　馬に跨（また）った大男が、目の前に立つ僧侶へ問おうとする言葉も言い終わらないうちに、六角丈で殴（なぐ）り倒され、地面に半分埋まる。

「おっお前っ」

　集まって来た盗賊たちが甲高い声で六角丈を振るう僧侶に叫ぶ。

　次の瞬間、馬の悲鳴と共に馬の脚が横にさらわれ、馬と男が地面に倒れる。

「ぐえっ」

　僧侶は、地面に倒れた男を無言で止（とど）めを刺した。

「・・・」

　地面に刺さった六角丈をスッと抜くと、大きく斜めに払い血振（ちぶ）りをする。

　盗賊たちは皆一斉に驚き後ずさりする。

　馬同士がぶつかり、嘶（いなな）く。地面に立っていた者は、後ずさりし足を取られ数人が尻もちをつく。

「貴様っ・・・」

「おっおっ鬼弁慶（おにべんけい）っか？」

　噂（うわさ）を聞いていた盗賊の一人が悲鳴に似た声を上げる。

　僧侶は無言のまま、盗賊たちを鬼の形相で見据えた。

　一ヶ月ほど前、村を襲った盗賊団が壊滅したとの噂が流れた・・・

　現場に残った盗賊たちの死骸は、見る影も無く体はちぎれ、骨は砕かれ、人とは認識できない惨状だったと噂される・・・

「ひゃあああ」

　一人の盗賊が、後ろを振り返り逃げようとした・・・

　僧侶は跳躍したかと思うと逃げる盗賊の脳天へ六角丈を振り下ろした。

　悲痛な断末魔が響き渡る・・・

「うおおおおっ」

　何かに憑かれた様に雄叫びを上げる僧侶。

　そして、血に染まった六角丈を地面に擦（こす）らせ残った盗賊に突進する。

　盗賊たちは混乱し仲間同士でぶつかり合う。

　逃げ惑う盗賊を捉（とら）えると六角丈を振り下ろし、次々と薙（な）ぎ倒していった・・・

　どれ程の時が経ったか・・・

　既に相手にする盗賊は、僧侶の視界には無かった。

　しかし僧侶は敵を求め、一人、六角丈を振り回す。

　盗賊の荷馬車に六角丈がぶつかり、荷馬車が粉々に砕け散った。

「・・・」

「くそっ」「くそっ」「くそっ」

　僧侶は腹立たしまぎれに半壊した家の柱を叩き折った。

「・・・」

「・・・」

　そして僧侶はフラフラと歩き去る。

「・・・」

「・・・」

「おっ鬼じゃ・・・」

　納屋（なや）に隠（かく）れていた村人が震えながらつぶやく。

「恐ろしいっ鬼じゃ・・・」

　恐ろしさに体を震わせ地面にうずくまった。

　◆

　血に染まった僧侶はフラフラと歩きながら川辺に辿り着いた。

　川の水面を覗（のぞ）くと返り血で真っ赤に染まった人の顔をした鬼が映った。

　僧侶は川の中に倒れ込む・・・

　目をゆっくり開けると、青い空と川のせせらぎが聞こえた。

「くそっ」「くそっ」「くそっ・・・」

　空に向かって叫ぶ。

　手の平を掲げると川の水でも拭（ぬぐ）えなかった返り血が滴（したた）り落ちた。

　僧侶・弁慶はまた目を閉じた。

　◆

　長く続いた平安の世が乱れ始めていた。

　地方を治める守護（しゅご）や地頭（じとう）たちは力を蓄え、己の領地を広げ様と争う。野盗や盗賊が出没し村を襲った。

　僧侶たちも寺を護る自衛の為に武装た僧兵となり、攻めて来る敵の鎮圧（ちんあつ）の為に動き始めた・・・

　城や村は戦の業火（ごうか）に焼かれ、人々は逃げ惑（まど）い、悲鳴が辺りに響いた。

　僧兵・弁慶が物心（ものごころ）ついた時には、深い山奥の寺で経（きょう）を読み、戦いの鍛錬をしていた。

　己に勝る強者は、この寺には存在しなかった。

　十二才の頃、寺に侵攻して来た武士たちを己の武力で薙ぎ倒した。

　以来、幾度もの戦場に訪れては戦った。

　戦火で焼け落ちた瓦礫（がれき）の中で一人の子供が泣いていた・・・

　鍛（きた）えられた若い僧兵・弁慶は戦場から逃亡した。

　一人戦火の中で泣いていた哀（あわ）れな娘子（むすめご）を抱き放浪の旅に出た。

　―――この娘子を安全な場所に届ける・・・

　―――せめてもの罪滅（つみほろ）ぼしに・・・・

　―――娘子は親の仇（かたき）の顔さえ知らん・・・

　―――いや違（ちが）う・・・

　―――己の罪から逃れる為の偽善（ぎぜん）か・・・。

　若い僧兵は旅の途中、この目の不自由な娘子を知り合いの旅の白拍子一座に預け、また一人旅に出た・・・

　そして今、その白拍子一座の行方を追いながら訪ね旅をしていた。

　噂（うわさ）で白拍子一座は霊山の麓（ふもと）の村に滞在しているらしいと。

「・・・」

　僧兵・弁慶は天を睨（にら）む様に目を見開く。

　そして川辺から濡れた体をゆっくり起こし立ち上がった。